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2010年3月31日 (水)

佐藤光『マイケル・ポランニー「暗黙知」と自由の哲学』

 M・ポランニーの最良の紹介書です。単なる解説ではなく、著者が
言いたいことはしっかり言っていて好感が持てます。著者の専門の経済学からポランニーの経済理論を扱ったところは実は他にほとんど研究がなされていないエアポケットだったりしますので、門外漢の私には特に勉強になりました。
 また、ポランニーの宗教論も特にわが国では盲点でしたが、著者は果敢に攻めています。著者が註の中で記しているように、栗本慎一郎氏が「ポランニーの生命観の神学的合意を欧米の研究者のように敷衍するのは禁欲すべきだ」言っているのに対し、異教徒にもそれなりの理解と議論は可能であり、宗教的基盤の相違を持って議論を差し控えるとすれば、日本人には、当分の間、西欧哲学の宗教的側面を論じることが不可能ということにもなりかねない(255頁)と述べているのは正論でしょう。
 ただ、実際のところ当時聖書を真剣に読んだ経験すらなかった栗本氏の議論は「俺のわからないことは言わないでくれ」ということにすぎないので、日本人でも西洋人でも勝手に論じればいいと思います。実際、西洋人でもキリスト教や聖書の理解がでたらめなインテリも少なくありません。そんな人間にはダメ出しをすればいいだけのことです。
 ただ、残念なことに、本書では実際、著者のキリスト教理解が十分でないように感じました。ポランニーの著作は実にうまくまとめてありますが、ポランニーは露骨なほど明らかにキリスト教的立場を打ち出していて、そこを著者は今ひとつわかっていないような気がするからです。
 ポランニーの伝記的資料を読んでもはっきりと1920年代にカトリックの洗礼を受けたことと、後年カトリック的立場からプロテスタント的聖書理解に傾いていたことが記されてますし、あるいは奥さんから証言されたりもしています。シェーファーやルイスやピカートの本は、著者の守備範囲外のところにあるのかもしれませんが、いわゆるクリスチャンシンカーの本に親しんでいると、ポランニーはすんなり入ってきます。思想史の裏街道を少し歩いていただくと、より読みごたえのある本になると思いますが、どうでしょうね。
 なお、ハンガリーの人名が英語風発音になっていて、そのあたりも調べていただけたら良かったのにと思いました。論文が言及されている私の先生のナジ・エンドレもナギィとかになっています。誰のことかと思いました。

 でも、全体には本当によく勉強されていて、すばらしい本だと思います。

(講談社2010年1700円税別)

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