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2010年3月30日 (火)

鈴木大拙『禅とは何か』

 平易な文章で高度なことが述べられているすごい本です。仏教の興りから禅への展開が端的にまとめられていて、仏教史の概略もわかった気になります。
 仏教が真理の単なる認識論にとどまらず、他者および社会性を含んだ具体的で実践的な効用を持つように展開していく様子が実にうまいこと書かれています。

 もちろん仏教も宗教ですから、神秘性を根底に持っていますが、その神秘のあり方を「受動的な」ものとしてとらえるところがまた面白いと思います。そのあたりの境地は禅でも南無阿弥陀仏と唱えても変わらないとまで言い切っています(198頁)。なるほど著者は『日本的霊性』親鸞も鈴木正三も妙好人も同じ境地にあるととらえていましたが、それはこの受動性の理解にあるのかと腑に落ちるところがありました。
 受動性というのは「自分よりも大きいものが、自分の占めておった平面にはいって来たということ」(202頁)で、ちょっと長くなりますが以下に引用します。

「自分がその中に自分より以上のものを感ずると、自分というものがなくなる。そのなくなったところから自分というものがあるということになる。そこにありがたい気分がわくのである。その自分がありがたいという心持になると、その時はかえって自分がなくなるときである。ありがたいということは、自分のある間は出て来ない。自分がない―自分がないということは、消極的の、ない、ということではなくて、自分よりも以上のものが自分に来たということの意味である、その自分よりも以上のものが自分に来たというときに、自分というものは感ぜられない、そのときにかえって自分がありがたいということが本当に感ぜられるのである。これが神秘ではあるまいか」(203頁)

 こんな具合で著者には独特のリズムと論理があります。この他に「山川国土悉皆成仏」の元になる思想がすでに仏陀のことばの中にあることも指摘されていて、興味は尽きません。いずれは著者の全集を入手して本腰を入れて取り組む必要がありそうです。

(角川ソフィア文庫平成20年改版)

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