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2010年4月17日 (土)

ブッツァーティ『神を見た犬』関口英子訳

 奇想天外で明るい作風の作家です。ガルシンやチェーホフを読んだあとですから余計にそう感じるのかもしれませんが、とにかく発想がぶっ飛んでます。この独特の小説世界は病みつきになりそうです。
 しばしば修道士や聖人や神様が登場したりするのがイタリアらしくていいですね。隠修士というのは本書で初めて知りましたが、即身成仏するための修行僧といった感じです。他にもカトリック的世界観が自然に出てきては、小説世界と見事にリンクしているのが印象的でした。
 本書の中の短編「驕らぬ心」は隠修士のもとに告解にやってくる司祭が司教となり、大司教とどんどん偉くなるたびに告解に訪れるという話ですが、最後の二人の対面のシーンは感動的です。
 ネットで調べると、この著者の小説は他にも邦訳が数冊出ているので、早速注文しておきました。

 さて、翻訳はこなれた日本語で読みやすかったのですが、27頁に「弱冠二十二歳」、201頁に「弱冠十七歳」とご丁寧にも二度も誤用があって興醒めでした。「弱冠」は二十歳にしか付かないなんてことは、ちょっと手間をかけて辞書を引くだけで知ることができるのに、語呂がよくてかっこよさそうだからということで使っちまったんでしょうね。翻訳者の虚勢の一種でしょうけれど、恥ずかしいことです。
 これに気がつかない編集者もきょうびは大勢を占めるようになってきたのでしょう。もっとも、いずれは「ゆとり教育」世代が編集に携わるようになるでしょうから、その頃にはこれももはや誤用ではなくなっているかもしれません。世情におもねる国語辞典は先頭切って認めかねませんし。

 と思ってPCの中の『明鏡国語辞典』を調べてみると、すでに「弱冠十八歳」という用法が収録されていました。『広辞苑』は持っていないのでわかりませんが、あの辞典のことですから、ひょっとしたらとうの昔に先頭切って認めていたのかもしれません。
 それにしても「衆寡敵せず」とはまさにこのことでしょう。何だか自分のほうがいつのまにか老人になった気分です。今浦島とは自分のことだったのか。これからは「天保老人」と呼んでください。でも、本当の天保老人だったら、愚かな虚勢に基づく誤用が標準になるなんてことは断じて許さないでしょう。

(光文社2007年686円+税)

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