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2010年7月31日 (土)

斎藤美奈子『あほらし屋の鐘が鳴る』

「何をごちゃごちゃゆうとんねん。あほらし屋の鐘が鳴るわ」カーン。という上方の言い回しがあるそうで、著者は「あほらし屋はおまえじゃ」と言われるのを承知の上で(このへんの意識が著者の文章の客観性を担保しているのだと思いますが)、ニッポンのおじさんの馬鹿さ加減にカーン、失楽園騒動や「不倫は文化」発言にカーン、アホなテレビドラマにカーン、男性誌のみならず、女性誌にもカーン、と鐘を連打しています。

それにしても、本書の文庫版が2006年ですが、きょうびの世相は当時よりも一層アホらしさを増していて、この先どうなってしまうのかという気になります。著者には早く2010年版を書いてもらい、鐘を乱打してほしいものです。

著者のツッコミはもっともなことばかりで、常識人が見たらおかしいでしょ、という視点に説得力があります。その鮮やかな切り込み方は見事としか言いようがありません。女性誌に連載されていた頃から男性のファンが少なくなかったようですが、実際、彼女の連載を目当てに女性誌に目を通すコアな男性ファンというのがいてもおかしくないと思います。

本書の指摘で感心させられたのは、橋田壽賀子のドラマ「渡る世間は鬼ばかり」で、親戚の家の苗字を屋号のように使っている(「本間では」とか「岡倉に行かなきゃ」とか)ということです。ドラマではこんなセリフを小学生に言わせたりしているのですが、著者はこれを「苗字をじゃかすか使って、見る人に『家』意識を植えつける、一種のマインド・コントロール法といっていいでしょう」(34頁)と述べています。なるほど。

女性誌の分析も見事でした。「コスモポリタン」が釣りの雑誌だとは知りませんでした。それも「男釣りの」ね。女性誌の特徴を長女とか次女、三女、あるいは「男兄弟に囲まれた旧家の一人娘」や「大正生まれの大婆様」といった比喩でとらえるところが秀逸です。

今は休刊になったものもありますが、どの雑誌が何にたとえられているかは本書をご覧ください。

(文春文庫2006年629円+税)

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2010年7月29日 (木)

土屋賢二『ツチヤ学部長の弁明』

 「学部長に選ばれたとき、わたしを知る人間は例外なく驚きました。中でも一番驚いたのはわたしです」(29頁)という著者は無事お茶大文教育学部長の任期を終えられたようですが、おかげでこんな本ができてしまいました。

 いつものように意外な論理展開の冗談が満載です。しかし、さすがに学部長ともなると、ときには真実を述べなければ収まりがつかないこともあるようで、「学部長からのメッセージ」では冗談ばかりかと思ったら、結構良い言葉も混じっていました。たとえば、

「大学の四年間は貴重です。金になるかどうか、役に立つかどうかといったケチくさいことを考えずに、知りたいことを自由に追求できる夢のような時期です。断言しますが、どんなに勉強しても賢くなりすぎることはありません」(32頁)

という感じです。ひょっとしたら箴言かも。その文章の少し前にも、なぜ勉強しなければならないかというと「学問が面白いからです」と明快です。これ正しいですけど、世の中にはただただ大学の教授先生になりたいという目的のために渋々研究している人もいて、まあ、そういう先生の下には権力に惹かれる傾向のある学生が集うので、それはそれでいいんでしょうけれど、土屋先生はやっぱり学問大好きの人なんだなあと、こんなところから勝手に読み取っています。

 私は著者の冗談についてはほとんど禁断症状が出てくるくらいですので、著者の希望通りまずは著書を買うように努めています。もちろん、あっという間に読んでしまいますが、この毒にも薬にもならない冗談が、本当に心地良いのです。

(講談社文庫2006年533円+税)

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2010年7月27日 (火)

門田隆将『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』

 元日本陸軍北支那方面軍事司令官根本博中将とは、敗戦後の昭和20年8月20日に内蒙古の在留邦人4万人を救うために、武装解除命令を拒否し、ソ連軍と激戦を展開した人物です。

 在留邦人は国府軍の庇護の下、無事帰国を果たしましたが、根本博はそのときの恩義を忘れず、義には義をもって返すべく、国府軍が共産軍との戦いで窮地に陥った1949年に台湾に現れます。いわゆる国共内戦の決着がついた金門島の闘いで見事な戦略を立て台湾を勝利に導いたのが、この根本博でした。

 「ラスト・サムライ」と呼ばれるべきはこの人でしょう。義をもって返すなどと言うのは簡単でも、まさか台湾に密航までして戦ってくるなんて、想像を絶しています。映画になっても面白いと思いますが、誰も史実に基づいているなんて思わないでしょう。

 この行動原理は、その道を極めるやくざの中においてさえも今日もはや見られなくなっていますが、肖像写真を見ると、根本博は確かにちょっと半端でない迫力を持った面構えで写っています。しかしその迫力は知性と気品を兼ね備えていて、実に格好いいのです。一級の軍人とはこういう感じだったのでしょう。(対照的なのが辻政信で、本当に小賢しい役人みたいです。)

 著者の門田氏の取材は見事の一言に尽きます。よくぞこの埋もれた歴史を掘り出し、膨大な文献を調べ上げ、関係者のインタビューをこなしたものです。プロの技です。

 本当にいい本でした。おすすめです。

(集英社2010年1600円+税)

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2010年7月25日 (日)

武田百合子著、武田花写真『遊覧日記』

 著者の鋭い観察に基づく独特の文体は、ときに凝縮された美しさを見せてくれるかと思うと、そこはかとなく怖い世界を暗示するようなところもあります。とにかく何か文章を書けばそれがそのまま文学になっているような人です。才能でしょうね。

 それはたとえばこんな感じです。

 「いやに彫りが深くて色白の、元美貌、そのため却って、お金のなさそうな人にみえる老紳士は、役者のような声でそうしゃべると、観音様の方へ歩いて行った。足がわるいらしい。片方の肢が義足らしい」(34頁)

 何だかこの数行だけでいろんなものを感じさせられます。
 
 本書では14章の「あの頃」が、終戦直後の思い出と御茶ノ水橋や聖橋の情景が出てきて、特にこの界隈は学生時代に馴染みがあるので、懐かしい思いで読みました。終戦直後のことはもちろん知りませんが、そんな感じだったのかと想像がつくのは楽しいものです。一人娘の花さんの撮った写真も、文章との微妙な距離をとりながら、二人で訪れた場所のいい雰囲気を伝えています。

 また『富士日記』や『犬が星見た』を読み返そうかなという気になりました。

(ちくま文庫1993年520円+税)

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2010年7月24日 (土)

宮本延春『オール1の落ちこぼれ、教師になる』

 小中学校でかなり激しいいじめにあって、勉強が手につかないまま、成績が本当にオール1でした。中卒で就職した著者は、しかしあるとき、アインシュタインの相対性理論に接して突然学問の面白さに目覚め、働きながら夜間高校を出て名古屋大学の理学部に進学します。今は母校の教壇に立っていますが、できない子の気持ちがわかるという点で著者の右に出る先生は誰もいないでしょう。

 学校の先生はよく生徒たちに「やればできる」「最後まであきらめるな」なんて言うのですが、実際にはそう言う教師本人が自分の言葉を信じていないことが多々あるのではないでしょうか。まして、相手はオール1評価の生徒です。

 著者は「やればできる」の見本のような人ですが、それにしても、ここまで本当にやってできてしまった人が出てくると、何よりかつての著者の先生たち、特に1評価を付けた中学校の先生たちは本当にたまげたことでしょう。

 もっとも、著者は思いっきり勉強ができなかったにもかかわらず、読書が好きで、たくさんの本を読んでいましたので、素地はあったのでしょう。少林寺拳法で全国大会に出場しているくらいの人ですから、いったん物事に打ち込むと、大変な集中力を発揮するタイプの人だろうと思います。

 とはいうものの、やはりすごい努力です。まわりの人も何か手助けしないではいられなくなるくらいのオーラを本人が発していたのでしょう。学問に目覚めて努力し始めてからの著者には、いろいろな人が手をさしのべてくれます。

 著者が人生のどん底で考えたことは、人間が「生きている時間だけは平等だ。だから、何かに時間をかけて努力すれば、未知の可能性が開けるのではないだろうか」(61頁)というものです。苦労してきた著者の言葉だけに、重みがあります。

 サクセスストーリーには違いないのですが、自慢話ではなく、お説教臭くもなっていません。著者の素直な人柄が感じられます。多くの人に勇気を与えてくれる本だと思います。

(角川書店平成18年1300円税別)

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2010年7月22日 (木)

鈴木大拙『禅』工藤澄子訳

 英語で書かれた本の翻訳です。理性中心主義的傾向の強い欧米人を説得しようとして書かれていますので、微に入り細に入り、様々な角度から、この体得するしかない境地が描写されています。

 もっとも、禅は著者によると必ずしも仏教徒の思想と生活の源泉であるだけではなく、「それはキリスト教の中にも、回教の中にも、道教の中にも、そしてまた実証主義的な儒教の中にさえも、多分に生きている」(127頁)そうです。

 本書を読んで禅がわかるといったものではもちろんありませんが、大切なものの周囲を正確に描写していって、最後に曰く言いがたい絶妙なことが顔を出してくれれば、しめたものでしょう。

 そもそも、この曰く言いがたいことをわかっているひとが、それをわかっていない人に伝えようとすると、それはとんでもない困難に陥ることでしょうし、わかっている人同士が話をするとなると、「うん、そうだよね」ということですらなくなるかもしれません。それはおそらくイチローと落合のバッティング談義みたいに、第三者には意味不明になって、記事にならなくなるでしょう(聴いてみたいものですが)。

 それなら禅の修行者の問答の記録がわけわかんないのも道理ですが、著者はそれがなぜ分からなくなるのかということを欧米人に説いて委曲を尽くしています。空と如の説明なんかは実に論理的に分かりやすく説かれていて感心させられます。

 英語原文もいろいろと参考になる気がします。ちょっと探してみます。
 以前知人が、英語で本を出すと10万円かからないなんて言っていましたが、それなら1冊くらい書いてみようかと思ったことがあります。かつての明治人のように海外に向けて発信することも、これから本気で考えて行きたいと思います。

(ちくま文庫1987年660円+税)

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2010年7月20日 (火)

米原万里『パンツの面目 ふんどしの沽券』

 下ネタ大好きの著者による下着比較文化論です。縫製の図面まで載っていて、その好奇心と探究心には頭が下がりますし、何より笑えます。食事どきには話題にできないようなえげつない蘊蓄も満載です。

 男性のワイシャツはもともと下着を兼ねていたので、長い裾をオシメのように前後で合わせて着ていたという話はどこかで聞いたことがありました(ワイシャツの裾の下のところにボタンが付いているのはその名残だそうです)が、まさか20世紀のロシア人たちがルパシカを同じように着ていたとは知りませんでした(第3章「ルパシカの黄ばんだ裾」)。
 それよりも驚いたのは、抑留者の証言によれば、ロシア人たちはそもそもウンチをしてもお尻を拭く習慣がなかったということです。したがって、そもそも彼らは収容所での日本人たちがこの点で苦労していたことには気が付かなかったのでした。

 パンツをめったに替えないフランス人にとってビデが必需品なのも、著者によれば「彼らはパンツを取りかえないかわりに、パンツの中身を毎日洗浄していたのか! ということは、もしかして、プラハ時代のルームメイトたちは、心の中でわたしのことを不潔だと思っていたのかもしれないな」(31頁)と、公平にまとめてあります。

 比較文化論の授業の題材にも使えそうです。っていうか、使わないともったいない本です。

(ちくま文庫2008年640円+税)

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2010年7月19日 (月)

橋爪大三郎『橋爪大三郎の政治・経済学講義』

 著者の本にはいつもながら啓発されます。本書は『橋爪大三郎の社会学講義』1,2(夏目書房)を内容別に編集し直したものですが、単行本の版元の夏目書房が2007年に倒産していたとは本書の著者あとがきで初めて知りました。

 著者の誤解を恐れない大胆な議論は、あらゆる学問の門外漢的立場に立つことのできる社会学者ならではのものでしょう。社会学も過度に実証的な研究は少なくないのですが、それでも今日なおこの分野の人びとが世間に向かって斬新な物の見方をいろいろと提起していることは確かです。
 こうしたことは本来なら哲学者がやるべきことなのでしょうが、そっちの専門家たちの方は西洋の哲学者のテクスト読解作業に埋没してしまっている感じです。

 本書で感心させられた記述を幾つか挙げておきます。

・「武士の一番の問題点は、彼らがもともと泥棒だということです。もともと貴族の所有地を警備していたはずが、いつのまにか泥棒になり、気がついてみたら、貴族の所有地を全部取り上げていた。これが武家政権です」(75頁)
・「民主主義の根本は何かと言えば、それは法律を自分たちで制定する、このことに尽きるのです。法律の体系を自分たちで作る、“偉大なる立法行為”こそが、民主主義、そして市民社会の出発点なのです」(87頁)
・東京で「集合住宅を建てれば土地は山の手線の内側だけで十分という試算もある」(212-213頁)
・「戦争になると、住民は,都市国家の場合は都市国家の城壁の中に逃げこんで全員一致で守るんですが、日本人の場合はどこかへ逃げてしまう。そして戦争が終わると戻ってくる。どっちが勝っても元の生活はできるわけで、一般民衆の中立が保証されている」(303頁)

 といった具合で、まだまだたくさんあるのですが、どれも刺激的で考えさせられます。1990年代に書かれた文章が中心ですが、今も十分通用します。それだけ日本の政治状況も経済状況もぱっとしないということでしょう。その点も含めて改めて社会学的思考の妙味を味わうことができる本だと思います。

(ちくま学芸文庫2008年1200円+税)

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2010年7月17日 (土)

E・バートレット・カー『東京大空襲 B29から見た3月10日の真実』大谷勲訳

 第二次大戦中に東京を大量の焼夷弾で焼き尽くす作戦を立てて実行した、あのルメイという人物がどれほど邪悪だったのかを知りたくて読みました。悪魔というほどではないかもしれませんが、地獄行きは間違いないでしょう。戦後にインタビューを拒否したところからみると、本人もこの爆撃が国際法に抵触するものであったことを承知していたのでしょう。

 本書はアメリカ人戦史家による冷静で客観的な記述だけに説得力があります。アメリカ側の史料と日本の側からのそれとを付き合わせながら丁寧に書かれています。しかし、爆撃された側の悲惨さはやはり胸にこたえます。

 アメリカはその後もベトナムやイラクで殺戮三昧ですが、当時も今も軍部の精神はおそらく何も変わっていないはずです。あらためておっかない国だと思います。

 それにしても、B29というのはこれまで何となく無敵のような気がしていましたが、実は突貫工事で間に合わせたという感じの開発で、事故や日本側からの追撃で命を落とした米兵が少なくなかったようです。ときには空襲に行って帰ってきた機体数が70パーセントを割ったりしています。アメリカもかなりぎりぎりのところで戦っていたことがわかります。

 毎年夏になると戦史物が店頭に並ぶような気がしますが、実際には売れているのでしょうか? それはともかくとして、本書はおすすめです。

(光人社NF文庫2001年590円+税)

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2010年7月14日 (水)

斎藤美奈子『趣味は読書。』

 ベストセラーといえば、インテリやインテリぶりたい人は読まないことが多く、読まずに批評されることもまた少なくないようです。村上春樹の『1Q84』の書評のほとんどが最後まで読まずに書かれていたことを日垣隆が指摘していましたが、文芸評論家というのはそんなものだと思っておいたほうがいいかも。

 かつて著作集の月報だけを読んで林達夫論を一晩で書いた人を知っていますが、そんなインチキな仕事ぶりは実は当時からバレていました。知らぬは本人ばかりなりで幸せなことでした。

 さて、本書はそんなインテリが相手にしないようなベストセラー46冊を、まさしく対極的な姿勢で真剣に読んで書かれた批評です。実際、これは慣れ合いとインチキの横行する出版界ではちょっとしたスキマ産業だったかもしれません。

 ふつう、ベストセラーを買って読んでおまけに感動までしてくれるのは、ただでさえ少ない読書人口の中の「善良な読者」ですが、そこを自ら善良な読者たる「資質をまったく欠いている」(354頁)と言っている著者が本気で批評していくのですから、一面では恐ろしい仕上がりの本になっています。

 例えば樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し方』では、「この論旨のぬるさ、話の運びのたるさ。いっちゃなんだが、この本自体が『頭が悪い人の話し方』の事例のようだ」(80頁)という具合です。

 しかしながら、悪口三昧のようでいて、著者はベストセラーのいいところもきっちりと指摘しています。批評の姿勢は常に読者の側に立っていて信頼できます。この批評眼をもってすれば、ベストセラーではなくても、本屋を損させないくらいの、「善良な読者」を無視しない良書を書けるような気がしてきます。見当違いの感想ですが、そこはかとなくやる気が出てきました。

(ちくま文庫2007年780円+税)

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2010年7月13日 (火)

木田元『マッハとニーチェ ― 世紀転換期思想史』

 本書が出ていたことを今まで知らなかったのは迂闊でした。著者の本もまともに読むのは初めてです。もともと雑誌「大航海」に連載されたものだったそうですが、語り口が学術論文調ではなくてのんびりしているのはそのせいかもしれません。

 19世紀後半から20世紀にかけての時期は私の専門とする時代でもありますので、本書には色々と教えられることが多く、有益でした。特にマッハと同時代のアヴェナリウスという哲学者については本書で初めてその思想のアウトラインを知ることができました。

 また、マッハとニーチェというのは同時代のベストセラー思想家ですが、その思想の内容がこれ程近い関係にあるとは今まで考えていませんでしたし、マッハがフッサールやケルゼンあるいはホフマンスタールといった人びとに与えた影響も解き明かされていて新鮮でした。

 個人的には、本書がしばしば引き合いに出す哲学史家のブラックモア氏は知り合いなので、懐かしい気持ちで読むことができました。最近は連絡が途絶えていますが、出版予定のハンガリー法思想史が出たらお送りするつもりです。奥さんが日本人なのでおおよその内容は通じるのです。

 本書に若干不満があるとしたら、あっさりしすぎた感のある語り口です。思想史家というのはもう少し粘着系の方がドラマタイズされた本になっていいのではないかと感じました。でも、わかりやすく書くのが著者の真骨頂のようでもありますので、もう少し他の本も読んで、慣れるようにしてみます。

(新書館2002年2800円+税)

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2010年7月11日 (日)

呉真由美『だから速読できへんねん!—脳のブレーキを解き放て—』

 最近テレビで150㎞の速球を打って人気者になった速読マスターの著書です。Youtubeで見たら著者が本当にバットがボールをとらえていてたまげました。速読をマスターするといつのまにか反射神経がよくなるようです。そういえば私も最近耳元でうなっていた蚊を二夜連続片手で仕留めましたが、寝ぼけ眼にもかかわらず成功したのは、ひょっとしたら速読効果かも。
 それはともかく、理論的にはごくまっとうな速読の指南書です。訓練の方法もていねいに解説されていて好感が持てます。速読とはどういうものかということを知るために読んでも得るところがあります。さらに本書の具体的な訓練メニューを実践すると、独学でもそれなりに読書スピードが上がると思います。
 最近は同著者のDVD付録付き実践本が出ているようなので、そちらも早速入手しようと思います。私自身今の速読レベルに決して満足しているわけではないのと、スポーツにも有効だということを実証しようと思っているのがその理由です。野球以外の競技でもいい効果が期待できそうです。
 それにしても速読の達人が書いた本は例外なく読みやすくて、速読がしやすいという特徴があります。いつの間にか書くリズムが速読向きになっているのかもしれません。本書は電車の中で20分くらいで読めました。今度自分が書くときにもこの読みやすさとわかりやすさを目指したいと思います。
 来年3月に比較文化論の教科書を出す予定ですが、このレベルでの読みやすさを目標にするつもりです。(だからといって売れるとは限りませんが、版元には迷惑をかけたくないものです。)

(生産性出版2009年1,500円+税)
 

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2010年7月 8日 (木)

空海著、宮坂宥勝監修『空海コレクション2』

 本巻には『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』『般若心経秘鍵』『請来目録』が収録されています。空海の立場がよくわかる編集です。
 とにかく密教の奥義を極めると即身成仏するとのことなのですが、そのためにはお経を読むだけではなく、師匠から授戒を受け、修行しなければなりません。またお経も、論理では伝えられない世界を文字や図像の解釈を通じて暗示しようとする世界なので、頭で「わかる」というものではありません。

 したがって、いわゆる阿吽の呼吸の「吽」の字にすべてが含まれると説かれても、それはわかるものではありません。ただ、曼荼羅のける悟りの境地の解釈は、華やかなイメージに彩られていて、総天然色の鮮やかな世界が広がるのも確かです。

 思想家としての空海がどれくらいすごいのかは、正直言ってよくわかりません。宗教と思想が一体になっているため、たとえば本山博を、でなければ美輪明宏や江原啓之といった人びとを思想家としてどう評価するかというような感じになります。

 それでも、生きとし生けるものは「この身このままで仏であり得る」(125頁)というのは、現状を思いっきり肯定する日本的思想の美点がよく現れていると思います。空海の有名な言葉、「草木また成ず 何に況んや有情をや」も本書の259頁にあります。そして、さらにもっと有名なのは、

 五大に皆響き有り
 十界に言語を具す
 六塵悉く文字なり
 法身は是れ実相なり

という偈頌です。さすがにこれは格好いい表現です。わが師匠の中村雄二郎先生もお気に入りでした。確かにこれは汎リズム論に通じますからね。ただ、第三句にはさらに解説が偈頌として展開されていて、このあたりから訳が分からなくなってきます(「随縁」とか仏教哲学にとって根本的な問題も書かれていますが、そのあたりの深いところは真言宗のお坊さんならわかるのでしょう)。

 しかし、何より一番戸惑うのは、最後の第四句が解釈がなされないまま終わっているところです。「えーっ」て感じです。このあたりざっくばらんで、かえっていいのかもしれません。色塵(物質)について、すでに解釈しきったから十分だという感じだったのでしょうか。

 いずれにしても「悉く文字」だと言われてわかったようなわからないような気がしますが、曼荼羅を見ていると意味を持ってくるのかもしれません。神秘主義的ですが、ここが別世界への入り口になっているのでしょう。

 こうやってほとんどすべての議論や思想を学んだ末の考えが、「そのまんまでOK。成仏できるよ」ということになると、戸惑わないでもないのですが、やはりありがたいことかもしれません。

 明るい思想です。次は『十住心論』にチャレンジします。

(ちくま学芸文庫2004年1500円+税)

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2010年7月 5日 (月)

空海著、宮坂宥勝監修『空海コレクション1』

 本書には、空海の『秘蔵宝鑰』と『弁顕密二教論』が収録されています。秘蔵宝鑰の面白さは少し前に別の文庫で読んで知っているつもりでしたが、これはまた別の口語訳で、原文の語彙にこだわらずに訳してある感じです。読後感としては本書の方がややあっさりした感じです。
 いずれにしても、大日如来のはたらきによって十住心論のレベル10の悟りの段階に飛躍するのは、そうなるんだとしか書いていない上に、そこは言葉を超えた境地なので、議論としての十分な説得力があるわけではありません。密教の修行のポイントはまさにここにあるわけですが、ただ、そこに至るまでの議論の展開の見事さと言葉の美しさはさすがです。
 しかし、修行をしてこれが本当に分かるのでしょうか。現代の密教のお坊さんたちは生きながらにして、いわゆる即身成仏という悟りの境地に達しているのでしょうか。機会があったらお話をうかがってみたいものです。
 有名な『十住心論』のダイジェストが本書収録の『秘蔵宝鑰』ですが、岩波の思想大系シリーズにあるも手に入れたところです。漢文読み下し文と注釈だけでは難儀しそうですが、近いうちに読みたいと思います。
 しかしその前に『空海コレクション2』を読み始めたところです。こちらの方は悟りの境地が描写されている文章を集めたもので、いきなり面白さが炸裂しています。感想はまた改めて書きます。

(ちくま学芸文庫2004年1400円+税)

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2010年7月 3日 (土)

梅原猛『最澄と空海―日本人の心のふるさと―』

 直感と情熱の人、梅原猛による最澄と空海の本です。思想家としての彼らのすごさに戦後間もない時期から言及し続けてきたのが他ならぬ梅原猛その人だったのですから、その預言者的直感の鋭さは大変なものです。

 とにかく著者には日本という文化全体を哲学の対象にする強い意志があり、縄文文化や聖徳太子、万葉集から最近は能楽と、次から次へと精力的に論じています。この活力には脱帽しないではいられません。西洋の哲学者の文言をいじくり回しているようなわが国の哲学者(というより哲学研究者)が見習おうと思ってもできるものではありません。

 ただ、直感で断定してしまうところがある人なので、論証はお好きではないようです。面倒くさくなってくると、自分がこう思うからこうだという感じになります。でも、著者の情熱に引きずられて、何となく説得されてしまいます。まあ、自由な書き方が許される人ですから、これでいいのでしょう。別に学者を説得する必要はありませんし。

 本書では最澄も空海も最新の仏教思想をわが国に導入しながら、これを縄文時代から続く伝統的な自然主義的思想と融合させ、「山川草木悉皆成仏」という日本的な信仰を確立したという枠組みでとらえられています。

 ただし、この文言自体は原始仏典の中にもすでに見られるとどこかの本で読んだ記憶もあるので、ちょっと留保しておきたいと思いますが、いずれにしてもこの考え方が日本的宗教思想の展開の核心となっているのは著者の言うとおりだと思います。
 この点は、空海の『吽字義』からの引用ではこうなっています。

 「かの草木すらやがては成仏するのである。いかに況んや有情のかれらにおいておや」(301頁:『空海コレクション1』では「草木また成ず 何に況んや有情をや」259頁)

 これが後に天台本覚論として展開するということですが、何よりここに注目した著者の問題意識がすばらしいと思います。

(小学館文庫2005年638円+税)

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2010年7月 1日 (木)

室谷克実『日韓がタブーにする半島の歴史』

 本書によれば、かつての先進文明は朝鮮半島から来たのではなくて、中国大陸から日本に直接やって来たようです。そして、実際には韓半島は飛ばされていたことになりそうです。
 日本の戦後の進歩的インテリたちは韓半島経由ということを強調し、騎馬民族説なんてのも、それを説く本人が証拠がないと認めたあとも一人歩きして、日韓共に半ば常識と化しています。私の亡くなったおふくろは若い時から心情左翼で読書人でしたが、ご多分に漏れず、この「常識」を信じ切っていました。

 事実、最近でも小沢一郎なんてのはわざわざ向こうに足を運んでは、そんなことを言って喜ばれては悦に入っているのですから、この「常識」はかなり根強いものだと思います。
 これについては韓国の戦後の歴史家たちの涙ぐましい努力が功を奏したことも、本書が活写するところです。

 そんな風潮の中にあって、本書は極めて反時代的な本です。ただ、よくわかるのは、日韓双方共に、半島史の権威と言われる人でも、基本資料をいい加減に読んでは世情に媚びているということです。専門家のいい加減さは特に大学教授によく見られますが、一般読者は大学の先生の論文をふつう眉唾物は思わないので、神話はますます固定化されていきます。

 著者は原典を読んで理性に訴えるというストレートな作戦をとっています。説得的な記述ですが、日韓双方の感情的な人びとは意地でも納得しようとしない内容です。
 こうした一連の事態を確認するためにも、『三国史記』のような基礎文献には一度自分で目を通しておこうと思います。

(新潮新書2010年720円税別)

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