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2010年8月31日 (火)

土屋賢二『紅茶を注文する方法』

週刊文春の連載エッセーを集めた本。気がついたら何冊も出ていたので、読んでいないものを文庫で集めて、順に読んでいます。単行本を持っていたのに文庫でも買ってしまったのもありましたが、ま、いっか。一度読んでも結構忘れているので、二度目くらいならほとんど気づかずにまた笑って読んでしまうからです。

それにしても毎週毎週こんな冗談を書き続けるなんて、すごいと思います。いつもおなじみの妻や助手が出てきて著者とやりとりするところが気に入っています。電車の中で読むとつい笑い出してしまって、周囲から怪訝な目で見られる恐れがあります。

本書では立川志の輔の解説がついていて、そこで志の輔師匠は著者の土屋賢二氏をマギー司郎にたとえています。そういわれてみれば、あのとぼけた味わいというのは似ているところがあるかもしれません。栃木訛りだったら最高ですが、著者は岡山出身なので、方言を前面に出すタイプではないようです。

買いためた文庫がまだ何冊かあるので、当面笑いたくなったとき読む本に困ることだけはなさそうです。

(文春文庫2004年467円+税)

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2010年8月30日 (月)

諸田玲子『思い出コロッケ』

著者は時代小説の名手だそうですが、初めて読んだ本書は現代小説で、向田邦子とその妹の和子さんに捧げられた短編集でした。1980年代前後が舞台になっているので、時代小説というわけではなくても、あの時代はすでに過去になったのかという、ちょっとノスタルジックな思いをしました。

著者はかつて向田ドラマのノベライズを手がけていたそうで、心なしか向田邦子の作品の雰囲気と通じるものがあります。著者自身が本書のあとがきで、向田邦子の『思い出トランプ』について「思い出をシャッフルして無作為に並べた、シリアスだけれどユーモアやペーソスもあり、じわじわっと心になじんでくる小説集です」(233頁)と述べていますが、その言葉はそっくり本書にも当てはまります。

実際に読み比べてみると向田邦子とは異なるのかもしれませんが、それぞれの作品がしっかり構成されていて、ちょっと怖いオチが付いていたり、ほのぼのとしたり、あるいは驚かされたりします。向田ファンの友人にも機会があったら勧めてみます。また、著者の時代小説もそのうち読んでみたいと思います。

(新潮社2010年1500円税別)

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2010年8月29日 (日)

矢部正秋『プロ弁護士の思考術』

金言だらけの本です。著者が弁護士の仕事を通じて得られた知恵が詰まっています。法律論はまったく出てこない本で、一般読者向けにあくまで思考や論理のノウハウが語られます。どことなく武道の具体的な指南書のようなところがあります。

弁護士の泥臭い交渉現場の思考というのは、弁護士に限らず交渉ごとを行なうすべての仕事に共通すると感じました。その点でビジネスマンや経営者にも有益な教訓がたくさんあります。

私が気に入ったのは「不満を言うな。オプションを考えよ」というところです。
①極端なオプションから現実的オプションまで、網羅的に多くのオプションを考え出す
②常識も価値観も一度は捨てて、極端なオプションも発想する
③自然に頭に浮かんだ対応策だけではなく、上下前後左右のあらゆる角度から考える(72頁)

著者はオプションを発想することに集中すると、不安や悩み、怒りなどの消極的な感情が薄らぐという効果もあると言います(72頁) これは私も経験上よくわかります。積極的な思考というのはこうした副産物ももたらしてくれるようです。

著者が経験から割り出した具体的な数字も説得力があります。たとえば、
・「人間の2割は優秀、6割は平均的、残りの2割は平均を大幅に下回る」(103頁)
・物事には「一般的に30パーセント程度、偶然が介入する可能性を考えておいたほうがいい」(165頁)
・現実をその中にいる自分も含めて鳥瞰することを著者は遠くを見ると言いますが「近くと遠くを見る割合は、七対三ぐらいが手頃のようである。七割方は目先に集中するが、三割方は将来を見る」(236頁)

単なる学校秀才で、他人を見下すような「薄っぺらなエリートもどき」を著者は「生きる知恵と学歴はほとんど無関係である。というより、私の見るところ、この二つはしばしば反比例する」(133-134頁)と断罪しています。

その特徴とは、
①自分がつねに正しいと考える
②高慢で人を見下す。思いやりが皆無
③他人の批判には弱い。批判すると逆ギレする
④批判は上手だが、提案は下手
⑤上司にへつらう。保身に巧みで、利害のためには人を裏切る(134頁)
とあります。

確かにいますね、こういう人。世間的には優秀と言われる大学を出ていますが、それだけが自慢の人というのは大体こんな感じです。これっていろんな変種があって、お役所や大学の中にはいうまでもなくたくさん生息しています。個人的にはなるべく関わらないようにしていますが、学会とかに行くと挨拶ぐらいはしなければいけないので本当に憂鬱になります。

いずれにしても、弁護士の現場の知恵というのは他の場所でも役に立つことがよくわかりました。私もそれなりの事務仕事や組合活動の現場にいて、交渉したりする立場にもいますので、やっぱ、これでよかったんだと思うところもあって、本書には大いに勇気づけられました(去年出した本に関して、通読してもいない人から思い込みに基づいた批判を受けたことがあって、弁護士の仕事ということについてはちょっと気になっていましたので)。

他にも面白い箇所がたくさんあります。有志はお読みください。私も今後の交渉や研究にしっかり役立てたいと思います。

(PHP新書2007年720円税別)


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2010年8月28日 (土)

島田紳助『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛するー絶対に失敗しないビジネス経営哲学』

どうして繁盛するかというと「みんな、オバチャンの気持ちが嬉しいのだ」(132頁)と著者は言います。人に喜んでもらってみんな幸せになろう、というのが著者の経営哲学で、熱い著者の気持ちが素直に伝わってくる本です。

著者はこれまでに手がけたサイドビジネスをすべて成功させてきたそうですが、それだけのことはあります。テレビでも、人の気持ちの細かいところまで気がついて、絶妙な気配りをする著者の司会は見事だと思いますが、ビジネスに活かすとこういうことになるのですね。

実際、著者の何が儲かるかということについての着想とその論理実例は本書でも惜しげもなく披露されています。

ビジネスを離れて考えてみても、お役人や大学の先生なんかに典型的に欠けているのが、この著者のような人間観察力と気配りではないかなあと、本書を読みながら感じた次第です。

著者は「人の心を動かす」ことが大好きだと言っています。「誰かが喜んだり笑ったりする顔を思い描けば、アイデアはいくらでも湧いてくる」(9頁)とも。そういえば授業のアイデアなんかもそうです。まずは自分の仕事に活かさなければ。

個人的にはとりわけ「顧客満足度より従業員満足度」(29頁)というところが面白いと思いました。つまり「顧客満足度を高めるために、従業員満足度を上げる」ということで、「根本のところで、みんなが幸せにならなきゃ意味がないということを、経営者がいつも真っ先に考えているかどうかだ」(35頁)ということです。

確かに、いい企業はこれをしっかりやってくれています。多くの経営者に読んでほしい本です。そうしたら、オフィスに入るだけで気の毒になるくらい暗い雰囲気の会社というのが、少しでも少なくなる気がします。

(幻冬舎新書2007年700円+税)

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2010年8月27日 (金)

奥田英朗『家日和』

人を見る目が温かい作家です。でも、怖いくらいよく世の中を観察して、登場人物として感情移入されているのも特徴です。よくもまあここまで調べたりこだわったりしているものだと感心させられる箇所がいくつもあります。

この短編集は人が和む場所について書かれているという点で共通しているようです。かなり笑えて、ほっとして、ときにしみじみと、ちょっと切なかったりもして、いい短編集です。

作家とちょっとばかり等身大のようなキャラクターも出てきて笑わせてくれます。「愚にもつかないお笑い小説」を書く「奥山英太郎」という作家や、ロハスに凝る妻や近所の人たちをからかって書いてしまって進退窮まりそうになるN木賞作家とか、あるいは夫が無謀なビジネスに手を出すと決まっていい作品を書くイラストレーターなんかは結構切実なリアリティがあるように読めます。

まあ、これも計算の上でしょうから、この作家のエンターテイナーぶりは見事だと思います。読むたびにすごいなあと思わされます。

解説が益田ミリの漫画になっていて、これがまたいい感じです。漫画による解説なんて初めて見ましたが、結構いいものですね。

(集英社文庫2010年476円+税)

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2010年8月25日 (水)

米原万里『終生ヒトのオスは飼わず』

無類の猫好き、犬好きだった著者の飼育日誌と自伝的エッセーです。それにしても可愛い犬猫たちを残して先に逝ってしまうことになるとは、著者もさぞかし心残りだったことでしょう。

ヒトのオスも飼っておけば、また新たな展開があったことでしょうに。ファンとしてはそちらのことも残念な気がします。ただし、ヘンなオスだったらかえって命を縮めることもあったかもしれませんが。

本書に登場する犬猫たちはどれも個性的で愛らしく、写真が載っていることも手伝って、犬猫好きにはたまりません。

著者の目撃した猫の生態で、猫の「円卓会議」というのが本当にあることがわかりました。エリオットの「キャッツ」みたいなことは実はかなり猫好きな詩人の想像力だけでなく、観察に基づいてもいたのかもしれません。それにしてもどんな情報を交換しているのでしょうね。

犬猫についてだけでなく、米原家のユニークなご両親や祖父の話も面白かったです。戦前からの共産党員として16年間「地下に潜っていた」父親が、家の防空壕に16年いたのだと思い込んでいた著者の少女時代のエピソードは笑えます。

また、東京外語大学のロシア語学科出身者は成績順に1.外務省、2.マスコミ、3.商社の順序に就職していくそうですが、20年ほど経過するとロシア語力という点でこの順序がきれいに逆転するという話は興味深かったです。

コミュニケーションの切実さに比例するのではないかと著者は言いますが、外務省なんかが一番ぬるい仕事をしているということにもなりそうです。学校時代の成績はいつまでももたないということでもあるのでしょう。

結局はきっちりと勉強し続けた人が勝つわけですが、仕事をし始めてからが勝負だよというたとえ話として、授業でも使わせてもらうことにします。

大学入試や卒業での成績、あるいは司法試験や公務員試験の成績が一生ついて回るといった世界もありますが、現場での実力は現場でしか養えません。そのあたりがもっと風通しがよくなると、本当に優秀な人たちが抱える閉塞感が取り払われて、多少なりとも雰囲気が明るくなるのではないでしょうか。

(文春文庫2010年495円+税)

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2010年8月23日 (月)

曽野綾子『最高に笑える人生ー夜明けの新聞の匂い』

久しぶりに著者の本を読みました。いつもながら、本当によく世界中の貧困と悲惨の現場を見て歩いている人だと感心させられます。

本書の元となる連載の執筆当時でもすでに70歳を超えていたと思いますが、インドやアフリカやイスラエルの紛争地帯などに出かけていく情熱はちょっと真似できないものです。

そして、その中で考え抜いた言葉が確かな光を放っていて、これまた感心させられます。たとえば、

「誰でも、たとえ心にどんな悲しみを持っていようが、うなだれずに普通に背を伸ばして歩き、普通に食べ、見知らぬ人に会えば微笑する。それこそが輝くような老年というものだ。馬齢を重ねたのでないならば、心にもない嘘一つつけなくてどうする、というものだ。この内面と外面の乖離を可能にするものこそ、人間の精神力なのだろう。それは雄々しさと言ってもいいかもしれない」(17-18頁)

という具合です。よく人間を見つめてきた人だけのことはあります。すぐにあれかこれかで決め付けようとする幼い精神の対極にある精神が語られています。他のところで著者はこうも書いています。

「その双方が真実なのだ。真実の反対がまた、真実なのだ。そのまことに困った当惑や疑問や矛盾をそのままにできうることが、むしろ人間の精神の幅や厚みであり、勇気というものなのだろう」(99頁)

こういう精神をもった老人にならなければいけませんね。

ところで、著者が旅先で見た現実というのは、大蛇アナコンダに呑まれて死んだ人の話であり、アマゾン中流域のある地域に捨てられたハンセン病患者の様子であったりします。著者が働いてきた「海外法人宣教者活動援助後援会」という団体は、普通の旅行者が行けないようなところにも行かなければならないので、そうした情報自体が実に貴重なものです。

ブラジルのあるとんでもない貧困家庭について、著者はこう言います。

「この一家には未来がない。だから現在の、この瞬間が大切だ。未来に期待することもない代わり、未来に絶望する方法も知らない。それが現実というものなのだ」(125頁)

アランのエッセーを思わせるような、じっくり考えられた味わい深い文章です。

(新潮文庫平成16年400円+税)

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2010年8月22日 (日)

斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』

この百年の冠婚葬祭マニュアルを分析し、今後のあるべき姿を模索した本です。参考文献の数が半端ではありません。この徹底ぶりは凡百の学者をはるかに凌いでいます。

冠婚葬祭というのは、本来ならあまり大ぴらにするのもはばかられるような諸儀式を含むものですから、伝統的な習俗・慣習として存在してきましたが、歴史を振り返ると、元来あまり確固たる根拠もなく適当に行なわれてきたものが少なくなかったことがわかります。

とりわけ葬儀などは遺体の処理に困るわけで、埋めたら終わりだったり、墓石とは別のところにまとめて埋めたり、風葬にしたりで、明治民法の影響で初めて家意識が強調されたところから「先祖代々の墓」というのが登場します。日本人が遺骨にこだわるようになったのも第二次世界大戦以後のことだと言います。

明治憲法から日本国憲法に変わり、民法も改正され、法律上は廃止された家制度は戦後になっても意識の中で中途半端に残ったと著者は言います。大勢の兄弟の中の長男が高度成長の波に乗って一財産作ることができ、親の面倒を見たこと、専業主婦という生き方が可能になったこと、戸籍制度自体は存続したことなどがその原因とされます。

要するに「家」を継承する環境が揃っていたということなのですが、著者はさらに恋愛結婚が広まり、「愛している」がゆえに結果として家を継ぐという形になったことも指摘しています。このあたりは実に鋭い見方です。

著者はさらに、当時の超ベストセラーだった塩月弥栄子『冠婚葬祭入門』(光文社カッパブックス)の影響により、人びとに「『入門』の説くことがすべて正しい掟であるかのような錯覚が起きてしまった」(87頁)と指摘します。

テキトーにやっていたものが「作法」や「マナー」や「常識」だという威圧的な表現で小うるさく言われると、誰しもそれに従わなければならないような気になってくるというものです。

しかしそうしたことが可能だったのは、経済成長とベビーブームがお手々つないでやってきた時代だったからです。皇室典範をモデルにした男系男子相続モデルは、少子化で不況の今日、もはや皇室においてすら維持できなくなってきているのは周知の通りで、すでに世の中では「双系制」社会が始まっていると著者はみています。

家がどうしたというより、とにかく近くに住む親類の面倒を誰かが見なければというのが差し迫った問題だからです。夫の親とかそういったことにこだわっている暇はないのです。

いずれにしてもこれから冠婚葬祭の形は変わっていくでしょうし、本書の後半部は具体的な新しい制度の紹介と助言がたくさんあって参考になります。結婚と同時に一方が姓を変える現在のシステムを本当にどっちでもいいと思っている人なら、妻の制を選んではどうかという提言や、香典袋の中にお金と一緒に「香典返しは不要です」と一筆書いて入れておくといったアイデアは面白いと思います。

著者は、いわゆる「野垂れ死に」を望む人でも、遺体を処理する費用として最低でも20万円は所持したまま亡くなるように、とも述べています。そうですよね。自分でも心しておきましょう。なお「行旅死亡人」として処理されないためには身分証明書も必携ですね。

いつもながらおそるべき本です。

(岩波新書2006年740円+税)



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2010年8月21日 (土)

呉善花『韓流幻想 「夫は神様」の国・韓国』

韓流ブームたけなわの頃に書かれた『日韓、愛の幻想』を文庫化にあたって改題した本です。

韓流ドラマブームについては、当時私自身は怪訝に思いながら何となくやり過ごしてきましたが、それでもかの「冬のソナタ」やその他いくつかのドラマは見たことがあります。

あの手のプラトニックな純愛の少女漫画的ドラマはとりわけ日本でブームになったのにはそれなりの理由があり、それが、今はなき日本へのノスタルジーだったという著者独特の分析には、なるほどと思わされるところがありました。

日本人が今はなくなってしまった日本的なものを韓流ドラマの中に見出していて、韓国の方はずっと以前から海賊版の日本ドラマや少女漫画を韓国のものと信じて、無意識のうちに絶大な影響を受けていたという込み入った話です。

でも、言われてみればそうかもしれません。発禁本のように、文化は禁じているとかえって浸透するというのは本当でしょう。かつて発禁になった伊藤整訳『チャタレイ夫人の恋人』などはおそらく各家庭に一冊はあったのではないでしょうか。

日本と韓国を比較すると、まるで合わせ鏡のようにそれぞれが自分の姿を再認識できるというのが著者の主張です。本書にも一見対照的な両国の文化を比較することで見えてくる興味深い話がたくさん登場します。

韓国の結婚生活の実態は友人の在日韓国人たちの家庭の話とも符合します。ただ、恋愛では猛烈にアタックする情熱的な韓国人男性が、結婚したら浮気三昧で暴力亭主になることが多々あるというのは、文化の違いではあっても、女性からしたらもうちょっと変わってほしいところでしょう。

また、男女ともに整形手術に抵抗がない国柄だというのも日本人からしたら不思議ですね。大統領自ら整形するくらいですから。

比較文化論の副読本として、学生たちにも是非勧めたいと思います。

(文春文庫2008年552円+税)

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2010年8月19日 (木)

萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』

かつて福田恆存を集中して読んでいたときに、旧仮名遣いの大よそを理解できたつもりになって、友人人に旧仮名遣いの手紙を書いたりしていたことがありますが、書いていて気持ちが良かったという記憶があります。

本書はその福田恆存の『私の國語教室』の立場を踏襲しながら、その復興を提唱する本です。仮名遣いと古典文法との関わりと、その合理性を平易に解説してくれていて、高校までの古典文法の知識も整理されるので、高校生にもおすすめの本です。

一見無味乾燥な高校受験の知識も旧仮名遣いのシステムを知ることによって古典の世界の扉を開くことになるのですから、中学・高校で学ぶ知識もなかなかのものです。問題の一つはその関連を示唆してくれる教師があまりいないことでしょう。

それはともかく、新仮名遣いを推し進めた戦後のインテリたちの主張は、盲目的な西洋崇拝の典型で、今読んでみるとおもいっきり噴飯物ですが、よく考えてみると、今も業界は違えどもその種のインテリの姿を至る所で目にします。

今やパソコンで文章を書く人も圧倒的に増えていますし、何より出版業界で電子写植をしないところはない時代なので、いっそ旧仮名旧漢字に戻してはどうですか。進化な導入当時、仕事が楽になるというので、新聞や出版業界はこぞって賛成したという過去があります。

それがここまで文化の破壊につながるとは考えてもみなかったことでしょう。詳細は本書をご覧ください。旧漢字の合理性もしっかり解説されています。

ここで中国が旧漢字に戻してくれると、中国大好きの日本のマスコミが先頭切って右に倣うことになると思いますけど、どうでしょう。

(幻冬舎新書2007年760円+税)

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2010年8月14日 (土)

斎藤美奈子『文章読本さん江』

著者の力量が遺憾なく発揮された本です。これまで文章読本を書いた誰よりも、批評家として鋭く、文章家として見事です。著者のいつもながらの毒舌は、本質を射抜くような批評眼の冴えによるものだということがよくわかります。

そもそも文章読本という現象を批評するという著者の目の付け所がスゴい。著者によれば、谷崎潤一郎から井上ひさしに至るまでの文章読本の著者はみんな「ご機嫌」なのです。

著者は皆、文章の世界で自他共に認める大家か、あるいは自分でその仲間入りをしたと思っている御仁なので、人様にものを教える立場に立てて陶然としているのです。著者はこれを「キャリア自慢のエリート職人集団」と呼びます。

さらに著者は、文章読本には「目には見えない階層構造が隠れて」いて、それは「話すのはかんたんだが、書くのはむずかしい」(145頁)という価値観だと言います。

だから「文章読本に浸っていると、文章が書けるのはたいへんに偉くて誇らしいこと、書けないのは恥ずかしくて情けないこと、のように思えてくる。これがそもそものまちがいかもしれない」(162頁)ということになるわけで、やっぱりそれはまちがいでしょう。

「文は人なり」という信仰が文章読本の中では生き残っているので、いい文章はいい人間の証拠みたいに考えたら、読者は人格評価の差別的価値体系の中に追い込まれてしまいます。

著者はそのあたりの事情を「人文一致」と呼び、その場合、文章のテクニック=レトリックを否定し、書く楽しみ、工夫する楽しみを奪うことになると指摘します。

著者はさらに歴史的に学校作文のあり方にさかのぼり、実用文と文芸作品の書き方を補うために、文章読本が誕生したという経緯を述べながら、戦後の学校作文が私小説化したり、エッセイ風の体裁になったりする傾向を読み取っています。

そうしたらまた、文章読本は学校作文を否定する形で、たとえば「あるがままに」書くのはやめよう、という主張で清水幾太郎や三島由紀夫の本が登場してくるわけです。

著者は社会学者や経済学者以上に社会科学的分析のセンスがあります。その手の専門の本も学生時代にしっかりと、批評の対象として読み解いていたのではないかと思われます。もしも著者が研究者になっていたら、同業者が皆かすんで見えてしまったことでしょう。

大学の先生なんて著者のアイデアの十分の一も持たないまま、つまらない論文をぼちぼちと書いているならまだいいほうで、そもそも書けないのではないかという人が少なくないのですから、情けない話です。

もちろん私にとっても他人事ではありません。他所から見たら同じバカの仲間ですから。でも、いずれはこの状況から脱出するつもりで力を蓄えておくつもりです。

(ちくま文庫2007年780円+税)

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2010年8月12日 (木)

日垣隆『知的ストレッチ入門 ―すいすい読める 書ける アイデアが出る―』

2006年の単行本の増補文庫版です。文庫になって7章と8章が増補されています。iPhoneとTwitterあるいはキンドルなどの最新のメディアについての基本的な考察が付け加えられました。

たくさん本を読んで、調べて、考えられるだけ考えて書くという著者の方法は極めてオーソドックスなものですが、その量たるや出入力ともに凄まじいものがあります。

なにしろ一日に20冊以上読んでしまうこともある人ですから、量の点では真似できませんが、私も以前から少しでもあやかりたいと思ってきました。本書にはそのコツも惜しげもなく披露されています。もっとも、コツというのはそもそも会得するのが簡単ではないのですが。

さらに本書では手帳や本棚、机や電子辞書などにも具体的に触れられていて、そうした便利グッズのことを考えているだけでも、多少は著者にあやかることができそうな気分になれます。iPhoneとKindleは買おうかな。

ちなみに、実は私もキンドルんついてはすでにPC版をダウンロードして使っていますが、ベーコンやミルの著作集なんかでもあっという間にダウンロードできて、値段も5ドルくらいですから、確かに革命的です。

一般的な英語の本だったら、図書館に足を運ばなくてもどうにかなります。今日において知識はどんどん有機的かつ密接に関わっていく時代を迎えているようです。プロと言われる人たちは肩書きに頼るのではなく、常に自己研鑚を怠らず、内容で勝負しなければ、あっという間に嘘がバレる時代になったということでもあります(もうなっていますが)。

少なくとも、横のものを縦にするだけでその道の専門家のような顔をしていたかつての大学の先生タイプの知識人は、もはや立つ瀬がないところにまで追い込まれています。幸いにも彼らを雇うマスコミ自体が記者クラブ的談合体質にどっぷり浸かっているため、まだまだ生き残っています。

しかし、新聞の宅配システムが崩れ始め、人びとのテレビ離れも進んでくると、つまり、マスコミが力を失ってくると、こうした希少生物もいずれは姿を消すことでしょう(そうした知識人を供給する大学というのは、マスコミ以上に危ないのですが)。

それはともかく、新しいメディアを扱っても、おっちょこちょいな予言をしては大外れする評論家が少なくない中で、本書は最新でかつ今後長い間にわたって古びない本だと思います。

(新潮文庫平成22年514円+税)

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2010年8月 9日 (月)

蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語』『日本人の知らない日本語2』

これ爆笑ものです。漫画の絵も可愛くて実に良い感じです。日本語学校での大笑いのエピソードが日本語の蘊蓄とともにまとめてあって、勉強になります。

わたしも日本語教育とは留学生別科の教務主任という形で間接的に関わって、かれこれ8年になります(日本語を教えていたときもあります)。日本語学校と違って、どちらかというと実利的な中国人学生がほとんどという環境なので、残念ながら、本書に出てくるような日本文化やアニメに惹かれて日本にやってきたヨーロッパのオタク系学生はあまりいません。それでも、アニメを通じて会話が抜群に達者になった留学生はちらほらいます。また、コバルト文庫を何冊も読破して試験で満点に近い成績を上げた学生もいました。日本のサブカルチャーの力は偉大です。

本書では「お控えなすって」と挨拶をする高倉健ファンのフランス人マダムとか、「先生は忍者ですか、武士ですか」と聞いてくる時代劇オタクのスウェーデン人とか、ルパン三世の出で立ちのアメリカ人とか、もうホント面白すぎです。

そういえば、わたし自身のささやかな経験でも「何かろくなものはありますか?」という日本語に一瞬戸惑った覚えがあります。ろくでもないとか、ろくなものはないとか、「ない」とセットで使いますが、単独の肯定表現は使わない言葉だったかと、そのとき気がつきました。

しかし、そう思っても、過去の用例を調べるとあったりするかもしれません。そのあたりが日本語教師の悩ましいところなのでしょう。由緒正しくても、今は使わないという言葉もありますしね。

ネイティブ日本人であっても、何十年もの長い在外生活では次第に日本語が変質し始めます。本書にも外国の日本語教科書の異様な表現が載っていますが、そんな本でも一応ネイティブチェックは受けているはずなのです。

私もかつて外国の日本語教科書で「そんな子どもらしいことはやめてください」という例文を見てたまげたことがあります。それを言うなら「子どもじみた」とか「子どもっぽい」でしょう。

しかし、戦前の小説やエッセーには、この意味で「子どもらしい」という表現が見られないこともないのだと後で気がつきました。まあ、今は言わないこんな言葉にしてもそれなりに奥行きがあるようで、本当に日本語畏るべし、です。

ところで、先日英語を教える同僚の先生と、世界に蔓延する間違い英語(ネイティブの感覚でヘンな英語や爆笑英語)をブログで募集して、それを日本語で解説して本にしてはという話になりましたが、それでもここまで売れる本にはなりそうにありません。ところでその先生はブログを始めているでしょうか。英語でブログを作るのは面倒くさいとか言っていると、誰かに先を越されてしまいそうです。

(メディアファクトリー2009年、2010年、各880円税別)

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2010年8月 7日 (土)

日垣隆『ダダ漏れ民主主義 メディア強者になる』

ブログやツイッターを通じて、政治家のオフレコの話がどんどん漏れてしまうというのは、民主主義にとって慶賀すべきことなのかも、という本です。新聞やテレビなどの旧態依然のメディアの凋落ぶりと併せて、今後考えておかなければならない問題が可能な限り提起されています。

いつもながら、ヘェーっと思わされたことを以下に挙げてみます。

・1970年代までの社会党も共産党も「自衛隊は違憲だから存在しない」として、「存在しないものの予算審議には応じられない」という論理をかざし続けて、自民党単独政権時代に何のチェックも入れず軍事予算を増やし放題にした(7頁)。
・故吉行淳之介には何人もの愛人がいて、奥さんも含めて4人が没後に本を出している。ちにみに宮城まり子は愛人だったんですね。奥さんだとばかり思っていました(93頁)。
・石原慎太郎は都知事選の最初の立候補表明直前に、某誌編集長を拝み倒して隠し子の件を伏せてもらっていた(174頁)
・精神鑑定人として著名な福島章氏は先般無罪が確定した菅谷利和さんについて54頁におよぶ精神状態鑑定書を作成し、被告人が性障害で「小児性愛者」であると強引に結論づけている。「福島先生、あなたの辞書には反省という文字はないのですか」と著者は述べています。(200-201頁) 温厚な紳士然とした外見の人ですが、結構な悪人だったようです。
・帝京大学の吉井富夫講師は、警察庁の科警研や東京歯科大学が不可能とした横田めぐみさんの遺骨のDNAの個人識別に唯一成功したことになっているが、この結果は今もって誰も検証していない。英国の科学雑誌「ネイチャー」なども疑問を表明している。吉井氏は現在警視庁の科学捜査研究所に移籍しており、この遺骨問題については完全に箝口令が敷かれている(207-208頁)。相手が北朝鮮だからといって科学を無視するのはやはりおかしいでしょう。

今やいろんな人が様々なニュースの現場に自ら出向いて体験し、可能なことには参加するようになってきました。不特定多数の大勢がリアルタイムで参加できるメディアがすでに登場して久しいのです。

そこでどうすればいいかというと、著者は「そんなものは簡単である。よく本を読み、優れた人の話を謙虚に聞き、実際に行なわれている現場に足を運ぶ。それだけのことを厭わなければいい。人並みの才能しかなくても、その才能に全力を傾注し、他人の小さな工夫を何十か何百かを取り入れていけばいいだけだ。そうすれば必ず収入は増え、代替可能な労働時間は激減してゆく」(247頁)と言います。

そうかもしれません。やってみなきゃわかりませんが、勇気づけられる本です。私も10月くらいから多少自分の時間を作り出すことのできる勤務形態に変わる予定です。がんばってみます。当面収入は増えないでしょうけれど。

(講談社2010年1000円税別)

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2010年8月 5日 (木)

土屋賢二『貧相ですが、何か?』

「若いうちは金がない。中年になると時間がない。老年になると元気がない。もっと年をとると命がない」なーんてことがたくさん書いてあります。それから、助手との会話というのが、いつもながら独特のボケ方とズレ方で笑わせてくれます。

「君は新聞を読んでる?」
「読んでません」
「新聞なしで困らないか」
「困りません。知りたいことは人に聞きますから」
「いい年をして他人に頼りっぱなしなのか」
「先生だって新聞に頼っているんじゃないんですか。たいてい大人の意見って、新聞の受け売りでしょう。自分の意見まで新聞に頼ってるじゃないですか」
「自分の意見より気が利いているんだから仕方ないだろう。君だって人に聞いたら正確な情報が得られないだろう」
「でも新聞だって誤報があります」
「私の誤りに比べればたいしたことない」
「捏造記事もあるし、偏向記事もあります」
「私の捏造と変更は新聞よりずっとひどいんだ」
「新聞の擁護より、ご自分の悪口になってますよ」(188-189頁)

こんなことをいつも考えているとしたらスゴイ人です。連載の締め切り前に突然考えるとしてもなかなかこうはいかないでしょうし、なにより著者の専門の哲学や論理学と両立しているのだから、頭の構造がどうなっているのか知りたいものです。

(文春文庫2009年476円+税)

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2010年8月 4日 (水)

空海『三教指帰』加藤純隆・加藤精一訳

放蕩息子を改心させようとして、最初に儒者が、次に道教の道士が説得を試み、押っ取り刀で登場して息子を納得させたのが仏教者だったという、戯曲仕立ての不思議な本です。この芝居っ気は相当のものです。プロパガンダっぽくならない効用があります。

とりわけ後半に登場する賦(詩)は訳で読んでも鮮やかなイメージが呼び起こされます。原文の訓み下し文も実に調子が良くて、空海の詞藻の豊かさが窺われます。ちょっと格好良すぎて危なっかしい感じもしますが、若さと相俟ってのことでもあるのでしょう。

ただ、いつものことながら空海の本は、ポイントとなるべき仏教の中心思想が「これ」という感じで表現を与えられているわけではないので、本当にわかろうとするなら、密教の修業をするべきなのでしょう。その点では普通の思想家の本とは異なります。注意が必要というほどではありませんが、常識の範囲でそう考えておくのが本書の自然な読み方だという気がします。

本書は空海の略伝や解題も丁寧に書かれていて有益です。一家に一冊置いておきたい本です。

(角川ソフィア文庫平成19年667円税別)

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2010年8月 3日 (火)

日垣隆『手作り弁当を食べてる場合ですよ―格差社会を生き抜く処方箋』

副題にあるとおりの本ですが、思えば格差というのは著者も言っている通り、それがない場合は共産主義的な支配体制にいるわけですから、格差があるのは健全だと、きょうび言いにくいことをスパッと言ってくれています。
 
マスコミは「国は格差問題を何とかしろ」と人びとに言わせたがっているのが見え見えですが、著者はそうした態度を「個人の努力と工夫を軽んずる発想から抜け出せない」(15頁)ことの現れとみています。だから「そう言い募る人々は、たいていお金に苦労したことのないボンボン議員か、世間知らずの学者か、エリート似非研究者でしょう」(同頁)とも言っています。なるほど、確かにその通りの実例をいろいろなところで目にします。

むしろ「全体が元気をなくしている時だからこそ、行動力のある個人は突出しやすい、という事実を肝に銘じましょう。そうして新たな事業や雇用を作りだす個人(企業内の個人も含めて、です)が増えることこそ、不況脱出への近道だと知りましょう」(同頁)。そのとおりです。

元気が出る本です。いつもながら目からウロコの事実の指摘がたくさんあります。また、最後の章は「激変時代に読みたい10冊の新書」とあって、うち8冊は未読でした。これから読みます。中には島田紳助の本も紹介されていて、面白そうです。紳助はこれまで事業をすべて成功させてきたそうです。あれだけいろんなところに気がつく人ですから、経営のセンスもきっと抜群なのでしょうね。

(角川書店2010年724円税別)

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