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2010年9月29日 (水)

内田樹『街場のメディア論』

いい本でした。内田先生絶好調という感じです。最近『若者よ、マルクスを読もう』という本を出されたわけも、本書を読むとわかる気がします。市場原理にどっぷりつかると、メディアも教育も医療も壊滅的な打撃をこうむるという現状があるからです。

市場の論理におけるお客様はとして、あるいはモンスターペアレントとして、あるいはキレやすい学生として、どんどん傍若無人になっていくことが宿命づけられているからです。

ある病院では「患者さま」と呼ぶようになってから、入院患者が院内規則を守らなくなり、ナースに暴言を吐くようになり、入院費を踏み倒すようになったそうです(77頁)。患者さまは「消費者的にふるまうことを義務づけられる」(78頁)からだと著者は言います。

学校教育では、いかに学習努力をしないで「試験のハイスコアや、見栄えのいい最終学歴を手に入れるか」(120頁)ということが賢い消費者としてのふるまいになるわけです。なるほど学力が低下するのはゆとり教育だけの問題ではなさそうです。

実際、こうした市場原理主義を根拠とする新自由主義なんかは、マルクスの視点からでないと根本的には批判できないところがあるのかもしれません。そういえば、K.ポランニーなんかはマルクスの影響の下に、市場社会を何でも潰してしまう「悪魔の挽き臼」と呼んでいました。

著者にはマルクスの他に、フロイト、ラカン、レヴィ=ストロースといった20世紀の思想家の著作を読み込んで、ユニークな考察を展開しています。それはいうまでもなく著者の思想にほかならないのですが、それは著者が思想密輸入業者ではなくて、一流の思想家だからこそできることなのです。

著者には威張ったところがありません。また、決してわかりやすい主張ばかりではないのですが、文章もわかりやすいです。一流の人はそうなんですよね。

(光文社新書2010年740円+税)

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松本道介『極楽鳥の愁い―“ない”の発見―』

著者はまっとうな日本人のおじさんの代表選手のような人で、西洋文化に媚びず、日本人としてのものの見方を掘り下げて考えることのできる珍しい知識人です。

わが国の知識人なんて、ふつうなら西洋崇拝の密輸入業者ばかりなのですが、著者はドイツ文学を専攻にしていながら、フランス文化の方に惹かれていった挙げ句、日本のよさにあらためて目覚めたという奥手の転向者みたいな人です。

本書で「日本人が無という言葉を好む民族だ」(59頁)というのは炯眼だと思います。著者は言います。「無という言葉を日本人ほど日常生活の中で頻繁に用いる民族はないと私は思っている。無という一文字だけだと禅宗のお坊さんの言葉だが、無心、無我、無欲に無垢、無常・・・と無のつく言葉をごく普通にこれだけ頻繁に使っている民族は日本人だけではないだろうか」(同頁)。

ほかにも、フランス語に啓蒙主義という言葉がないとか、ドイツという名前の国は19世紀の後半になって初めて誕生した、とか、そう言われてみれば、確かにそうだということに著者はしっかり気がついて、考え抜いているところが魅力です。

著者が評価するヴォルテールやウォーレス、ホフマンスタール、立川志の輔の「歓喜の歌」、吉村昭『生麦事件』はどれも面白そうです。伊藤若冲に対する評価も高いので、嬉しくなってしまいました。これから読んだり聴いたりするつもりです。

著者の文章はこ難しいところがなく、かつリズムがいいので、読んでいて快感を覚えます。未読の方はぜひ一度お読みください。

(鳥影社2010年1900円+税)

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2010年9月27日 (月)

斉藤美奈子『文学的商品学』

30年ほど前のことですが、小津安二郎の映画が国立近代美術館フィルムセンターで連続上演されていたとき、毎日足繁く通って、かなりの作品を観たものです。そのとき、同じ頃に撮影された映画の小物が共通していたりするのに気がついて、たとえば緑色のホウロウびきのヤカンなんかが妙に印象に残った記憶があります。

映画はともかく、作品のテーマに関わるものではないところの描写もまた楽しめてしまうというのが、著者の目の付け所のユニークなところです。各章のタイトルだけでも中身が想像できます。

たとえば「アパレル泣かせの青春小説」「ファッション音痴の風俗小説」「とばす! オートバイ文学」「人生劇場としての野球小説」といった具合です。渡辺淳一の『失楽園』なんてのは著者のファッション音痴度があからさまになって、無様さが引き立ちます。

著者は辛口の批評ばかりではなくて、ほめるべきはきっちりほめていて公平な感じです。要するにしっかりと読んで読者の立場から書いているという当たり前のことが、できていない人が多いだけに、新鮮なのです。評論家や学者でも勉強不足の人は山ほどいて、読まずに批評するとは以前も書きましたが、そんな人は一見描き方は派手ですが、結局世評にしたがっておけばいいだろうという安易な評価しかしないことが多いようです。

本書で紹介された本で著者の評価が高く、読んでみたいと思ったのは、清水義範『12皿の特別料理』、浅田次郎『プリズンホテル』、町田康『夫婦茶碗』、ビートたけし『草野球の神様』などです。今後の読書リストに入れておきます。

(文春文庫2008年600円+税)

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2010年9月25日 (土)

日下公人『デフレ不況の正体』

この世に評論家を名乗る人は多くても、著者くらいユニークな発想をする人はいません。どこからこのぶっ飛んだ発想が出てくるのか、いつも驚かされます。

著者はかつてアメリカで、自由の女神と同じものを日本はロサンゼルスに寄付すると言ったことがあるそうで「アメリカは自由の国、平等の国と言っているのだから『平等の女神』を日本はロサンゼルスかサンフランシスコに建てるから、有色人種を受け入れよ」(45頁)と。

こんなことを言う前に、そもそも発想できないのがほとんどの日本人ではないかと思いますが「英語の上手い日本人で、アメリカで何か得をしようと思っている」(同頁)連中は発想自体が凡庸なアメリカ人になっているので、ますますいけません。

だから、クルーグマンの言うことを真に受けて、インフレターゲットを掲げれば、たちまち景気が浮上し、財政赤字がなくなると説くような竹中平蔵や最近では勝間和代のウソが簡単に見破れるのでしょう。要するに「資金需要がないときは、いくら貨幣を刷っても効果がない」(61頁)というわけです。

また、冷戦崩壊直後のソ連から原爆2万4千発をまとめて買い取って、原子力発電所で燃やすという案は、実行されていたら面白かったでしょうけれど、今からでも検討して損はないことです。こういうことをとりあえず検討してみて、政策にさまざまなオプションがある状態にしておくことが、いざという時に役に立つ構想力と決断力を養うのだと思います。

ほかに、子どもや胎児にも投票券を認めて親が代行するという案(127頁)にも感心させられました。そうすると、子どもの未来を心配して、長期国債の発行を控えるといった、目先の利益にとらわれない投票行動が期待されると言います。

で、結局、わが国が近代化の中で捨て去ってきた、しかし、まだまだ残っている情感やモラルといった、お金で買えないものに対する価値観を回復させることが肝要なのでしょう。そうすれば、人びとが何にお金を使うかが見えてきます。

そして、そのことによって、すでにそんなものを失ってしまったかあるいはまったく育ててこなかった世界に対して、江戸時代の人びとが世界を驚かせたように、人びと自身が身をもって示すことができるようになるというわけです。

以前、犬山市のテーマパーク「明治村」に行ったとき、復刻版の小学校用修身の教科書を見つけました。弱い者いじめはやめましょうとか、当たり前のことが当たり前に書いてあって、これが結構感動的でした。本書を読みながらふとその記述が目に浮かんできました。どうやら昔の人びとがすでにやっていたことに、かなりのヒントが隠されているように思います。

頭をいろんな角度から刺激してくれる本です。

(KKベストセラーズ2010年1400円+税)

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2010年9月23日 (木)

小松秀樹『医療の限界』

わが国の医療制度が崩壊寸前の状態にまで来ているということがわかります。何らかの制度的解決が図られなければなりません。市場原理に任せておくとアメリカのように、簡単な盲腸の手術で一日の入院で住んでも243万円もかかる(161頁)ようになります。ちなみにアメリカの乳児死亡率は貧しいキューバよりも高いとも(同頁)。

医療制度に限らず、社会制度を改革するには、まずは全体を見通せる洞察力とそれを支える教養が必要ですが、著者はこの点で要件を十分満たしています。実に勉強家で、さまざまな分野の勉強をされていて、冷静かつ公平なものの見方ができる人です。

法律学にとっての手続法の重要性が、まさか本書で強調されているとは想像しませんでした。しかし、簡にして要を得た記述で感心させられました(第3章「医療と司法」)。医療事故については、著者は「事故調査機関の調査結果に絡めて、民事裁判の第一審に相当する判断を下す専門機関が必要だ」(201頁)と主張します。賛成です。

マスコミが医師や看護師を感情的に標的にし、検察も世論に敏感に反応し訴訟に持ち込むようになると(そうなって久しいのですが)、看護師が爪を剥がしたというような話になったりするわけです。

劣悪な労働条件の中で、わざわざ標的になるために医療に従事する人は、いずれいなくなります。村木さんも復職されたことですし、苦労された経験を活かして、さらに職域を広げ、この辺の問題を扱ってくれるといいと思うんですけどね。

(新潮新書2007年700円税別)

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2010年9月22日 (水)

米原万里『不実な美女か 貞淑な醜女か』

著者のデビュー作で、通訳・翻訳にまつわる様々な考察と大笑いのエピソードが満載です。同時通訳としての失敗談や業界の内輪話、それに彼女お得意の艶笑小咄もあり、のちの米原ワールドが凝縮されたような一冊です。

タイトルの「不実な美女」というのは、原文から離れた見事すぎる翻訳のことで、「貞淑な醜女」とは、原文に忠実なあまり、日本語として体をなしていないそれのことです。

文学作品の翻訳なら「貞淑な美女」を目指すのもありだと思います(現実にはごくまれにしか存在しないような気がします)が、同時通訳という時間内で連続技を決め続けなければならない世界では、最初からこの二人の間に引き裂かれた存在にならざるをえないようです。

それでも著者は通訳者の立場を「『両者のコミュニケーションは私がいて初めて成立している』と実感する時、狭量な自我は二つの異なる宇宙をつなげる、より広大な世界に拡散されるような吸収されるような快感がある・・・冷媒の恍惚感に通じるものかもしれない」(307頁)と形容しています。

本書では、言葉という摩訶不思議な世界がロシア語通訳の立場から徹底的に語られますが、へぇーと思ったのは「肩凝り」という言葉を持つ日本人は、肩が凝るが、この言葉を持たないヨーロッパ人の多くは肩が凝るという感覚を持たないというところ(73頁)で、比較文化論の授業に使えそうです。

また、「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざに対応するロシアのことわざは「肉を食うと風邪をひく」だそうで、彼女の好きな話題による因果関係の連鎖です。男性にのみあてはまる現象です。興味のある方はご一読を。

絶筆となった2006年の読者への返信が収録されています。彼女の誠実な人柄が偲ばれます。若くしてお亡くなりになって、本当に残念です。

(新潮文庫平成22年23刷514円税別)

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2010年9月20日 (月)

斎藤美奈子『麗しき男性誌』

女性誌というのはありますが、男性誌というのは思えば耳慣れない言葉で、著者の目の付け所がこの時点ですでに興味をそそります。週刊新潮や文藝春秋のような一般誌からはじまり、メンズクラブや週刊ゴルフダイジェストそして、結果として男性読者がほとんどで、編集も女性読者をとりたてて意識していないヘラブナ釣りや鉄道あるいは兵器などの雑誌も含みます。

著者が言うように「男性誌に限らず、雑誌というのは一種のサークルみたいなところがあって、常連の読者からすると美点も欠点も知り尽くした旧知の間柄、あうんの呼吸だけでわかりあえる空間」なので、まあ、そこが面白いところです。ひみつ結社みたいに団結して同じ服装で呼吸を合わせたりしているところもあるんです。

また、同好の士の背後には情報を共有する雑誌が必ずといっていいほどあるので、田舎ものが参入するのにこれほど良い教科書はないのです。昔、横浜球場で行なわれたRCサクセションのコンサートに行ったとき、みんなどこで買ったのか同じような月亭可朝がかぶるような帽子をかぶっていました。あれも教科書があったのでしょうか。

それはともかく、雑誌はしばしば流行のような社会現象をお膳立てするツールなので、その渦中から抜け出て外から見たらけったいなことをしているようで笑えてきます。大体、私が学生のころも話題と言えば女か車かみたいな連中はたくさんいましたが、その彼らの行動様式や衣装もすべて男性誌という教科書に教えられていたのでしょうね。当時はわかんなかったけど。

雑誌の特徴を比喩的に言い表すとき、著者のペンはことさらに冴えるように見えます。たとえば「年の頃なら四〇代~五〇代。若いときから妙に目配りと要領はよく、とりたてて個性的でも一芸に秀でているわけでもないのに、上には覚えめでたく下にはなれなれしく、自らのポジションをしっかり確保している人物」(51-52頁)というのは「文藝春秋」。

「メンズクラブ」は「興味があるのはひたすら自分。仕事なんか本当はどうでもいい。仕事ができるビジネスマン風に見えるボクが好き。電脳環境なんか本当は適当でいい。電脳機器に精通している風に見えるボクが好き。姿見に自分の姿を映し、前を向いたり横を向いたり、髪をなでたりかき上げたり。いつまでも、ためつすがめつしていられる男」(153頁)。

「週刊プレイボーイ」に対しては「なぜにあなたはそんなに熱い」という見出しだけでも十分笑わせてくれます。

これだけ思いっきりいいたいことを言っていても、著者の文章にはどこかかわいげがあります。殺伐とした感じにならないところが持ち味です。

しかし、今や雑誌の売り上げは軒並み落っこちて大変ですね。インターネットで最新の情報がとれるようになると、ますます雑誌の存在意義が薄れてきます。どうなるのでしょう。

新聞の方はまだ危機意識が希薄ですが、実は雑誌よりもはるかに危ない気がします。気に入らない政治家に対して共同でネガティブキャンペーンを張ったりしているようでは、Xデーも近いでしょう。

(文春文庫2007年638円+税)

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2010年9月19日 (日)

池田清彦『楽しく生きるのに準備はいらない』

自由を何よりも愛する著者は言います。「自由で上品に生きるとは、自分の努力と才覚で生き、結果に対して自分で責任を引き受けることをいう。基本的に国をあてにしてもいけないし、信用してもいけない」(40頁)。

もちろん、みんなが勝手に生きてもうまくいかないのですが、ここで重要なのが「上品さ」です。そういう生き方の原理原則はやはり必要なのですが、著者の場合、このことが実にシンプルでわかりやすく説かれています。アメリカの政治学者、法哲学者の自由に関する議論の複雑さを思うと、なーんだ、これでいいんだと思わされます。

専門の学者なこんなことをややこしく言うのが商売ですから、仕方ないですが、少しは著者を見習ってほしいものです。でも、簡単に言ってしまったら、わが国の翻訳・解説担当の学者たちがやることがなくなってしまうかもしれません。

著者の指摘でなるほどと思ったのは「人生で一番大事なのは、才能の有無ではなく、楽しく生きられるかどうかである。そこまで考えれば、楽しく生きられる、というのが、実は一番重要な才能であることがわかる」(72頁)という箇所です。

そのほかに「人を愛するということは、基本的に他人に迷惑をかける行為なのである」(206頁)という指摘も面白いと思いました。また、老人の正しい生き方(113頁)というのもありますが、これは18禁です。ここには書かないので読んでみてください。ただ、実際に実行するのは難しそうです。

(青春出版社2010年743円+税)

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2010年9月17日 (金)

平井亮輔編『正義―現代社会の公共哲学を求めて―』

本書が出た当時、著者の一人の中山竜一先生が贈ってくれた本です。贈られた手前、中山先生の書かれた最終章だけを読んで、あとは放ってあったのですが、このところ「手続的正義」について考えていることもあって、今頃ようやく全部の論考に目を通した次第です。

現代正義論の主要な論者の学説の概要と議論全体の傾向がつかめる便利な本です。大学のテキストとして使うのには適しています。ただ、この業界の人の文章は―私もその端っこのそのまた端くれにいるのですが―おしなべて実に読みにくいのです(これは傍流の私にもあてはまります。反省してます)。いうまでもなく一般読者向けにはなりえません。

比較的若い著者が多いので、難解さに開き直るほど図々しくなくて、それなりに工夫されていますが、まだまだ門外漢にとって何が理解の壁になっているのかということについての著者の配慮は不足しています。今どきの大学生にはわからないことだらけでしょう。

なお、手続的正義についてどんな議論がなされているかと思って読んでみたのですが、ロールズがただ一人取り上げているだけで、他の論者の議論には出てきませんでした。でも、それがわかっただけでも個人的には収穫がありました。ロールズの原書の該当ページも注記されていて親切です。

本書では、おそらく多くの人がどこかで一度は耳にしたことがあるビッグネーム、すなわちロールズやセン、マッキンタイアー、ドゥウォーキン、ラズ、それに最近話題のサンデルといった人びとの議論が丁寧に追いかけられています。あと、ハーバーマスなんかも。興味のある方はどうぞ。あ、中山先生は現代フランス思想について書かれていました。ここは毛色が違いましたが、そつなくまとめられていてさすがでした。

これはこういう本でいいのですが、同じ著者たちが根本的問題を一から議論した論文集というのも読んでみたいものです。この業界では難しいのかもしれませんが、たとえ学界の重鎮から生意気だなんて言われても、めげずにオリジナルの思考にチャレンジしてほしいものです。

そんなことおまえやれって言われそうですが、一応やってるつもりなのです。一部の人びとからは熱く支持されていますが・・・、またがんばります。

(嵯峨野書院2004年3000円+税)

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2010年9月16日 (木)

斎藤美奈子『モダンガール論』

明治以来の日本の女性たちが動やって「出世」を目指してきたかという本です。職業的に成功することも、家庭の幸福をつかむことも、どちらも出世です。この「欲望の女性史」とでも呼べる試みは見事に成功しています。

職業婦人として成功するにせよ、良妻賢母としての主婦におさまるにせよ、昔から若い女性はみんな夢を見ながら過ごしてきたわけですが、明治から対象にかけての女中や女工の生活の悲惨さも、ネオン街の蝶々の生態も実に良く調べてあります。

夢と現実の狭間で鬱屈した彼女たちの思いが解放されたのがなんと戦争だったというのもあらためて驚かされます。思えば、菅直人が若い頃心酔していた市川房枝が、戦前は愛国婦人会を指導していたという話は知っていましたが、本書では「保守的で頑迷な昔風の女性ではなく、前向きで活発で近代的なセンスをもった女性ほど、戦争にハマりやすい」(197頁)と喝破されています。

市川房枝はもとより、当時進歩的なことでは引けを取らなかったた羽仁もと子や奥むめおも熱烈に翼賛体制を支持していたのです。「戦争=銃後の暮らしは女性に『出世』を疑似体験させるのだ。本土決戦にならない限り、非戦闘員である女性に戦火はおよばない。それがますます好戦的な気分を煽る」(216頁)とも。

それでいて、1945年の敗戦と同時に彼女たちは「戦争中とまったく同じテンションで、こんどは復興の精神を説く変わり身の早さ」を披露してくれます。(菅直人もこの点で市川房枝の影響を受けたのでしょうね。このところの彼を見ているとつくづくそう思います。)

さて、戦後の高度成長期を経てOLやら専業主婦やらもだんだん飽きられ、近年ではキャリア・ウーマンとかスーパー専業主婦とかが女性の自己実現モデルになりますが、それらにもだんだん夢がもてなくなってきます。そして、バブルがはじけてからは今度は男女ともに先行きに不安を抱える閉塞的な今日へと至るのです。

いつもながらこの人の筆力には感心させられます。そして、その筆力を支えているのが著者の手抜きをしない読書だと思います。読むべき本をちゃんと読むということをやっている評論家や学者は意外と少ないのです。パレートの法則では2割くらいということになりますが、おそらくそうです。書評を読むだけでもその本をちゃんと読んでいないことがバレしまう書評子なんてのがいるくらいですから。

ま、とにかく面白かったです。

(文春文庫2003年657円+税)

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2010年9月14日 (火)

橘玲『マネーロンダリング入門 国際金融詐欺からテロ資金まで』

世の中に悪い人は沢山いますが、頭が良い悪人というのは本書に出てくる国際金融詐欺なんかに手を染めるのかもしれません。犯罪の動機自体は変わらないのですけれどね。C・S・ルイスが言うように、悪は退屈なのです。

しかし、マネーロンダリング=資金洗浄っていろんな抜け道を巧みに利用しながら、本当に芸の細かいことをしているんですね。本書にはその細かい仕組が丁寧に解説されています。実際、著者は山口組のマネーロンダリングの指南役だと睨まれたことがあるくらいです。

海外の本格的なロンダリング事情からすると、あのライブドアのやっていたことなんかは結構みみっちかったこともわかります。ライブドアのような、実態が大学のサークル的ノリの会社にはあまり本格的なことはできなかったようです。

本書ではとりわけ国際的なお金の動きを巡る情報戦について教えられました。アメリカが北朝鮮の資金の動きを徹底的につかんでいて、かつそのことを知った北朝鮮がやむにやまれず米を射程圏内に入れた弾道ミサイルを作ったことが推測されています。きっとそうなんでしょうね。

最後の章は誰でもできるマネーロンダリングということで、本当に入門できそうな具体的な方法が示されています。私もヤミのお金を億単位でもらったときには、本書を読み直しながら実践することにします。

(幻冬舎新書2006年720円+税)

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2010年9月13日 (月)

ニーチェ『超訳 ニーチェの言葉』白取春彦編訳

ニーチェはそもそもアフォリズム体質なので、こうして処世訓のような文章を集めると、なかなかいい感じになります。ニーチェをドイツ語で読むと調子が良くて格好いいんだ、と独分出身の友人が言っていましたが、そうなのかもしれません。

若い頃読んだ『悲劇の誕生』なんかは怨念がこもった著作だったような印象がありましたが、習俗観察者としてのニーチェは、意外にリラックスした雰囲気をたたえながらも、あらゆる人間的な事象に関して神経を細かく行き届かせています。ときにはフロイトに先んじて精神分析的な洞察も見られて、かなり興味深い内容です。

本書はそうしたニーチェの美点を集めて読みやすい日本語に訳しています。本屋で平積みになっているようですのでそれなりに売れているのだと思います。編集の妙です。それ以前に企画の勝利かも。

気に入った表現をいくつか挙げておきます。
「良い友達関係は、良い結婚を続けていく基礎にもなる」(84頁)
「独創的な人間の特徴の一つは、すでにみんなの目の前にあるのにまだ気づかれておらず名前さえ持たないものを見る視力を持ち、さらにそれに名称を新しく与えることができる、ということだ」(117頁)
「シャープでありながら鈍くさいところもあることによって愛嬌があるように見られて人に好かれるようになるし、誰かが手伝ってくれたり味方になる余地も出てくる」(126頁)

実際、なるほどそうだよねーって警句や教訓が集められていますが、ひとつ気になるのは他人に対する「感謝」の気持ちの重要性に触れられたものが見当たらないことです。このあたりがニーチェが現実にはあまり恵まれていたとは見えない人生を送ったことと関係しているのではないかと、ちょっと思ったりもしています。

ニーチェは他人のことも自分のことも厭になるくらいよく見えているの人なのですが、超越的な存在に感謝するという心は薄かったのかもしれません。でも、本当は超越者は他人の中にも自分の中にもいて、それぞれに付き合っていかなければいけないんですけどね。

G・K・チェスタトンがニーチェを揶揄するのはこの点に関係しているのでしょう。確か「柔らかい心をもつことができない者は、柔らかい脳をもつことになるのである」(『正統とは何か』)というようなことを言っていました。ちょっと無茶な言い方ですが、当たっているところがあります。

とはいえ、本書を読む限り、ニーチェが「柔らかい心」をもっていたことは確認できましたが、その心は決して強くはなかったのだろうなと感じました。おそらくはかなり傷つきやすかったのだろうと思います。(その点では、チェスタトンはカトリックということもありますが、強くて柔らかい心をもっていましたね。ニーチェの対極にいる人です。)

いずれにしても本書は、ニーチェの生の哲学者としての積極的な側面がわかる本としておすすめの一冊です。

(ディスカヴァー2007年1785円税込)

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2010年9月12日 (日)

荘司雅彦『13歳からの法学部入門』

本書で初めて知ったのですが、小中高の学習指導要領に「法律科目」が入るようになったそうです。それもにらんで書かれたのが本書というわけですが、大学法学部の一年生が読んでも得るところの大きい本です。

もちろんタイトルに偽りはなく、13歳からでもわかる書き方がなされています。しかし、内容は具体的で身近な例がふんだんに用いられていながら、法的な考え方の筋道や法律の背景にある歴史のポイントが押さえられています。こういう本がちゃんと書ける人というのは、頭がいいだけではなくて、大変に心優しい人なのだと思います。

最後の章では法律を具体的に読む際に頻出する「又は」と「若しくは」や「及び」と「並びに」の使い分けや、「みなす」と「推定する」の違いといった、大学科目の「法学」で学ぶ内容が分かりやすく解説されています。

本書のあとがきで、学校の教材、入試問題や模擬試験の例文など子どもたちの教育に役立つ形であれば、自由に使ってかまわないとありましたので、遠慮無くそうさせてもらおうと思います。

しかしその前に、今小学6年生の私の娘に読ませてみて、反応を確かめてみようと思います。

(幻冬舎新書2010年740円+税)

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2010年9月11日 (土)

奥田英朗『マドンナ』

以前、著者の『ガール』を読んで、ここまで女性の気持ちに入りこめるのはすごいなと思ったのですが、それを家内が読むと「あまりにも等身大の女性が出てきていい感じがしなかった」と言っていたので、何となく気になってはいました。

この小説は今度は中年男が主人公で、好みのタイプの女性の部下が配属されて片想いでオロオロしてしまったりします。表題作のマドンナはそんな情けない話なので、他の短編もそうかと思ったら、そうではなくて、会社人間の情けない生態と、分かっていながら色々と気を回しすぎてかえってうまくいかない中年男性の心理がよーく描かれていて、『ガール』の男版という感じです。

なるほど家内が言っていたことが、男女をひっくり返されてみるとちょっとわかる気がします。主人公がちょっと小っ恥ずかしいことまでやってくれるのですが、私自身、全然思い当たるふしがないなんてこともまた、あるわけがないのでした。おそるべき自己貫入小説です。

主人公は気が優しくて神経が細かいのですが、ストレートに気持ちを出せないわが国の中年男の典型で、結局部下をかばって上司と取っ組み合ってしまったりしてしまう損な役回りだったりします。また、各短編に必ず対立が喧嘩になるシーンが盛り込まれていて、著者は意識してそういうパターンにしているようです。

でも、お話全体は最終的には緊張が溶けてホンワカさせられたり、ほろりとさせられたりで、やっぱり奥田ワールドです。上手いなあと簡単させられますし、このいい読後感があるからまた読んでしまうのです。

本書はいわゆる会社人間の話ですが、うんざりするようないやーな人間も当然出てきて、そうそう、うちの職場にもいるなあ、あるいはいたなあって感じです。だんだんそういう典型的な出世主義者や絵に書いたような露骨な権力志向タイプはいなくなってきているようにも見えますが、組織で働くからにはそういう人間は絶対出てきます。一見スマートなふりをしているだけで、言いかえれば、皆エリート官僚みたいな演技をするようになっているだけのことでしょうね。

(講談社文庫2005年590円)

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2010年9月10日 (金)

香山リカ『老後がこわい』

テレビのコメンテーターとしては凡庸な印象しかなかった人ですが、これは正直にシニアシングル女性の老後の不安が綴られていて、感心しました。とりわけ女性が一人で暮らすのは大変で、賃貸なんかだとほとんど貸してくれないというこようです。だから「持ち家のないシニアシングル女性の住まいに関して『これだ』という回答はないのだ」(52頁)ということになります。

また、娘が未婚のまま母と娘で仲良く老いていくとき、いずれは来る別れのときの喪失感には乗り超えがたいものがあることも記されています。「九〇代のパパやママがわが子の心配をし、七〇代の娘が『一〇〇歳のママが死んじゃった』と悲嘆に暮れる。そんな光景がこの先、どこでもあたりまえに見られるようになるだろう」(83頁)とも。

のたれ死ぬにも20万円くらいは持って、自身の遺体の始末をしてもらえるよう備えておくことが必要だとは、斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』(岩波書店)を引き合いに出しながら述べていますが、男性だって老後はこわい、と江藤淳の話を出したりして、説得力があります。

私も父が一人でマンション暮らしをしていますので、心配がないわけではありませんが、幸い家事を一人でこなせる人なので、ボケを心配するのはまだ先のことのようで、多少安心しています。

しかし、いずれはこの問題は自分にふりかかってくるわけで、家内は私が先に死ぬのを禁じていますので、私も父と同様いずれ一人で都会でマンション暮らしをする予定でいます。あくまで予定ですが、父の暮らしぶりを参考にしたいと思っています。お迎えが来たときの手順とか、しっかり備えておくつもりです。

ところで、少子化の先にある多死社会は、今後、葬儀や供養のあり方にも大きな変化をもたらすことになるでしょう。斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』では、収骨しないという欧米流の方法が紹介されていましたが、火葬場で骨が残らないところまで焼いてしまうなら、散骨すら必要でなくなります。

こういうことはあるとき急激に変わるのかもしれません。自分の番が来たとき一体どうなっていることやら。

(講談社現代新書2006年700円+税)

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2010年9月 9日 (木)

池田清彦『人はダマシ・ダマサレで生きる』

リベラルでラディカルな、つまり身勝手で理屈好きの著者らしい本です。人は常に誰かに騙されながら、また他人を騙しながら人生の局面を乗り切っているのですが、そのからくりが独特のアップテンポの語り口でどんどん述べられます。

トウモロコシを原料にして車を走らせるなんてのは、一時流行りましたが「カネのあるやつが途上国の人の食べ物を奪って、自分の楽しみのために使うという、とんでもない話」(30頁)であり、国債を発行する国家は戦後まもなく預金を封鎖し「その間にインフレを起こし、そして国債の価値を無にしてしまった」(127頁)というわけです。

また、著者は、かつてのロシアが経済的に困窮したときに「カネをぽーんとあげれば、北方領土なんてすぐ返ってきたはずだ。困窮している相手に経済支援をして返還交渉を進めるのは、結局100兆円で売ってくれというのと同じことだ」(116頁)と言います。アラスカみたいに売ってくれることもあるかも、と、これは騙す方の話です。

全体にどちらかというとダマサレ情報が多い感じですが、これは国民の側から見た場合ですので、国家や役人や科学者の方から見るとダマシのからくりということになります。ただ、著者の思いをありったけを一気に吐き出した感じなので、一つ一つの問題があっさりと書かれすぎているよう気もします。

虫を食べる話とか、アリの生態の特徴とか、急性アル中になって命を落とす鳥の話とか、生物学者ならではの話題や、人間が農耕を覚えて富を蓄えることから戦争が始まるといったユニークな考察など、読みどころは満載です。最後に現代社会の最大の騙しについても述べられていますが、それは本書をお読みください。言われてみれば確かにそうだよねって感じです。

(静山社文庫2009年648円+税)

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2010年9月 8日 (水)

土屋賢二『ツチヤの口車』

本書はどこかで一度読んだような気もしながら、文庫で改めて読んでしまいました。そうしたら、本文中に次のような記述が・・・

「わたしの本は味わいこそないものの、しつこく後まで心に残ることがない。コクはないが、キレがいいのだ。読んで五分後には内容を忘れるから、うまくすれば、本を買ったことも忘れてしまう。そうなれば、その人は同じ本をもう一度買う可能性がある。詐欺の被害者を狙う詐欺があるが、ダマされた人間は何度でもダマされるものだ」(188頁)

と、まあその通りで、ダマされているのかも。実は本棚を整理しているうちに、以前読んだ著者の単行本が一冊出てこなくて、その文庫版が本書かどうかもわからなくて、本書を読んだ後もやっぱりわからないままなのです。

というわけで、私は著者からすると理想的な読者と言えるでしょう。表彰を受けたいくらいです。でも、ま、いっか。この論理の飛び方と、自分を笑いのネタにする手法は、いつ読んでも面白いし、感心させられます。確かに内容は覚えていませんが、何だかそんなことはどうでもいい感じなのです。

これに懲りずに、著者の本で未読のものがあったら見つけて読むつもりです。

(文春文庫2008年467円+税)

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2010年9月 7日 (火)

池田清彦『だましだまし人生を生きよう』

著者の自伝です。虫好きというのはすごいんだなあ、と感心させられます。私も子どものころ、田舎に育ったので、カブトムシやクワガタをたくさん捕まえましたが、そのころから一貫して好きでいられるなんて想像を絶するものがあります。

著者は子どもの時分から丹念に標本を作って今も持っているだけでなく、今も新種のカミキリムシの捕獲にご執心で、「日本産のすべてのカミキリムシをネットインするまでは死ぬわけにはいかないのである」(216頁)とくるのですから、驚かずにはいられません。

著者のもうひとつの顔は、構造主義生物学の理論家としてのそれで、本書からもその一端が窺われます。それがどんな理論だったかは私も忘れてしまっていますが、もう一度著者の本を読み返してみようかという気になりました。ただ、眼の構造が違うショウジョウバエと哺乳類はそれぞれに「同じDNAを異なって解釈しているとみればよい」というフレーズで少しだけ思い出しました。

まあ、それはいずれ思い出すとして、本書では学問論についても納得のいくことが書かれていました。

「学問の価値はつまるところ、既存の科学や既存の社会の前提を疑って、新しい枠組みを提示することにある。それは新しい学問分野の創出であるとともに、行き詰まった世界を救うもっとも合理的な方法でもある」(213頁)

そうですよね。私も結果が伴うとは限りませんが、そういうつもりで学問をやってきていましたし、これからもそうするつもりです。勇気づけられます。

(新潮文庫平成21年400円税別)

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2010年9月 6日 (月)

大前研一『ビジネス力の磨き方』

著者の本は初めて読みましたが、ほんと面白いですね。元気と気合で一杯の本です。著者の頭の中にはアイデアがぎっしり詰まっている感じです。著者の思考法は、相手の立場に立って論理的に思考実験を重ねるやり方ですが、何人かのユダヤ人の友人の思考法と似ているなと感じました。こういう人は話をしていると次から次へとビジネスのアイデアが出てくるのです。

ひょっとしたら、マッキンゼーという会社にいると、こんな思考法が自然と身につくのかもしれませんね。そのポイントは、現在どんな力がその場に働いているか、ということと、それを未来に早送りしたイメージを描いてみるということです。大前流の言い方では「先見力」ということになります。

しっかり未来が見えたら、あとは決断力ですね。もっとも「正しい判断を下すためには、相当な時間をかけて広く業界の内外の人の意見を聞かなければならない」(33頁)わけで、そこでのフットワークの軽さが大事だということも、あっさりと書かれてはいますが、これが凡人にはなかなかできないんですよね。

本書の中の著者のアイデアに感心させられたのは、北海道にサマータイムを導入するというものです。北海道だけ時計の針が1時間ないし2時間進めば、日付変更線の関係から、北海道が世界で一番早く市場が開く地域になり「世界中の銀行や証券会社が、こぞって北海道史上にトレーダーを投入することいなる」(58頁)という読みです。この案は、お役人の頭が硬くて実現を見ませんでしたが、今でも再考に価すると思います。

こうした案がひらめくのは、日頃の訓練の賜物だと著者は言います。著者の天才によるものだと普通なら思うところですが、著者は「もし自分が当事者だったらどうするかという具体的なケーススタディを、それこそ無限回繰り返す」(90頁)のだそうです。われわれもというか、私も文字通り無限回やってみてから、それが天才によるものかどうかを判断してもいいように思います。

アイデアも決断力もない人が経営者をしていると悲惨なことになりますし、そういう企業のことは私もゆえあってよーく知っていますが、とにかく今努力をして結果を出したリーダーが、後に優秀な経営者と呼ばれるだけのことです。今ここで頑張ってもらわないと話になりません。

本書では実際に本書の執筆時に登場したiPhoneが全世界的にヒットするという予測を立てていますが、その通りになっています。お見事! 最後の章で農業の再生を説いていますが、これも現実のものとなる可能性は大いにありますし、実際すでにチャンスを掴んだ若い農業経営者が全国から少しずつ出てきています。

大学経営にもいろんなヒントを与えてくれる本です。今や明らかに大学冬の時代だからこそ、かえってチャンスはありそうです。

(PHPビジネス新書2007年800円税別)

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2010年9月 5日 (日)

斎藤美奈子『読者は踊る』

単行本が1998年に出ていて、2001年に文庫になった本です。独特の恐ろしいほど正確な批評眼により、当時の本253冊が急所にナイフを突き立てられるばかりか、ぐるりと刃を回転させて肉をえぐられるといった感じです。

くだらない本にも丹念に目を通しては、そのトンデモぶりを指摘する著者のこだわりぶりが見事です。読者代行業を自認するだけのことはあります。著者にボロクソに言われた本は、もう読まなくていいというものと、どれほどのおバカぶりか確かめたくなるものに分かれます。

とにかく、今はまったく忘れられてしまっても、かの10数年前に確かに一世を風靡した本というのが結構あって、あらためて、へぇーそんな本だったんだと呆れるやら、感心するやらで、これが結構楽しいのです。

思い返してみれば、あの立花隆が世の中の事件の原因をすべて環境ホルモンのせいにしていたなんてことがあしましたね。あの人は本当は結構おっちょこちょいで、ちゃんと資料を読んでいないのではないかと思うことがありましたが、本書のようにきっちりと引用で証拠を示されると、やっぱりねえ、と思ってしまいます。

当時は文部科学省の寺脇研が盛んに発言し始めた頃でもあったので、著者はすかさず警告しています。このあたりさすがです。文庫版への著者の追記でも、ゆとり教育の導入が始まったところでしたが「あの教育改革は天下の改悪であった」と悟る日が来るに違いない(285頁)と述べていますが、予言は成就しましたね。

今大学は学習内容が3割減のまま入学してきた学生たちばかりなので、全国の大学の先生たちは話がまったく通じなくて困っています。寺脇研も今は天降ってどこかの大学の教授サマですが、学生たちに話が通じないことをきっと実感していることでしょう。

(文春文庫2001年676円+税)

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2010年9月 2日 (木)

松本道介『素朴なる疑問 私の脱哲学・脱西洋』

著者の文章は調子がよくてわかりやすく、言いたいことが体に染みてくるようなところがあります。そのためか、しばらく読まないでいると、無性に読みたくなります。

著者が言いたいことはすべてタイトルと副題に現われているような本ですが、難解で訳のわからないものが高尚だという風潮に与しない姿勢は共感できます。カント、ヘーゲルのドイツ観念論から昨今のポストモダン思想まで、著者はほとんど唾棄しています。

思えば、自分の感性に忠実に身体全体を使って読書をしていけば、頭でっかちの博識家ではなくなるわけです。よって、心を動かす著者しか評価しないというのが、思想であれ文学であれ、著者の唯一の評価基準になっています。

こういう読み方を徹底したところが著者の偉いところで「つい最近も高齢の大学者からおまえは不勉強なくせに傲慢な物言いをする、と叱られた」(294頁)とありますが、一切の権威主義を離れて、自分の目だけを頼りに古今東西の本を読むようになると、そういうふうに言われるのでしょう。

似たようなことを言われた経験は私にもあるだけに、著者には親近感が湧いてきます。大学者さんから見ると、こちらの趣味人的な態度が鼻について仕方ないのでしょうが、もはや持ったが病で治しようがないのです。

こちらとしては、自分の頭でものを考えるという姿勢を関係する人びとと共有しようと思っているだけのことですが、実は、偉い思想はどこか外国とかの理想の場所からやってくるものなので、そうした態度自体が許せない、とその道の権威者は考えるのでしょう。

著者は「私も昔はカントやヘーゲルを原書で、あるいは翻訳で読もうとした時期はありますが、その時期ほどものを考えなかった時期はありません」と言っています。そうした時期も学問的訓練として少しは必要なこともあるでしょうけれど、もっと大切なことはやはり自分で考えることです。

本書は典型的な日本人のいいおじさんによって「考える文体」で書かれています。魅力的な本です。

(鳥影社2006年1,900円+税)

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2010年9月 1日 (水)

橋爪大三郎『だれがきめたの?社会の不思議』

小中学生に向けた書かれた社会科副読本です。基本的なことがらが懇切丁寧に説明されています。生徒たちとの対話篇という体裁で、教室の実況中継という感じです。ちょっと生徒たちがいい子すぎるきらいはありますが。

人生の基本問題について、生や死、結婚や家族といった問題に正面から答えてくれます。たとえば、神様はいるのかという問いに対して、いると考える場合といないと考える場合とどちらの立場の意見もわかりやすく説明してくれます。どちらにしても「ちゃんとした生き方」につながるという答え方は、なかなかいい感じです。

また、著者は、チョコレートの1円硬貨があったらどうしますか、という問いかけをします。生徒の「食べたほうがいい」という答えを引き出して、お金はお金そのものよりも安い材料でできている、ということを説明するあたり、実に上手ですね。コストが安いから偽札ができるということも含めて、授業で使えそうな例です。

思えばこの年頃で不思議に思うことはたくさんあるはずですが、ちゃんと考えないうちに大人になってしまうので、後々道に迷うのかもしれません。しかし、本書を読んで視点を定めておくと、少なくとも「自分探し」をいつまでもやっているようなことにはならないような気がします。

各章末のコラムも、話題が多岐にわたって、内容も充実しています。お父さん、お母さん方へという注もあり、親御さんにも気を遣っているという、実に行き届いた本です。

早速娘に読ませてみて、感想を聞いてみます。本書を読んでちょっとだけ大人になってくれると嬉しいです。

(朝日出版社2007年1,500円+税)

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