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2010年10月30日 (土)

長谷川三千子『正義の喪失 反時代的考察』

この本は買ったまま本棚に眠っていましたが、ふとその存在を思い出して読みました。今まで忘れていたのは損失だったかも、と悔やまれる内容でしたが、もっとずっと思い出さなかったとしたら、今読めたことは幸せだったとむしろ思い直した次第です。

産経新聞正論欄での著者のサンデル批判のなかに正義についての独特の議論があったので、本書を思い出したのですが、その点については正解でした。正義とは「不正の処罰」なんです(61頁)。本当の正義とは生ぬるい共同体的正義感情ではないということです。何よりこういうことをスパッと言えるところがすごいのです。

勇気と読解能力と思考力がないと、こういうふうには言えません。そしてこの点でそのいずれもない学者や評論家が実に多いことにあらためて気づかされます。私もそうならないように精進します。

ところでほんしょの第五章は「ボーダーレス・エコノミー批判」ということで、近代市場経済の仮借のない暴力性が見事に描き出されています。スミスもマルクスもある程度気がついていながら道をそれてしまった市場経済とは「力」と「欲望」のみを座標軸とするまったく新しいヒエラルキー(238頁)という理解が示されています。

なるほどそうだったのか。経済学者が大概ダメだということもこれでわかります。これで今まで自分がぼんやりと考えてきたことのうちのかなりの部分がすっきりとしました。もっともまだまだ自分でもしっかり考えなければいけないはたくさんあるのですが、少なくとも一歩進むことができた気がします。

本書はこのほか自然法思想家のスアレスやビトリアの著作について教えられました。日本人による研究書が出ているようなので探してみます。

(PHP文庫2003年648円+税)

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2010年10月29日 (金)

木田元『闇屋になりそこねた哲学者』

題名通り戦後闇屋をやって一家を支えていたという珍しい経歴の哲学者です。若い頃の写真は実にいい男です。文庫の表紙にもなっている著者の17才の頃の写真なんかは、本当に可愛らしい美少年です。でも、闇屋をやっていた頃の写真はやはり目つきが鋭くて、迫力があります。

そういえば、故種村季弘が闇屋をやっていたことは知っていましたが、著者の経験の方がもっと荒っぽい感じがします。種村さんの本も面白かったですが、やはり経験が生きているのかもしれません。

本書によれば、著者はハイデッガーの哲学に惹かれて哲学徒の道を選んだとのことですが、ハイデッガーについての本は1983年の55歳の頃に初めて出しています。その当時、栗本愼一郎氏はその本を手に取りながら、まだ読んでいないのに、著者を軽んじたようなことを言っていましたが、その後何とも言わなかったところを見ると、読んでみていたく感心したか、結局読まなかったかのどちらかだったのでしょう。後者のような気がしますが。

栗本さんのように読まずに批評をしてしまう人というのは、実はこの手の業界には少なくないのですが、著者は徹底して読んで、ちゃんとわかるまでは書かない人です。その誠実さは信頼できると思います。そして、結局しっかりした読解力が著者のオリジナルな思想を紡ぎ出しているということは、著者の息の長い著作活動を見ても明らかです。

著者は言います。「本というのは大体意味がわかればよいというものではなくて、前置詞や小さな副詞にいたるまで、なぜ、それがそこにあるということを明確に読み取らなければならないものです。ぼくたちのような読み方は、昔の訓詁学みたいで古くさいと思われるかもしれませんが、僕はこれしかないと思っています」(197頁)。

そうなんですよね。私は留学を終わって帰ってきた頃から特にこの読み方を意識して行なうようになりました。これは恩師や何人かの友人たちのおかげですが、私も「これしかない」と思っています。ただし、ハイデッガーは相変わらず好きになれませんが。

本書は自伝ですからもちろん固いことばかり書いてあるわけではありません。とはいえ、マッハからフッサールへの影響が書かれたあたりは実に面白くて、著者の力量が半端でないことが窺われます。これから意識して著者のものを読んでいこうと思います。

(ちくま文庫2010年720円+税)

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2010年10月27日 (水)

斉藤美奈子『それってどうなの主義』

いつもながら著者の毒舌は冴え渡っています。新聞や雑誌のコラムをまとめた本ですが、タイトルが表わしているように、著者は世の中の森羅万象に「それってどうなのよ」と鋭いツッコミを入れているのです。

著者はリベラルなタイプですので保守的な私とは見解が違うところも多々あるのですが、語り口がどんなにきつくても、感情的でヒステリックにはならないないのが実にいい感じなのです。

そうしたリベラルな著者から見ると保守系言論人は当然しばしば槍玉に挙がりますが、朝日新聞のどちらにも日和りそうで何を言っているかわからなくなる口ぶりも蹴りを入れられます。なるほど購読者数の減少に歯止めがかからないわけです。

年収二千万円以上取っている新聞記者を3000人以上も抱えていれば、むしろもっと売らんかなの態度に徹してもいいのかもしれません。

ところで、本書で紹介されている矢作俊彦の『あ・じゃ・ぱん』という荒唐無稽な小説は、実に面白そうなので、今度探して読んでみます。

(文春文庫2010年667円+税)

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長谷川三千子『日本語の哲学へ』

著者は本当に読みが鋭くて、何ページかに一度は「へぇー」っと感心させられます。本を読む訓練をしっかりした人ならではのおそるべき読解力です。

で、著者の十八番の哲学ですが、日本語での哲学というのは、「存在」とか「実存」とかの概念をギリシャ語の語源から始めてややこしく解析するというようなのではなくて、「もの」と「こと」の分析なんだということをあらためて教えられました。

そのこと自体は和辻哲郎がすでに気がついていたのですが、ハイデッガーの「存在者」と「存在」はそれぞれ「もの」と「こと」に見事に置き換えられるのです。ここをしつこく考え抜くことは、日本語による哲学的考察の試金石になるようです。

日本語の底知れぬ可能性が窺われて、実にいろいろと考えさせられます。本書自体が日本語による日本語の哲学の序章です。今後の展開が楽しみです。

それと同時に、自分でもどんな風に日本語で哲学できるのかということは、考えておかなきゃ。自分の仕事にどこまで活かせるのかということなのですが、とにかく大変な宿題をもらった気分です。

(ちくま新書2010年780円+税)

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2010年10月22日 (金)

ジロドゥ『オンディーヌ』二木麻里訳

昔アテネフランセでフランス語を習っていたとき、中級クラスが終わった頃だったかと思いますが、学習者にとってフランス語で読むのにいい本を紹介してもらったのが、この『オンディーヌ』でした。物理学の研究をしていて、原子爆弾の開発をするのがいやで日本に来たという変わり者のフランス人の先生でしたが、面白い人で、みんなで一緒にコンパに行ったこととか、今でもよく覚えています。

しかし、本書のフランス語原書も持っていますが、読まないままで何十年も経ってしまいました。それでもこうしてたまたま見つけた翻訳書を読んだわけですから、やはりどこか気になっていたのでしょうね。で、読んでみるとやはり面白かったです。

異類婚姻譚を下敷きにしていますが、愛がテーマの現代的な劇です。男女間の微妙な心理が趣向を凝らして書き込まれています。上演も一度見ておきたいですね。主人公のオンディーヌにふさわしい女優はめったにいそうにありませんが。

この作品ではオンディーヌが恋に落ちる男が凡庸で愚鈍なため、どことなく宮崎アニメみたいな印象があります。もうちょっと賢い男性を描いて話を展開させてもいいような気もしますが、それも作者の意図するところなのでしょう。

作品全体に様々な意匠が必ずしもうまく機能していないところがありますが、フランス人はこれを深読みして難しいことを語るのが好きだったりもするかもしれません。訳者による演劇学科の卒業論文みたいな解説も分量が60頁以上あります。

翻訳文でいただけなかったのは「すべからくわたくしにお教えくださいませ、ハンスさま」(44頁)とうところで、「すべからく」の誤用はほんといい加減にしてほしいものです。翻訳家がおバカな言葉遣いをしているときには、編集者がチェックしてくれないとねえ。恥の上塗りになりますよ。

そのうちフランス語原文も読んでみます。

(光文社古典新訳文庫2008年590円+税)

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2010年10月20日 (水)

ヴォルテール『哲学書簡 哲学辞典』中川信・高橋安光訳

大学時代のフランス語の先生が「ヴォルテールの文章は読みやすいけれど、思想は深くない」と仰っていたのを真に受けて、今まで読まずにいました。その恩師は読みにくいけれど深い思想を書く人だったので、ヴォルテールと同時代人だったらさぞかし相性が悪かったことでしょう。

しかしまあ、50も過ぎて読んでみると、ヴォルテールの方に肩入れしたくなってきました。確かにヴォルテールは体系的な思想家ではありませんが、それは思想の根幹部分をクリスチャンとしての常識にまかせているからです。つまり、ややこしいところは神様にまかせて、自分の目の届くところは思いっきり鋭い考察を示しているのです。思想がないわけではありません。

思想家として後世イギリスのチェスタトンに似ています。カンディードを書ける人ですからやはり凡庸どころではありませんでした。世の中が小難しいものだけに思想や哲学を求めるから、こうしたクリスチャン・シンカーを見逃してしまうのです。

おまけに、わが国のインテリは宗教音痴なので、ヴォルテールの正確な聖書理解を評価できないのだろうと思います。残念なことですが、いつまでもバカやってくれている方が、私ごときでも発言できる内容があると考えて、よしとしておきましょう。ホント聖書くらい読んだら、と言ってやりたい人は著名人でもたくさんいます。

さて、ヴォルテールのもう一つの魅力は何と言ってもその毒舌です。アカデミー会員のおバカぶりについて次のように述べています。

「新しい思想が見つけられないので、言い回しに新機軸を出そうと努め、考えないで話すその態は、何も入っていないのに口をもぐもぐと動かして、腹が減って飢え死にしそうになりながら何かを食べている振りをしている人たちのようである」(258頁)

スゴイでしょ。アカデミー会員どころではないわが国のヘボ学者たちの学会なんかもこんな感じです。思わずいくつも顔が浮かびます。わかってないのは当の本人だけなんですけど。

(中央公論新社2005年1700円+税)

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2010年10月18日 (月)

長谷川三千子『バベルの謎 ヤハウィストの冒険』

すごい本です。旧約聖書のバベルの塔の話をめぐる謎を解読した本です。驚くべきテキスト読解力です。本書は刊行当時世評が高かかった本ですが、今まで何とはなしに積ん読にしていました。

その本書を紐解くきっかけになったのは、先週の産経新聞の「正論」欄で著者のサンデル批判です。その中で、著者が正義の過酷で峻厳な側面を強調していることに感心して、その一端が本書の中に窺われはしないかと思って読み始めました。

実際には、過酷で峻厳な旧約の神はここでは別の形で、それも思ってもいない形で存在していました。ユダヤ民族を祝っているのだか呪っているのだかわからないような、しかし、圧倒的な影響力を行使する神です。

もちろんそうした旧約聖書にも著者がいるわけで、メソポタミアの神話から借用したりしながら、その旧約聖書の著者(たち)が何を元にどういう思想を綴ったのかということを冷静に分析して見せたのが本書です。

本書のタイトルに謎とか冒険という言葉が出てくるのも決して看板倒れではありません。ここでネタをばらすわけにはいきませんが、最後の最後までスリリングな展開で、最後にその謎も解けます。

著者は聖書学の先行研究も活用しながら、しかし、鋭い論理的考察力によりユニークでかつ説得力のある創世記解釈を示してくれます。江戸時代の富永仲基が今日に生まれ変わったような才能です。

本書の帯に「和辻哲郎文化賞受賞」と書かれていますが、著者は和辻哲郎を遙かに凌いでいると思います。英語に翻訳して世界中の人びとに―それもとりわけユダヤ人たちに―是非とも読んでもらいたい本です。

(中央公論社1996年2300円+税)

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2010年10月15日 (金)

A・R・ウォーレス『マレー諸島 上』新妻昭夫訳

松本道介が絶賛していたので読んでみました。確かにみずみずしい感性の紀行文学として読むことができます。何にでも興味を持って採集し、記録するという博物学的情熱の見本のような人でもあります。じっくりものを見てその様子を描き出す力にはあらためて驚かされます。

かのダーウィンはウォーレスに随分気をつかった手紙を残しているそうですが、これだけ鋭い観察眼と思考力を持っている学者は他にいなかったのだろうと思います。進化論の事実にも気がついていたウォーレスですが、ダーウィンからの連名で発表するという申し出には首を縦に振らなかったそうです。

ウォーレス自身は理論の構築ということに何の関心も持たなかった人のようです。そんなことより自然を見ようと思っていた節があります。そして、そんな態度の人だからこそ、本書のような描写が可能になるのでしょう。

ただ、本巻前半のオランウータン狩りの様子は、対象が人間に近い生き物だけに、残酷さにうんざりさせられます。このあたりの獲物に対する容赦のなさは狩猟民族の末裔だけのことはあると感じました。そして、ついついカリブの島々の1800万人の原住民たち(現在0人)やオーストラリアのかつて200万人いたアボリジニ(現在30万人)のことを連想してしまいます。

アボリジニ狩りなんてのはこんなふうに獲物を毎日仕留めたという記録が残っているくらいですから。日本人は獲物にならなくてよかったですね。もっとも、原爆は落とされましたが。

今日立ち読みした週刊新潮の高山正之の連載記事には、エノラ・ゲイが、一旦空襲警報を出させておき、何も投下せずに広島上空を通過し、警報が解除になって、人びとが防空壕から出てい頃合いを見計らって原爆を投下したことが書かれていました。

まあ、勝手な連想ですが、やはりオランウータン狩りのところはショッキングでした。あれだけ反西洋的なものの見方をする松本道介でも、ここのところは引っかからなかったのでしょうか。私はかなり引っかかります。

下巻はちょっと時間をおいてから読むつもりです。

(ちくま学芸文庫1993年1600円)

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2010年10月 8日 (金)

越川芳明『トウガラシのちいさな旅 ボーダー文化論』

アメリカ、メキシコ、ラテンアメリカ、アフリカ、沖縄と著者の関心は境界を越える文化にあります。登場人物はゲバラ、ポール・ボウルズ、ジェイン・オア、フリーダ・カーロ、キッカプー族、中江裕司、目取真俊などなど。どのキャラクターも熱くてひりひりした感受性を抱え魅力的です。

著者はあとがきで、ボーダー文化論の優れた書き手たちは、みなアマチュアの心を持っていると述べています。著者もまたそうで、いろいろなところに出かけては、ほとんど無防備な状態で現地の人と交わり、話を聞いたりしているときの文章が一番のびのびとしていい感じです。

他方、机の上で現代思想家の引用をしながら論文調に筆を進めると、雑誌ブルータスかなんかの映画評みたいで、格好は良いけれど心に残らないものになってしまいます。筆力があって何でもできてしまう人だけに、そうした落とし穴もあるように感じました。

でもまあ、これだけ刺激的で魅力的な本を書ける人はそうはいません。大したものだと思います。文章は何のかんの言っても今福龍太よりもずっと素直でいいと思います。これだけ旅をして、たくさんの本を読んで、映画館に通って、それが魅力的な本書に結実しているのですから大したものです。

欄外にところどころ掲載されている絵画や写真がもう少し大きければありがたいのですが、値段との兼ね合いで仕方ないのでしょうね。残念ですが、気になったものは自分で調べなさいといういことでしょうね。

巻末の「私家版 ボーダー文化論入門書50」も参考にして、いろいろ読んでみたいと思います。

(白水社2006年2500円+税)

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2010年10月 7日 (木)

W.ゲルダート『イギリス法原理』末延三次・木下毅訳

イギリス法の理論的エッセンスがコンパクトにまとめられた本です。教科書としてかつてのスタンダードだった本ですが、古本屋で105円だったので、つい買って読んでしまいました。

私に限らず、日本の法学教育を受けた人は、みんなドイツ法の圧倒的影響下にあり、基本的法律用語はすべてと言っていいくらいドイツ語からの翻訳語に由来します。そのため、本書を読んでまず引っかかるのが、用語です。苦心の翻訳で原語も表記されているのですが、併せて読むと余計に混乱します。

用語の次に驚かされるのが、融通無碍で複雑な法システムです。もっとも、現実の諸問題に対応するのには優れた面があることもわかります。ただ、裁判官は大変でしょうね。とにかく過去の判例に当てはまるものを見つけてこなければなりませんから。

このとき原理的に正当性の根拠になるのが、コモン・ローとエクイティなのですが、この関係が該当箇所の記述を何度読んでもよくわかりません。エクイティーはコモン・ローを補完しながら独自の正当性も主張するそうなのですが、その呼吸は裁判官の名人芸的解釈にまかされているのかもしれません。

しかし、そんな法律家は日本とは違って、こんなに複雑でかつ創造的な作業をしているということで、どうやらかなり尊敬されているようです。日本では弁護士はあくまで法律関連情報係で、企業でも訴訟に関わる限定的な役割しかまかされません。経営の総合的判断はあくまで経営者の独擅場です。このあたりアメリカとも随分違います。法律家の社会的地位をとってみても、法文化の違いが際立っています。

いずれにしても、本書はいい本でしたが、適正手続については十分な記述がありませんでした。今ちょっとまとめている原稿があるので、C.ウィリアムズの最近の本も読み返しておきます。

(東京大学出版会1981年2000円)

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2010年10月 6日 (水)

マイケル・サンデル『これから「正義」の話をしよう』鬼澤忍訳

ハーバード大学の講義のテーマに即して書かれた正義論です。テレビで放映されたので有名になりました。特に一人を殺すか5人を殺すかという状況に置かれたときあなたならどうするか、という最初の問題設定から学生を引きこんでいくところがなかなか刺激的で、面白そうでした。

本書もその問題から入って、いつのまにかベンサムやカントやロールズ、あるいはアリストテレスといったビッグネームの理論も取り上げて考えさせたりするところが実にうまく構成されています。翻訳もまあまあ読みやすいです。3箇所くらい引っかかるところがありましたが、上出来でしょう。

本書は講義の実況中継ではなくて、本として書かれたものですが、長年の学生たちの反応や議論が反映されているようで、著者の開かれた議論への姿勢がうかがわれて好感がもてます。

わが国では法哲学がこの正義論の分野にあたるのですが、この業界はふだんから他を圧倒しようということばかり考えているせいか、内容はさておき、こんなにいい感じで議論できる人は残念ながら見当たりません。

かつては畏友小林和之氏(ちくま新書『おろか者の正義論』の著者)がこの点で稀有な例外でしたが、最近はこの業界に見切りをつけられたのかもしれません。近いうちに連絡をとってみましょう。

さて、本書ですが、結局正義の根拠は社会の中にあるというもので、これを一般にはコミュニタリアニズム(共同体主義)と読んだりしていますが、確かに正義を論理的、理性的に求めていっても非合理的で共同体的な物語のようなものが残ります。

しかし、問題はさらにその先にあります。社会とか共同体というものの根拠がさらに控えているのではないかと思われるからです。それはおそらくキリスト教的世界観の根底にあるものだと日本人の私は考えるのですが、どうでしょうか。

この答えを出しているのは内村鑑三です。私にとってはサンデルより内村の方が圧倒的に面白く、刺激的です。知りたい人は拙著『人と人びと』(2003年いしずえ)をどうぞ。

(早川書房2010年2300円+税)

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2010年10月 5日 (火)

斎藤美奈子『誤読日記』

著者の文春文庫の最新刊で、刊行順に読んでいって最後になりました。まだ他の版元で未読のものはありますが、読み終えるのがちょっと名残惜しい気がします。

本書は著者の書評を集めたものですが、とにかくいろんな本が俎上に乗せられて、ぐさり、ばっさりとやられます。他人事だから笑えますが、やられた方は生涯立ち直れないのではないかと思われるほどです。

でもまあ、いわゆるベストセラーになっているものの中には、世評に惑わされずにユーザーの視点から見ると、涙ぐましくも愚かな記述が結構あることがわかります。

本書は自分でものを書くときに同じ轍を踏まないようにするという点で、よき指南役にもなってくれます。やっぱ、どう見てもこれは恥ずかしいでしょ、という客観的な視点を失わないようにするためには、著者の毒舌を思い出すのが一番です。

また、一方で、著者が評価する本は間違いなく面白いので、読書指南にもなってくれます。ちゃんと読まずに仲間ぼめとか党派的思考で書評する輩が少なくないので、書評を信じて買って読んでみてがっかりしたことは少なくありません。この点、著者の評価には外れがありません。

そして、やはり魅力的なのは著者の文章力です。この筆力は真似できません。もっとも、わが国で研究論文にこんなおそろしい文章を書いたら、学会にいられなくなること請け合いです。

しかし、私なんかは学会はどうでjもいいので(そもそも相手にされていませんが)、今後よりいっそう著者にあやかりたいと思っています。まだまだ修行が足りませんが。

(文春文庫2009年829円+税)

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2010年10月 2日 (土)

日垣隆・岡本吏郎『楽しく稼ぐ本』

本書に登場する数々のダメな経営手法というのが、え、これうちのことじゃん、と思い当たることが結構あって、背筋が寒くなります。今後の身の振り方も考えておかねば。

さて、本書では、経営のセンスがカジノのセンスと極めて似ていることがわかったのも新鮮でした。日垣隆は外国で自分の子どもたちにお金を渡してそのあたりの呼吸を実体験させているそうで、すごいオヤジだなと改めて感心します。

個人のアイデアで勝負をしている場合、値段を上げるのががかなり有効な手段だということが分かります。消費者心理は面白いもので、5,000円と5万円の商品を並べておくと、5万円の方が売れるのだそうです(66頁)。値段を上げることでそれに見合う商品を作ろうとするようにもなり、商売人として成長できるとは岡本氏。

確かに、薄利多売ばかりを頭においているようでは、いずれ中国やベトナムに負けてしまいますし。

このほか、飲食店は3年経つと、どこも不思議なくらい売上が落ちることとか、クレーマーの切り方とか、問題解決能力の低い人はマクロの話が好きだ、あるいは財務諸表のバランスが良すぎるのは次の手を打てていないということで、危ない、といった話が印象的でした。

下位二割のダメ経営者は、見たくない現実を直視できず、現状維持をはかることしかできない。窮地に陥れば陥るほど、脅迫反復のように、同じことの繰り返ししかできなくなると言います。そして、実際そういう企業は確実に潰れています。

補助行政の対象で、経営マインドが存在しない全国の弱小私立大学は(私の勤め先も含む)は、はたしていつまでもつことでしょう。こういうときにトップの決断が遅いとしたら致命的なのですが、今重大な局面に差し掛かっています。くわばらくわばら。

(大和書房2010年648円+税)

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2010年10月 1日 (金)

海老原嗣生『「若者はかわいそう」論のウソ ― データで暴く「雇用不安」の正体』

学者という人種はしばしば非常に恣意的にデータを用いてとんでもない結論を導き出します。文献だってちゃんとした読解力があるか怪しい連中が山ほどいます。机の上の妄想に合わせて数字や文字を処理するのが原因のようです。

本書では企業が金儲け主義のために正規雇用を減らして派遣社員に切り替えたため、ワーキングプアやニートがたくさん出てきてしまったというマスコミお気に入りの結論が何の根拠もないどころか、データと正反対の結論であることを示しています。

有名な玄田有史などは何にもデータに基づいていないということが、本書によってバレてしまいました。まあ、某検事のようにデータを改竄したわけではありませんが、学者としてはどうなのって感じです。よっぽどマスコミに受けたかったんでしょうね。

本書の主張はシンプルです。80年代から現在にかけて大きく変わったことは、
1. 85~95年の10年間にわたって起きた、為替レートのあり得ないほどの変化
2. 85年から連綿と続く大学進学率の急上昇
3. 80年以降急低下を始めた出生率
という3つに集約されるといいます(205頁)

要するに大学生がやたらと増えて、大学卒の求人の実数は変わっていないにもかかわらず、大学生の就職難が生じているということ、円高で海外に生産拠点が引っ越したことにより、国内にブルーカラー正社員の仕事がなくなってしまったことが結果として導きだされます。

対人折衝が苦手で、昔だったら製造業で黙々と仕事するタイプの若者が一番煽りを食らっているわけです。高校卒業後に就職できず、大学に緊急避難してもやっぱり就職できないというわけです。

他方で中堅中小企業は変わらず人材難に悩まされているというアンバランスな現象も起こっています。まあ、学者とマスコミが結託して事実を曲げているのですから、若者の判断も影響を受けないわけにはいきません。

俗説に与しないためにも、目を通しておきたい本です。企業の選び方や人生設計の指南となる本なので、学生にも勧めておきます。

(扶桑社新書2010年760円+税)

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