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2010年10月20日 (水)

ヴォルテール『哲学書簡 哲学辞典』中川信・高橋安光訳

大学時代のフランス語の先生が「ヴォルテールの文章は読みやすいけれど、思想は深くない」と仰っていたのを真に受けて、今まで読まずにいました。その恩師は読みにくいけれど深い思想を書く人だったので、ヴォルテールと同時代人だったらさぞかし相性が悪かったことでしょう。

しかしまあ、50も過ぎて読んでみると、ヴォルテールの方に肩入れしたくなってきました。確かにヴォルテールは体系的な思想家ではありませんが、それは思想の根幹部分をクリスチャンとしての常識にまかせているからです。つまり、ややこしいところは神様にまかせて、自分の目の届くところは思いっきり鋭い考察を示しているのです。思想がないわけではありません。

思想家として後世イギリスのチェスタトンに似ています。カンディードを書ける人ですからやはり凡庸どころではありませんでした。世の中が小難しいものだけに思想や哲学を求めるから、こうしたクリスチャン・シンカーを見逃してしまうのです。

おまけに、わが国のインテリは宗教音痴なので、ヴォルテールの正確な聖書理解を評価できないのだろうと思います。残念なことですが、いつまでもバカやってくれている方が、私ごときでも発言できる内容があると考えて、よしとしておきましょう。ホント聖書くらい読んだら、と言ってやりたい人は著名人でもたくさんいます。

さて、ヴォルテールのもう一つの魅力は何と言ってもその毒舌です。アカデミー会員のおバカぶりについて次のように述べています。

「新しい思想が見つけられないので、言い回しに新機軸を出そうと努め、考えないで話すその態は、何も入っていないのに口をもぐもぐと動かして、腹が減って飢え死にしそうになりながら何かを食べている振りをしている人たちのようである」(258頁)

スゴイでしょ。アカデミー会員どころではないわが国のヘボ学者たちの学会なんかもこんな感じです。思わずいくつも顔が浮かびます。わかってないのは当の本人だけなんですけど。

(中央公論新社2005年1700円+税)

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