長谷川三千子『日本語の哲学へ』
著者は本当に読みが鋭くて、何ページかに一度は「へぇー」っと感心させられます。本を読む訓練をしっかりした人ならではのおそるべき読解力です。
で、著者の十八番の哲学ですが、日本語での哲学というのは、「存在」とか「実存」とかの概念をギリシャ語の語源から始めてややこしく解析するというようなのではなくて、「もの」と「こと」の分析なんだということをあらためて教えられました。
そのこと自体は和辻哲郎がすでに気がついていたのですが、ハイデッガーの「存在者」と「存在」はそれぞれ「もの」と「こと」に見事に置き換えられるのです。ここをしつこく考え抜くことは、日本語による哲学的考察の試金石になるようです。
日本語の底知れぬ可能性が窺われて、実にいろいろと考えさせられます。本書自体が日本語による日本語の哲学の序章です。今後の展開が楽しみです。
それと同時に、自分でもどんな風に日本語で哲学できるのかということは、考えておかなきゃ。自分の仕事にどこまで活かせるのかということなのですが、とにかく大変な宿題をもらった気分です。
(ちくま新書2010年780円+税)
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ドイツ語で読む珠玉の短編(2026.06.23)
- 山本七平『小林秀雄の流儀』(2019.07.28)
- 田中圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』(2017.02.20)
- 天外伺朗『宇宙の根っこにつながる生き方 そのしくみを知れば人生が変わる』(2017.02.19)
- 柴田昌治『「できる人」が会社を滅ぼす』(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント