« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月30日 (火)

木田元『反哲学入門』

見事な哲学入門です。英独仏にギリシア、ラテンと語学の達人で稀代の読書家が丹念に読んでわかったことをきっちりと述べています。どうかすると原典どころか翻訳書さえも読まずに勝手なことを書いては思想家然とした態度を取っている人も少なくない業界で、この勤勉さと誠実さだけでも希有なことです。真のプロの仕事です。

著者は哲学というものを、超自然の立場から(つまり形而上学として)存在を考えることだとしていて、それはわが国には存在しない思考様式であり、なくてもすむものだと考えています。わが国では異常な情熱というわけです。

しかし、これはもちろんご本人がその魅力に取り憑かれているからこその発言で、だからこそ万人には勧めないとも言っています。子供のための哲学なんてもってのほかというわけです。

ただ、存在の不思議、世の中の不思議を考えるということがすでに哲学なのだと考えてもいいんじゃないでしょうか。あまり狭く考えてもねえ、とは感じます。

もっとも、著者はそうした西洋哲学の伝統に対して反旗を翻したニーチェ以降の哲学を「反哲学」と呼んで、そこから見える哲学史と現代哲学の問題を鮮やかに論じてくれています。この見方は確かに説得力がありますし、魅力的です。

著者の本は今まであまり読んでこなかったので、これからも買い集めて読んでいこうと思います。遅ればせながらも気がついてよかったです。

(新潮文庫平成22年438円税別)

| | コメント (0)

2010年11月29日 (月)

N・ルーマン『手続を通しての正統化』今井弘道訳

昔、ルーマンの『法社会学』を読んだときには感じなかったのですが、本書はかなり読みにくい文体です。翻訳のせいでもありますが、原文が読みにくそうなところは伝わってきます。

読みにくい文章でも内容があって味わい深いものならいいのですが、ルーマンには哲学があるわけではありません。優秀な社会学者だとは思いますが、文章で考える人ではないようです。社会学としてのアイデアはある意味凡庸でわかりやすいものです。

読みにくくてわかりやすい内容というのは矛盾しているかもしれませんが、章末でまとめたり、章の始めで前章をまとめたりと、内容が二、三度繰り返して出てくるので、言いたいことはわかるわけです。

しかし、論証ということになると、自身の理論に登場する「複雑性の縮減」とか「予期」といった独自の概念をじゃんじゃか使うので、ルーマン理論に心酔する人びとにとっては呪文のような魅力があるのでしょうが、予備知識のない読者にとってはちんぷんかんぷんでしょう。

どんな感じになるかというと、例えば「予期」について、

「即ち、手続それ自体は何ら真理性基準ではないが、決定の正しさを高める、それはコミュニケーションを可能にしキャナライズする、決定の成立を保証する、しかも論理が機能するか否か、唯一正しい解決の見通しを可能にするか否かとは独立にそうする、真理発見についての予見可能な妨害の除去に仕える、といった予期である」(3頁)

さらに問題になるのが訳語です。ここではキャナライズという英語が原文でも使われているのかもしれませんが、全体にカタカナ語がたくさんあって、英語もフランス語もドイツ語も頻出します。メルクマール、コンフリクト、フラクション、ザッハリヒ、オルタナティヴ、レレヴァント、イレレヴァント、ディメンジョン、インスタンツ、アンガージュマン、アマルガム化なーんて具合です。こんな感じ。

「実際の動機づけとして働く利害は、もはやあれこれの少数のプログラム的なオルタナティヴへと尖鋭化されえず、政党の中での内的な予備的選択と脱尖鋭化とによってアマルガム化され、もはや単に理想的で誰もが気に入るようなプログラムとして有権者の前に提示されることになる」(203頁)

「一つのインスタンツ、一つのヒエラルヒーでさえ、相対的に少数の情報を受けうるにすぎず、わずかな矛盾とコンフリクトを吸収しうるにすぎず、かなりプリミティヴに決定しうるにすぎないであろう」(310頁)

もうほとんど爆笑ものです。ルーマン本人は自らの理論的構築物の上で観念を走り回らせているので幸せでしょうけれど、翻訳者ももうちょっと工夫したほうがいいと思います。

ま、言いたいことはわかったので論文の参考文献には入れておきますが、一般にお勧めできる本ではありません。

ところで、私のドイツ語のS師匠からルーマン理論ってのは旧東ドイツの某法理論家の完全なパクリだと聞いたたことがあります。読める人は読んでいるし、完全にバレてるんです(世の中にはおそるべき勉強家がいるもので、当時社会主義法を専門としていたS師匠はその一人です)が、そんなことをごまかそうとするから、こんなけったいな文章になるのかもしれません。

(風行社1990年3300円)

| | コメント (0)

2010年11月28日 (日)

外国語を学ぶ人へ(通信教育部生向けのエッセー)

 今から30年くらい前のわが国の文科系の大学院では、外書購読の授業がほとんどで、当時大学院生だった私も毎日ドイツ語か英語の予習ばかりしていた記憶があります。博士課程の入学試験でも2カ国語が課されるところが多く、先生や先輩たちから訳文の誤りを指摘されたりしながら、博士課程入学時には、皆どうにか最低二カ国語は読めるようになっていました。
 私の場合は学部時代にフランス現代思想に凝って語学学校に通っていたことと、ハンガリーの法思想史を専門にし、ハンガリーに留学したこともあって、結果として4カ国語が何とかできるようになりました。
 最近は新しい外国語を学ぶ意欲も薄れてきましたが、わけあってロシア語の初級文法と不得意なドイツ語会話を勉強中です。それと、二年後に海外で学会発表をしなければならなくなったため、英語力の一層の向上ということが新たな課題になってきました。
 そのため今でも仮に魔法のように効率的な外国語学習法があるなら、是非とも知りたいと思っています。しかし、いくら効率的といっても、ある朝目が覚めたら外国語がペラペラになっていたなどというムシのいい学習法はさすがにありません。
 私の友人知己には10カ国語以上できる語学の達人が何人かいますが、そうしたポリグロット(多言語所持者)たちに共通するのは結局のところ勤勉さということに尽きるようです。
 ただ、私自身の外国語学習のささやかな経験をもってしても納得のいく効果的な方法は確かに存在します。
 以下に私のお勧めの外国語学習法を参考文献とともに挙げておきます。
1. 木田元『闇屋になりそこねた哲学者』(ちくま文庫)
 著者は農林専門学校時代に突然哲学に目覚め、英語を独習して東北大学に入学しますが、そのとき以来の独習法です。毎日8時間、3ヶ月間集中して学習したら、先生よりできるようになっていたそうです。その後大学生になってからは、毎年4月1日から6月30日までを「語学月間」にしてドイツ語、ギリシア語、ラテン語、フランス語を全部独学で習得したそうです。ハイデガーの『存在と時間』を読みたい一心でここまでマスターしてしまったという人です。
2. 斎藤兆史『英語達人塾 極めるための独習法指南』(中公新書)
 本書で設定されている英語の習得段階は日本人の最高レベルです。印象的なのは伝統的な学校英文法の重要性が強調されていることです。具体的なレベル診断から学習計画、そして教材選びのアドバイスに至るまで、実に行き届いた指南書です。ただし、達人への努力は一生ものです。本書の課題を全部こなすと10年かかります。
3. ロンブ・カトー『私の外国語学習法』米原万里訳(ちくま学芸文庫)
 著者自身5カ国語の同時通訳、10カ国語の通訳、16カ国語の翻訳をこなします。外国語学習の初日から読書を学習の中心に据えるというユニークな習得法です。ここでの読書にはあまり現代的すぎない文芸書を選びます。本書は週平均10〜12時間×2年間を学習に割くことができる平均的学習者を念頭に置いて書かれていて、通教生にはぴったりの設定です。
 本書のもう一つのいい点は、挫折した人のための一言があるところかもしれません。最後にその言葉を引用しておきます。
 「わたしたちが外国語を学習するのは、外国語こそが、たとえ下手に身につけても決して無駄に終わらぬ唯一のものだからです」(34頁)。
 とはいえ、できることなら上手に身につけたいものです。健闘を祈ります

| | コメント (0)

2010年11月26日 (金)

木田元『ハイデガー』

先日九州大学の旧校舎の近くにある本屋さんで本書を見つけました。岩波は買い取り制なので、売れ残りでも返本されずにいつまでも書店に置いてあります。本書は現在入手困難なので、これはお買い得でした。

でも、著者のエッセーが面白くなかったら買わなかったでしょうね。私はハイデガーはあまり面白いと思わないからです。小難しいことを取り除くと結構普通のことしか言っていないからです。

でも、著者はハイデガーが読みたいばかりに哲学を学び始めた人ですから、やはりそういう人の言葉に耳を傾けると、ハイデガーの面白さも少しはわかってくるかもしれないとも考えました。

しかし、結局のところ、ハイデガーの面白さはあまりわかりませんでしたが、著者の肉声が伝わってくるような文章の魅力は、本書でもしっかり堪能することができました。

著者はハイデガーのナチスへの荷担ぶりも隠そうとはせず、独特の呪文のような言い回しも決して快く思っていなくて、その点ではもはやほとんどハイデガー心酔者とは言えません。

著者はむしろハイデガーを哲学史家として高く評価していて、そのあたり妙に冷静です。だから、ハイデガーによるニーチェの解釈などが際立っているという評価になりますが、そうなのかもしれません。これはちょっと読んでみなければという気になってきました。

でも、ハイデガーよりはニーチェ、そして、ニーチェよりはキルケゴールのほうがずっといいと思っている私のようなつむじ曲がりは、どうも素直にそうですかという気持ちになれません。

ただ、著者が最後にハイデガーの問題提起を受けて、「西洋」という文明の隠れた本質を見抜くという課題を彼(ハイデガー)から引き継がねばならないのではなかろうか」(127頁)と述べているところは同感です。著者が「反哲学」などと言い出すのはこのあとからだったと思いますが、そうした知的運動の継承という点からすると、本当に誠実に努力された人だなあと感心させられます。

(岩波現代文庫2001年1000円+税)

| | コメント (0)

マルジャン・サトラビ『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』園田恵子訳

主人公のマルジが14歳でウイーンに出てからの話です。大人になって背が伸びて顔が長くなります。クスリをやったり失恋したりして帰国しますが、大学に入り、結婚してもまもなく離婚し、また国をあとにします。

ところどころに神様が出てきて、お祈りすると難局を乗り越えさせてくれます。お母さんに電話すると祈ってくれて効験あらたかだったりするのは面白いです。それがイスラム教の神ではない感じなのです。イランの宗教はかなり瞑想的で色合いが違う感じです。

それにしても、この青春編も読み応えがあります。マルジは失敗を繰り返しながらもたくましく成長していきます。だんだん頼もしく凛々しくなってきました。このあとはフランス編でしょうか。まだ翻訳が出ていないので、この先はしばらく外国語版で読まなくてはならないようです。それにしても30カ国語に翻訳されているだけのことはあります。世界中にファンがいるのでしょうね。

アニメはこの2巻までが描かれているようです。ハンガリー語版が400円程度で手に入ることがわかったので、そのうち注文しておきます。日本だと4000円以上するんですね。

(バジリコ2005年1500円+税)

| | コメント (0)

2010年11月24日 (水)

ジョン・ロールズ『公正としての正義 再説』田中成明・亀本洋・平井亮輔訳

『正義論』の新訳が出る前に読んでおこうと思って読みました。法哲学=政治哲学が哲学ではなくて一種の社会技術だということがわかります。哲学の魅力が形而上学にあるとしたら、ロールズにはそんなものはありません。また、数学的な厳密な論証というものもありません。そうしたものを排除して、価値観を含んだあいまいな議論が成り立つ日常世界のあり方に著者の関心があります。

いろんな哲学や信仰を持った人が集まって、どのあたりの相互理解で仲違いせずに生きていけるかということを追求するのがロールズの真骨頂だと思います。

ロールズは大変頭がいいだけでなく、心優しい人なのだろうと思います。アメリカの実情に合わせて可能な限り現実的な理論であろうとしています。微妙な議論の体系性にも精一杯気をつかっています。

ただ、個人的には私はこんな頭の使い方はしたくありません。形而上的なことに触れない頭の使い方は性に合わないからです。現実的な事柄もその背景には必ず形而上的世界が控えているわけで、その世界との交信がない限り、生きる勇気と喜びが湧いてこないからです。

ロールズが基礎的な直感的道徳というものを認める点では私も大いに共感できるのですが、それをもっと詰めて考えるのではなくて、あくまでそうしたものから派生してくる実現可能な議論として、権力が人びととどのような折り合いをつけるべきか、と考えるのがロールズの発想です。

それはそれで、ロールズの気持ちも方法もわからなくはないのですが、読者としては常に満たされない思いを抱いてしまいます。しかしこれは、あくまで趣味人というか読書人としての私の感想です。

本書が政治哲学・法哲学史上の金字塔的業績であることは確かです。翻訳も明解で、日本語的にも実にきっちりしています。『正義論』も翻訳者がしっかりしてそうなので、出たら読まなくては。原書で読む気はしません。かなりめんどくさそうです。よく翻訳してくれました。その意味でも感謝です。

(岩波書店2004年3600円+税)

| | コメント (0)

2010年11月22日 (月)

マルジャン・サトラビ『ペルセポリスⅠ イランの少女マルジ』園田恵子訳

イランから漫画家が出てくるなんて驚きです。それもイスラム革命やイ・イ戦争の時代の回想記です。あー、こんなんだったんだ、と驚かされることがたくさんあります。

絵も独特の味わいがあり、コマ割りも絶妙です。この巻では主人公の10才から14才までが回想されます。淡々とした語り口ですが、当時の日常がよくわかります。

イスラム革命以前のイランがいかに自由だったかということと、その後の狂信的宗教のテロリズムが、そして、イラクとの戦争の日々が描かれています。

著者と等身大と思われる主人公はいろいろと考え、反抗しながら徐々に大人になっていきます。その目つき、顔つきには、この年頃のひりひりした感じがうまく表わされています。昔見かけたことのある作家の中沢けいみたいな目つきです。

先日インドネシアのムスリムに肩入れしているジェンダー研究者の話を聞きましたが、この本は読んでいないようです。ヴェールは自発的なものだと力説していた研究者は、イランのとんでもない女性虐待のことはご存じないか見たくないようでしたから。

何せ、1960年代後半のテヘランはパリと変わらぬファッションの女性が街を闊歩していたくらいですから、ヴェールをかぶりたくない人は沢山いたのです。

そんなことは本書を読まずとも分かりそうなものですが、研究者というのは結構基礎的情報をないがしろにして勝手なことを言うことがあるので、世間的に立派とされる人でも10人に8人は偽物だと思えというパレート比率に従っておくのがいいと思います。

ま、とにかく本書はイスラム圏の中でもイラン理解の必読文献です。

(バジリコ2005年1400円+税)

| | コメント (0)

2010年11月21日 (日)

ジョン・ロールズ『万民の法』中山竜一訳

ロールズの『正義論』の新訳が出るらしいと聞いて、ネットで検索していたら最近の翻訳が引っかかって来ました。これは職掌柄読んでおかないと笑われてしまうかも、ということで早速読んでみました。

本書はカントの『永遠の平和のために』を意識しながら書かれた著者晩年の力作です。著者の議論の進め方は、経済学者のように理論モデルを構築して、それを現実の諸問題と対比しながら妥当性を探るというものです。その方法というか、語り口にはルソーの『人間不平等起源論』やロックの市民政府論の影響が感じられます。

ただ、著者の理論は、理論モデルを文字通り受け取るナイーヴな読者からは、現実離れした空論と受け取られる恐れもあります。善良で育ちのよさを感じさせる著者の文章は、したがって、隙だらけの論証のようにも見えるところがあります。

実際『戦争の問題にかんする決定的な事実は、立憲民主制社会同士が互いに戦争を始めるようなことはないということである』(9頁)とか書かれたりすると、その後の論証はともかく、読者の側でまず相当留保してから読まなければならなくなります。

著者は「1800年このかた確立されたリベラルな社会が互いに一戦を交えることは一度たりともなかったのである」と断言しています。それはそれで正しいと言えるかもしれませんが、著者がこの「確立されたリベラルな社会」にアメリカが含まれていると思っているふしがあります。

米西戦争でフィリピンを分捕ったり(60万人のフィリピン人を虐殺)、えげつないやり方でハワイ王国を併合したのは19世紀末のことですけど、これは立憲民主制のアメリカが一方的にやったことです。

また、著者は東京大空襲や広島長崎の原爆投下の非を認めていて、良心的なところを見せてもいますが、アメリカ人の多くが原爆を心の底では誇りに思っているというあたりに気がついていないようにも見えます。

どうも著者の理論はともかくとして、歴史や現実政治の認識には随分と大きな穴があるようです。アメリカ人のえげつない側面を見ようとしなかったし、見なくてすんだ人なのかなと感じます。

もちろん、こうした著者の提唱するユートピア的万民法も、そうした可能性があることを示すだけでも意味があるとは言うことができるでしょう。それはおそらく希望の論理として意義を持ち得ます。

ところで、そんな万民法も立憲民主制国家が不法国家に対して自衛のためにする戦争は認めています。戦後日本に駐留軍の一員として滞在した経験のあるロールズは、日本国憲法についてはどう思っていたのでしょう。存命なら聴いてみたかったところです。

翻訳はさすが中山先生らしくわかりやすいと思いますが、77頁7行目の「公共的理性」の後に「に」が抜けています。岩波にしては珍しいことです。

(岩波書店2006年3500円+税)

| | コメント (0)

2010年11月18日 (木)

R.セイラー、C.サンスティーン『実践 行動経済学―健康、富、幸福への聡明な選択』遠藤真美訳

ここ数年で行動経済学の本が沢山出版されて、フォローしきれないくらいですが、本書はこの分野では有名なセイラー教授と法哲学者のサンスティーン教授の共著ということなので、読んでみました。

法哲学や政治哲学に行動経済学の視点を取り入れると、著者たちによれば「リバタリアン・パターナリズム」になるようです。自由主義的でありながら大枠では面倒を見てもらうという、放蕩息子の帰還のような感じです。

子どもは自分の行動を自由に選んでいいけれど、行動の選択肢は保護者が設定していると言い換えるとわかりやすいでしょうか。社会制度を設計する立場としては妥当な方針かもしれません。現代法哲学に対してはホットな話題を提供してくれることでしょう。

本書は「実践」と銘打っているだけあって、街のゴミを減らすにはどうしたらよいかとか、街路の植木を盗まれないようにする方法とか、プラス思考による頼み事の仕方とか、具体的で細かい方策が例として取り上げられていて、NHKの「ご近所の底力」みたいな感じの読者へのサービス精神もあります。

たぶん著者たちも機械的に執筆の担当章を割るのではなく、何度も会って話をしながら書いたのではないかと思わせてくれる語り口です。授業でもいくつか使わせてもらおうと思います。

そういえば明後日から福岡で日本法哲学会があります。こんな面白い話が聞けるとは限りませんが、浮き世の義理で出席してきます。法哲学者としてのサンスティーン教授の他の本もこの機会に読んでみます。

(日経BP社2009年2200円+税)

| | コメント (0)

2010年11月16日 (火)

髙山正之『日本人の目を覚ます痛快35章 朝日新聞・米国・中国を疑え』

痛快というより日本のインテリや新聞記者あるいは裁判官や役人のえげつなさにむしろげんなりさせられる本です。

目にとまったところだけでも、古谷浩一、松井やより、南敏文、貝瀬秋彦、本多勝一、植村隆、大江健三郎、若宮啓文、添谷芳秀、松本健一、藤原彰、古田元夫、後藤乾一、吉見義明、吉田康彦、倉石武四郎、船橋洋一、長尾一紘、園部逸夫、門奈直樹、小島朋之、横尾和子、堤修三、越村加代子、渡辺知二、石村耕治というそうそうたる面々です。

このうち長尾、園部両人は自らの間違いと不勉強を認めていますが、それ以外の人びとは事実をろくに調べることもなく、中には間違った主張を墓場まで持っていってしまった人もいます。

実際、いまだに朝日新聞に取り上げられると喜んでしまう曲学阿世の徒は少なくありません。迎合したのはいいけれど基本的事実を検証していなくて、おっちょこちょいを天下にさらしてしまうというていたらくです。

ただ、影響力のある立場での発言は、そのために人が処刑されたり、あまりにも国益に反したりするので、おっちょこちょいではすまないのですが、そのあたりは赤信号を無視する無法ドライバーのように、大事な事実から目をそらすのですが、その目のそらし方が皆面白いほど共通していて、かえってわかってしまうのです。

本書ではほかに、オバマがヘビースモーカーで、イスラムの神学校に通っていた過去があること(確かにミドルネームはフセインですもんね)や、京都議定書にサインしなかったアメリカ政府代表にはアル・ゴアが副大統領としてしっかり出席していたという不都合な真実などが丁寧に調べて書かれています。

ヘミングウェー夫妻が蒋介石と宋美齢夫妻にあったときの印象も、なるほどねーという感じがします。でも、アメリカ人の多くは見抜けなかったのですが。

とにかく驚きに満ちた本です。

(テーミス2010年1000円+税)

| | コメント (0)

2010年11月14日 (日)

髙山正之『変見自在 偉人リンカーンは奴隷好き』

いつもながらすごい本です。マスコミや学者がバカで小狡いために表に出てこない情報が満載です。週刊新潮の連載はいつも立ち読みで済ませていますが、せめてもの罪滅ぼしに、こうやって本になったときには必ず買うようにしています。しかし、本としてまとまるとまたずっしりとしたパワーに満ちたものになって、圧倒されます。

本書でも実名でいろんな人が言及されています。インターネット時代ですから肖像写真を探すこともできて、興味本位で検索してみると、なるほどこの発言にしてこの顔ありという感じで納得がいきます。

どんな人が挙がっているかというと、船橋洋一、後藤乾一、倉沢愛子、古畑種基、秋岡家栄、田辺雅泰、ポール・イガサキ、マイク・ホンダ、ノリミツ・オオニシ、岩下昭裕、吉川孝次郎、浅海一男、増田好平、牛村圭、藤原彰一、半藤一利という錚々たる顔ぶれです。

自分でも覚えておくために書いていますが、何がどうなってもお友達にだけはなりたくない人たちです。

次に本書で初めて知ったことを列挙しておきます。
・コラソン・アキノは華僑初の大統領だった。
・オバマは日本向けにF22戦闘機を作らないと宣言した。
・イタリアとスイスは第二次大戦後日本から少なからぬ賠償金を取っていった。
・USA Today が選んだ20世紀の重大ニューストップ100の第一位は広島の原爆だった。

後は上記登場人物によるあまりにもあんまりな話です。外人ではマッカーサーやルーズベルト、それにリンカーンがどんな人だったかということがよーくわかります。気分が悪くなること請け合いです。

なお、著者は歴史をコンパクトに書くのが上手なので、スンニー派とシーア派の歴史や、東チモールの歴史も数行でたちまちわかります。さすが真のジャーナリストです。心底立派だと思います。

(新潮社2010年1400円税別)

| | コメント (0)

2010年11月12日 (金)

スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー『超ヤバい経済学』

前作『ヤバい経済学』が面白かったので、増補版まで買って読んでしまいましたが、これはその第二弾です。行動経済学のようでそうではなく、エコロジストなのかと思えばそうでもなく、机の上だけの冷たい経済学ではなく、ちょっとだけ熱い経済学の著者たちが、虚を突くような意外な問題に対して確なデータを示すことで、より深い理解へとたどりつくヒントを与えてくれる、という本です。いかん、説明が長くなってしまいました。

具体的には、
1.インドでは女性の命が軽視されていて、人口比でも女性が男性より5000万人少なく、毎年10万人を超える若い女性が家庭内暴力で実際に焼き殺されている(「嫁焼き」というそうです)。
2.ハンガリー出身の医師ゼンメルワイスは産褥熱の予防法を発見したことで知られるが、産褥熱の原因は医者が手を洗わないことにあると正しくも指摘したため、医者たちによって精神病院に入れられて拘束され、2週間後に亡くなった。
3.オマキザルに貨幣を使うことを学習させたら、ほどなく貨幣の強奪が起こり、売春行為も見られるようになった。

といった話がたくさん載っています。温暖化する地球を冷やすための、大胆な二つの安価な方法も紹介されています。

とにかく滅法面白い本でした。授業でも学生たちに紹介するつもりです。

それから、原書と読み比べたわけではありませんが、見事な訳文に感心させられました。大学の教室の英文購読授業から出てきた翻訳者は、テキストを見ながら平気で生硬な訳語を使うことが少なくないのですが、翻訳者はアメリカでマスターを取っているという経験を十分活かしているように思います。

(望月衛訳、東洋経済新報社2010年1900円+税)

| | コメント (0)

2010年11月 9日 (火)

H.P.マルチュケ=村上淳一編『グローバル化と法―〈日本におけるドイツ年〉法学研究集会―』

最近読んだ本の中で、本書所収のグンター・トイブナーの講演(論考)を是非とも読むように、と薦められていたので読んでみました。なるほど重要なことが書かれていました。シンポジウムの基調講演にあたるものですが、今日の法が単純なピラミッド型権力支配の道具にはなりえず、部分的な法秩序の緩やかなネットワークによってつながっている慣習法的な性格を持つに至ったことがうまく表現されています。

トイブナーはN.ルーマンの弟子らしく、師匠の理論的枠組みを活かしたかたちで論じていますが、この講演を受けた村上淳一の論考では、法社会学者エールリッヒの議論にも触れながら、学説史を概観していて有益です。

特にルーマンの仇敵でもあったハーバーマスとその弟子であるギュンターによる対話的正義の立場からの批判に再反論するところもフォローされていて、議論に広がりが出ています。日本人の学者らしく勤勉かつ親切なフォローです。

私の専門の法哲学的にはこの最初の論考がもっとも面白く読めましたが、民法、公法、経済法、国際法、刑法、さらに法曹要請という都合6つの部会の議論もそれぞれに参考になりました。

科研費の申請が通ると、自分でこんなシンポジウムを企画することになるのですが、そのときは大いに参考にさせてもらうつもりです。「法学研究集会」なんて、結構うまく使えそうな名称で素敵です。

(信山社2006年3800円税別)

| | コメント (0)

2010年11月 7日 (日)

斉藤美奈子『妊娠小説』

著者のデビュー作。ようやく読みました。すでにここに著者の鋭さのすべてが出ていると言っていいような畏るべき本でした。

登場人物の女性が望まない妊娠をして、生みたいといいながら堕胎するというパターンは、森鴎外の『舞姫』以来、わが国の小説の王道といってもいいくらいたくさんあったのですね。この目の付け所が本当にすごいと思います。

それで、こういう見方をしてみると、何で避妊しないのかとか、根本的な疑問が浮かんでくるわけですが、小説を読んでいるあいだは慎み深い読者として、そんな疑問が浮かぶことを自ら禁じていたのかもしれないということにも気づかされます。

それにしても、石原慎太郎や三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹、村上龍、最近では辻仁成と、人気作家がそろいもそろってツッコミどころ満載の小説を書いているというのは、確かに不思議な現象です。

著者はわが国に妊娠中絶にまつわる固有の文化的事情があると考えています。もともと堕胎が文化的に禁止されてこなかったため、「中絶はよいが、仕方にこだわれ」と暗黙のうちに要求するような風習が生まれ、それはほとんど「堕胎道」のような体裁を備えるに至ったと見ています(288-289頁)。こうして要するに、妊娠小説は「堕胎道」の実践の書であるということになるわけです。

この意味では、妊娠小説というのは、わが国の裏文化に根ざしている文学的テーマなのかもしれません。このそこはかとなく気持ち悪いところが、文化というものだと考えるとある程度納得がいきます。

そうだとしたら、わが国の文学史上で、業平や光源氏や世之介が登場する女性たちをどんどん妊娠させては出産ラッシュになるようなお話の展開だったら、こういう文化的風土もかなり変わっていたのではないかという気がします。

妊娠する喜びや妊娠させる喜び(?)というのは文学になりえないでしょうか。その結果としての出産も人生の中では一大イベントですが、そのまま喜んでも文学にはなりにくいのかもしれません。でも、パロディーでもいいから誰か書いてくれませんかね。読みますよ。

(ちくま文庫1997年680円+税)

| | コメント (0)

2010年11月 6日 (土)

八代京子・町惠理子・小池浩子・吉田友子『異文化トレーニング ボーダレス社会を生きる』

授業で異文化コミュニケーションを教えることがあるのですが、この分野はなかなかいい教科書がなくて難儀していました。植民地支配型のアメリカ人が異文化に驚いてみせるという白々しい理論書(とその受け売り教科書)はあるのですが、理論と感受性のレベルが低すぎてお話になりませんでした。

本書はその点で初めて水準以上の優れた教科書が出たと言っていいと思います。著者たちは「はじめに」にあるように、海外生活経験が豊富で「異文化での試行錯誤と当惑からくるストレスを十分に体験し、それを克服してきたし、今でも失敗を繰り返しながら、それらの失敗から学んでいる身である」とのことです。

著者たちは大学での講義の経験も豊富なため、授業に使える実践的トレーニングが豊富に収録されています。これは大いに参考にさせてもらうつもりです。各トレーニングはよく考えられ、練り上げられたもので、すでに一つ使わせてもらいましたが、学生の評判も上々でした。著者たちの講義もそれぞれの大学で人気が高いのだろうと思われます。

教科書としてだけではなく、読み物としても十分楽しませてくれます。この分野に関心がない人でも面白く読めると思います。私が講座担当だったら新しい教科書に指定したいところです。

(三修社2009年2740円)

| | コメント (0)

2010年11月 5日 (金)

ダン・アリエリー『予想どおりに不合理』熊谷淳子訳

行動経済学は人間が合理的な生き物ではないことをいろいろと実証してきていますが、本書はそこをさらに一歩進めて、人間の不合理性には共通性があり、予測することもできるという主張を展開しています。

本書のタイトルそのままの主張ですが、まあ、みんなおバカな展では共通しているということです。合理的経済人モデルが破綻しているというだけならあまり生産的ではありませんが、本書の立場は積極的で好感が持てます。

著者はいろいろな心理実験を大学生や一般人相手に試みていて、その発想は自由で創造性に満ちています。同じ偽薬でも価格の高価な方がよく効くという実験によりイグ・ノーベル医学賞をもらったりしています。

私は比較文化論の授業で行動経済学の実験結果を題材に議論することがありますが、異文化の摩擦ばかりでなく、人間は皆おバカな具合が共通しているという実例として考えてもらうことにしています。サンデル先生よりももっと笑える授業を目指しています。これを楽しむにしかず、といきたいものです。

本書も心理実験例として題材に適したものがいくつかありました。早速使ってみたいと思います。

それから、翻訳文が実に読みやすくリズムがよくて感心しました。訳者は相当力のある人なんだろうなと想像します。こういう人が中村妙子なんかの代わりにルイスやセイヤーズの翻訳をしてほしいものです。

(早川書房2008年1800円+税)

| | コメント (0)

2010年11月 1日 (月)

徳永康元『ブダペストの古本屋』

生前の著者にはお目にかかったことはありませんでしたが、若い教え子の留学生たちとは仲が良かったので、他人のような気がしません。そういえば、私のハンガリー語の先生たちもそういえば徳永先生のお弟子さんでした。

ただ、一度栗本先生の紹介ということでご自宅にお電話したところ、ご本人はお留守だったのですが、奥様から実にいやーな対応を受けたことがあります。決して失礼な言い方をしたつもりもなかったのですが、まるでたちの悪い酔っぱらいに絡まれているような気がして気分が悪くなりました。

たとえば「(私がハンガリーから)帰ってきたら」という文脈での言葉遣いをまずはご主人が「帰ってきたら」というのは無礼だとお怒りになり、「帰って参りましたら」と言うべきだってなことをねちねちと遠回しに言われたりして、えらくつっかかってくるのでした。いや、つっかかっていらっしゃるのでした。しばらく事情をお話ししているうちに少し冷静になられて「若い人には普通はよく会うんですが」なんて仰っていましたが、こちらの気持ちの方も折れてしまって、またあらためてご連絡するということにして電話を切りました。

この経験は何十年経っても少しもいい思い出になってはいません。今思い出しても気分が悪くなります。結構なトラウマかも。

その後ほどなく著者からは栗本先生にていねいなお手紙が来ていたようですが、日を改めてお会いしましょうというものではありませんでした。というわけで、こちらからご本人にお会いする気はすっかりなくなって、それなりけり。2003年にお亡くなりになるまで一度もお会いすることはありませんでした。まあ、縁がなかったのでしょう。

というわけで、今回著者の本を読むのが初めてで、ハンガリー研究者としてはまるでモグリのような私ですが、実際読んでみると、世評に違わず著者が上品な趣味人で、名文家だったことはわかりました。戦前戦後のハンガリーの街の様子や文化の事情がよくわかり、モルナールやレンジェルのような作家の話も興味深いものがあります。

本の蒐集に対する情熱もかなりのもので、相当の量の書物を買われたことと思います。今日著者の蔵書はどのように保管されているのでしょう。早稲田大学に寄贈されたとも仄聞していますが、整理するだけでも何年もかかりそうです。故人の蔵書は散逸すると意味がないので、徳永文庫としてまとめてアルファベット順というのが一番いいような気がします。

ところで、本書を読んで気がついたことですが、著者はおそらくとてもいい人だったのでしょうけれど、ご本人が善人すぎて邪悪なものに対する想像力に欠けるところがあったのではないでしょうか。モルナールの晩年の愛人ワンダについての見方がナイーブすぎて気の毒なくらいです。作家評として気になったのはここだけですが、これでは無菌室の想像力です。文学には向いていないのではと思ってしまいました。

ただ、周りに悪い人がいても気がつかないくらいの善人はそこに存在するだけで輝いていますから、それはそれで尊いことです。この世の中にそんな人がいたということだけでも奇跡みたいなものです。合掌。

(ちくま文庫2009年1,000円+税)

| | コメント (0)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »