ジョン・ロールズ『万民の法』中山竜一訳
ロールズの『正義論』の新訳が出るらしいと聞いて、ネットで検索していたら最近の翻訳が引っかかって来ました。これは職掌柄読んでおかないと笑われてしまうかも、ということで早速読んでみました。
本書はカントの『永遠の平和のために』を意識しながら書かれた著者晩年の力作です。著者の議論の進め方は、経済学者のように理論モデルを構築して、それを現実の諸問題と対比しながら妥当性を探るというものです。その方法というか、語り口にはルソーの『人間不平等起源論』やロックの市民政府論の影響が感じられます。
ただ、著者の理論は、理論モデルを文字通り受け取るナイーヴな読者からは、現実離れした空論と受け取られる恐れもあります。善良で育ちのよさを感じさせる著者の文章は、したがって、隙だらけの論証のようにも見えるところがあります。
実際『戦争の問題にかんする決定的な事実は、立憲民主制社会同士が互いに戦争を始めるようなことはないということである』(9頁)とか書かれたりすると、その後の論証はともかく、読者の側でまず相当留保してから読まなければならなくなります。
著者は「1800年このかた確立されたリベラルな社会が互いに一戦を交えることは一度たりともなかったのである」と断言しています。それはそれで正しいと言えるかもしれませんが、著者がこの「確立されたリベラルな社会」にアメリカが含まれていると思っているふしがあります。
米西戦争でフィリピンを分捕ったり(60万人のフィリピン人を虐殺)、えげつないやり方でハワイ王国を併合したのは19世紀末のことですけど、これは立憲民主制のアメリカが一方的にやったことです。
また、著者は東京大空襲や広島長崎の原爆投下の非を認めていて、良心的なところを見せてもいますが、アメリカ人の多くが原爆を心の底では誇りに思っているというあたりに気がついていないようにも見えます。
どうも著者の理論はともかくとして、歴史や現実政治の認識には随分と大きな穴があるようです。アメリカ人のえげつない側面を見ようとしなかったし、見なくてすんだ人なのかなと感じます。
もちろん、こうした著者の提唱するユートピア的万民法も、そうした可能性があることを示すだけでも意味があるとは言うことができるでしょう。それはおそらく希望の論理として意義を持ち得ます。
ところで、そんな万民法も立憲民主制国家が不法国家に対して自衛のためにする戦争は認めています。戦後日本に駐留軍の一員として滞在した経験のあるロールズは、日本国憲法についてはどう思っていたのでしょう。存命なら聴いてみたかったところです。
翻訳はさすが中山先生らしくわかりやすいと思いますが、77頁7行目の「公共的理性」の後に「に」が抜けています。岩波にしては珍しいことです。
(岩波書店2006年3500円+税)
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