斉藤美奈子『妊娠小説』
著者のデビュー作。ようやく読みました。すでにここに著者の鋭さのすべてが出ていると言っていいような畏るべき本でした。
登場人物の女性が望まない妊娠をして、生みたいといいながら堕胎するというパターンは、森鴎外の『舞姫』以来、わが国の小説の王道といってもいいくらいたくさんあったのですね。この目の付け所が本当にすごいと思います。
それで、こういう見方をしてみると、何で避妊しないのかとか、根本的な疑問が浮かんでくるわけですが、小説を読んでいるあいだは慎み深い読者として、そんな疑問が浮かぶことを自ら禁じていたのかもしれないということにも気づかされます。
それにしても、石原慎太郎や三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹、村上龍、最近では辻仁成と、人気作家がそろいもそろってツッコミどころ満載の小説を書いているというのは、確かに不思議な現象です。
著者はわが国に妊娠中絶にまつわる固有の文化的事情があると考えています。もともと堕胎が文化的に禁止されてこなかったため、「中絶はよいが、仕方にこだわれ」と暗黙のうちに要求するような風習が生まれ、それはほとんど「堕胎道」のような体裁を備えるに至ったと見ています(288-289頁)。こうして要するに、妊娠小説は「堕胎道」の実践の書であるということになるわけです。
この意味では、妊娠小説というのは、わが国の裏文化に根ざしている文学的テーマなのかもしれません。このそこはかとなく気持ち悪いところが、文化というものだと考えるとある程度納得がいきます。
そうだとしたら、わが国の文学史上で、業平や光源氏や世之介が登場する女性たちをどんどん妊娠させては出産ラッシュになるようなお話の展開だったら、こういう文化的風土もかなり変わっていたのではないかという気がします。
妊娠する喜びや妊娠させる喜び(?)というのは文学になりえないでしょうか。その結果としての出産も人生の中では一大イベントですが、そのまま喜んでも文学にはなりにくいのかもしれません。でも、パロディーでもいいから誰か書いてくれませんかね。読みますよ。
(ちくま文庫1997年680円+税)
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