徳永康元『ブダペストの古本屋』
生前の著者にはお目にかかったことはありませんでしたが、若い教え子の留学生たちとは仲が良かったので、他人のような気がしません。そういえば、私のハンガリー語の先生たちもそういえば徳永先生のお弟子さんでした。
ただ、一度栗本先生の紹介ということでご自宅にお電話したところ、ご本人はお留守だったのですが、奥様から実にいやーな対応を受けたことがあります。決して失礼な言い方をしたつもりもなかったのですが、まるでたちの悪い酔っぱらいに絡まれているような気がして気分が悪くなりました。
たとえば「(私がハンガリーから)帰ってきたら」という文脈での言葉遣いをまずはご主人が「帰ってきたら」というのは無礼だとお怒りになり、「帰って参りましたら」と言うべきだってなことをねちねちと遠回しに言われたりして、えらくつっかかってくるのでした。いや、つっかかっていらっしゃるのでした。しばらく事情をお話ししているうちに少し冷静になられて「若い人には普通はよく会うんですが」なんて仰っていましたが、こちらの気持ちの方も折れてしまって、またあらためてご連絡するということにして電話を切りました。
この経験は何十年経っても少しもいい思い出になってはいません。今思い出しても気分が悪くなります。結構なトラウマかも。
その後ほどなく著者からは栗本先生にていねいなお手紙が来ていたようですが、日を改めてお会いしましょうというものではありませんでした。というわけで、こちらからご本人にお会いする気はすっかりなくなって、それなりけり。2003年にお亡くなりになるまで一度もお会いすることはありませんでした。まあ、縁がなかったのでしょう。
というわけで、今回著者の本を読むのが初めてで、ハンガリー研究者としてはまるでモグリのような私ですが、実際読んでみると、世評に違わず著者が上品な趣味人で、名文家だったことはわかりました。戦前戦後のハンガリーの街の様子や文化の事情がよくわかり、モルナールやレンジェルのような作家の話も興味深いものがあります。
本の蒐集に対する情熱もかなりのもので、相当の量の書物を買われたことと思います。今日著者の蔵書はどのように保管されているのでしょう。早稲田大学に寄贈されたとも仄聞していますが、整理するだけでも何年もかかりそうです。故人の蔵書は散逸すると意味がないので、徳永文庫としてまとめてアルファベット順というのが一番いいような気がします。
ところで、本書を読んで気がついたことですが、著者はおそらくとてもいい人だったのでしょうけれど、ご本人が善人すぎて邪悪なものに対する想像力に欠けるところがあったのではないでしょうか。モルナールの晩年の愛人ワンダについての見方がナイーブすぎて気の毒なくらいです。作家評として気になったのはここだけですが、これでは無菌室の想像力です。文学には向いていないのではと思ってしまいました。
ただ、周りに悪い人がいても気がつかないくらいの善人はそこに存在するだけで輝いていますから、それはそれで尊いことです。この世の中にそんな人がいたということだけでも奇跡みたいなものです。合掌。
(ちくま文庫2009年1,000円+税)
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