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2010年12月28日 (火)

ダン・アリエリー『不合理だからすべてがうまくいく 行動経済学で「人を動かす」』櫻井祐子訳

人間には不合理な傾向がたくさんあり、それに気がつかないまま「動かされている」ことがしばしばです。著者はその不合理的傾向を知ることで、人は自らを知り、制御できるようになると考えています。

著者は全身にとんでもない火傷を負い、そこからのつらいリハビリを経て、社会生活に復帰してからも容貌のコンプレックスに悩んだ中で、行動経済学の単純に幸せな世界観とはひと味も二味も異なる観察眼を養ってきました。その成果が前作と同様、本署にも十分活かされています。

著者は教室での心理実験でも様々な工夫を凝らして、現実の状況を反映するように設定されています。その結果として実に納得のいく考察が展開されることになりますが、通説とはずいぶん異なる見解も多々含まれています。本書がベストセラーになることで、同業者からは相当やっかみも受け、露骨に嫌われたりもするのではないでしょうか。ご苦労が偲ばれます。

本署には人間の様々な不合理な傾向が取り扱われていますが、個人的にはチンパンジーにも見られる報復の本能あるいは喜びについて、最も興味を惹かれました。正義論もここから書かれなければぬるいものになってしまいそうです。

復讐は必ずしもマイナスのエネルギーになるのではなくて、そこから始まった成功譚として、著者はディズニーをクビになったところから成功を収めた映画プロデューサー、ジェフリー・カッツェンバーグの例を挙げています。大ヒット作『シュレック』を制作した人です。悪者が元上司(ディズニーの社長)を思わせる顔をしているのだそうです。著者は言います。

「こうしてシュレックの背景を知ったからには、ぜひもう一度映画を見て、復讐がいかに建設的(でおもしろい)かを味わってほしい」(208頁)

なるほど、見てみることにします。

(早川書房2010年1900円+税)

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植島啓司『生きるチカラ』

植島先生の人生論です。ここのところ著者の本は読んでいませんでしたが、本書で関西大学をお辞めになって貧乏生活をされていたりしたこともあったと知って、天性のギャンブラーの生き方を実践されていることがわかりました。

伝え聞くところによると、若い頃は着流しで懐に札束を入れてヤクザと麻雀を打っていたそうです。麻雀放浪記みたいですが、人類学者として世界中のいろんなところを放浪されてもいます。大学勤めが合わなかったのもうなずけます。

そうと知ると、いい加減な読者を代表するような私ですが、しばらく読んでいなかった著者の本をまとめて読んでみようかという気になってきました。

本書はそうした著者のギャンブル的人生観がどことなくのんびりと述べられていて、いい感じの読後感が得られます。随所に挿入される逸話が面白くて、ついつい真面目に働くことが自己目的になりがちな凝り固まった頭を柔らかくしてくれます。

本書からは著者の魅力的な人柄が伝わってきます。きっといいお友だちがたくさんいるのでしょう。それは本書には書かれていませんが、著者の「生きるチカラ」を支えてくれる存在なのだろうと思います。

(集英社新書2010年700円+税)

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土屋賢二『妻と罰』

ご存知『罪と罰』のもじりですが、内容からして妻から罰を与えられるのは著者のようです。

いつもながら妻、助手、学生など強力な女性陣が登場して著者がやり込められるパターンが健在ですが、お茶大を退官されたせいか、同僚の女性教員は登場しません。でも、助手や学生は登場するので、そのせいでもなさそうです。あるいはきついお叱りがあったのでしょうか。

それにしても、これだけギャグを考え出す創造力は大したものです。文春文庫だけでも本書で12冊目です。どれを読んでも同じような感じではあるのですが、やっぱり笑ってしまいます。以前にもこのブログに書いたことがありますが、時には古本屋で見つけた未読の単行本を買って読んでみて、同じものの文庫を以前読んでいたことに読み終わってから気がついたりします。

哲学者の書くエッセーですから、少しは哲学らしきことが書かれているのではと思うときもあるのですが、必ず落ちがあるので、やっぱり純粋なギャグです。今回途中で、あれっ、と思ったところがあったのですが、今探してみても見つかりません。錯覚だったかもしれません。

いずれにしても、本が出たらまた買って読んでしまうことでしょう。でも、本書の中で触れられていた『ツチヤ教授の哲学講義』(岩波書店)は、さすがに哲学の教科書のようなので、これは是非とも探して読んでみなければと思っています。

(文春文庫2010年448円+税)

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2010年12月25日 (土)

内田樹『武道的思考』

いい本でした。目からウロコの指摘や解釈が満載です。身体論や武道の話題だけではありません。学生運動や国防、外交にまでにまで話題が広がります。私にとって「言われてみれば確かにそうだよね」という指摘をいくつか次に挙げてみます。

・「おむつなし育児」を実践するお母さんたちが口々に言うのは、子供の便意をぴたりと感知して出てきたときのうんちは「かわいい」というものである(167頁)。
・対立したものを対立したまま両立することが「術」である(甲野善紀先生の言葉として、168頁)。
・教育を全国斉一的に管理する機関がなかった時代(つまり明治維新まで)、日本の教育はその当時の世界最高水準にあった(234頁)。
・へなちょこなゲバ棒でジュラルミンの盾と警棒で武装した機動隊と戦うときにはじめて「ベトナムの農民との連隊」が幻想的に成立したのである。そして機動隊に蹴散らされて、血まみれになるときにはじめてアジア人としての恥の感覚が少しだけ軽減したのである(251頁)。
・[イラク戦争でわが国が出した]当初援助額である九十億ドル(一兆二千億円)のうち、クウェートに渡ったのは六億三千万円であった。あとはアメリカが持っていった。国際社会は「国際貢献」という名分でアメリカに「転がされた」日本の愚鈍を笑ったのである(276頁)。
・アメリカは是まで実に多くの国際紛争の調停を試みてきたが、歴史が私たちに教えるのは、彼らは調停者としての能力が極めて低いということである(294頁)。
・日本はアメリカが世界中の人びとから敬愛され、その繁栄を世界中の人々が望むようになるためには指一本動かさなかった(310頁)。
・日本人が本当に知らないふりをしているのは「日本が従者として主人[アメリカ]におもねることを通じて、その没落を念じている」という事実それ自体なのである(313頁)

思わずたくさん引用してしまいましたが、これに加えて武道的身体論の気づきがたくさん書かれていて本当に教えられるところの多い本でした。

(筑摩書房2010年1600円+税)


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2010年12月23日 (木)

寿岳文章編『柳宗悦 妙好人論集』

以前読んだ『南無阿弥陀仏』もわかりやすくてためになりましたが、本書もそうです。本書では第1章の「仏教に帰る」で著者の精神遍歴が述べられます。その中で、著者が若い頃は西洋思想やキリスト教に惹かれていたのが、次第に東洋の仏教思想に関心が移ってきた経緯が記されていますが、その問題意識の鋭さには驚かされます。

著者は、西洋思想が明快な論理による二元論的特徴を持っているのに対して、東洋ではそのように分別されたものよりも、分別されないもの二注意を向けてきたと言い、こう続けます。

「分別された世界の悲劇は、永劫の闘争ということである。この世界に沈淪したら、遂に心の平和はなく、自由はない。それ故、かかる二元のない世界、起らぬ世界、分れぬ世界、つまり不二の世界に、最も大なる注意を向けたのである」(26−27頁)

二元論を成り立たせているのはその両者を支え、それを成り立たせている別の力なのです。しかし、それをたとえば善と悪という二元論で考えたりすると、互いに一方の敵を殲滅することだけが関心となり、折り合いがつかなくなります。

ここでヘーゲルだったら時間をずらして「止揚」とかいう3番目の力が登場したりするのですが、それだったら最初から分かれない世界を見ていった方が正確ではないか、と東洋の賢者が考えたかどうかはともかくとして、大乗仏典などでも最初から二つに分かれない「不二」なんてものが意味を持っているのが面白いところです。

で、そんな面倒臭いことは考えていなくて、ただただ阿弥陀如来のご加護を信じて感謝するという実にシンプルな信心の中にも同じような境地が存在していることを自らの生き方で実証しているのが、わが国の「妙好人」という存在なのです。

私も妙好人にあやかって、とにかく何かにつけても「ありがたい、阿弥陀如来のおかげです」とつねにほとんどうわごとのように言えるようになることができれば、きっと幸せな老後が送れることでしょう。でも、どうやらこの分だと理屈と毒舌で身を滅ぼすような喰えないジジイになってしまいそうです。くわばらくわばら。

(岩波文庫1991年840円+税)


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2010年12月21日 (火)

内田樹『街場のマンガ論』

内田先生の読みはいつも深くて面白いです。それはマンガについても同じで、いたるところに独特の新鮮で鋭い見方が光っています。私自身、最近あまりマンガを読んでいませんが、井上雄彦の『バガボンド』なんか絶賛されているからには、読まなきゃと思い始めています。

少女マンガには主人公も気がついていない無意識の声があるという指摘は言われてみるとなるほどと思わされました。私自身は昔、妹がマーガレットを購読していて、『ベルばら』とか『エースをねらえ』、あるいは『水の子』なんかはしっかり読ませてもらっていたので、多少は話題についていけますが、それでも穴だらけの読書歴です。あらためて『天然コケッコー』とか読んでみたくなりました。

本書には養老孟司との対談もあって、これもまた面白かったです。養老さんもマンガ大好きな人なんですね。でも少女マンガはわからないというのも、どこか彼らしい感じがしました。

大学の将来を考える上で『のだめ』だけでなくて、『ハチミツとクローバー』や『もやしもん』というのが著者お勧めの書らしいので、これはぜひとも近いうちに読んでみます。変人パラダイスとしての大学というのは経営的にはともかく、教育的には理想的かもしれません。

(小学館2010年1400円+税)

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2010年12月20日 (月)

日垣隆『こう考えれば、うまくいく。』

著者がこんな本を読みたいと思った本を書いたのが本書で、そこには考え方と情報収集のコツがしっかり詰まっていました。少なくとも著者にとっては「こう考えれば、うまくいった」ということが惜しげもなく披露されています。

とにかくサービス精神の旺盛な著者です。普通、こんなアイデアはもっと小出しにして内容の薄いビジネス書にする人が多いような気がしますが、これはいいアイデアを具体的なご本人の成功事例や先達のそれに基づいて開陳してくれています。

私の場合は著者の有料メルマガの読者でもあるので、本書にはそこで読んだ原稿も含まれていますが、一冊にまとめるにあたってかなり加筆・増補されているように思いました。

本書は個人商売をするときの発想の宝庫でもありますが、今や傾きかけている全国の大学の経営にこうした知恵を役立てられたらなあと思います。もっとも、優れた経営者を連れてくるのでない限り、これは自分たちでやるしかないのですが、できるだけ参考にしたいと思います。

大学はしかし、どんなビジネスモデルとして再生できるでしょうか。どう見ても大学の中には本書に書かれているような「ゴールをイメージする」ような知恵があまりにも乏しいのですが。

(文藝春秋社2010年1200円+税)

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2010年12月19日 (日)

ジョン・ロールズ 『正義論 改訂版』川本隆史、福間聡、神島裕子訳

何かと引き合いに出されるロールズの主著ですが、かつての誤訳だらけの悪文のデパートと言われた伝説の邦訳書に代わって、ようやくちゃんとした日本語で読めるようになりました。翻訳は大変だったと思いますが、日本語で引っかかるところはほとんどなくて、読みやすくこなれた訳文になっていました。

世の人びとが競争に臨む際のスタートラインを同じにするための条件を整え、ドロップアウトした人を救済する社会システムを理論的・体系的に構想しています。スタート地点を調整するところはインディ・カーレースを思わせます。思想史的にはルソーやカントそしてずっと昔のアリストテレスに敬意を払いつつ、その衣鉢を継ごうとするものです。

ただ、理論体系はシンプルで明快ですが、それをつむぎだす文章は残念ながらあまり魅力的ではありません。経済学的なモデル思考という感じです。さらに、原書第二版の翻訳ということで、さまざまな論者からの批判に答えながら改訂されているためか、余計文章の流れが悪くなっています。

本書には経済学の限界効用のグラフのようなものや、∑を使った数列の数式もあって、アカデミックにするための苦労がしのばれます。しかし、こういうのは正しさを補強するようでいて、そうじゃないんじゃないかと思うのは、M・ポラニーが『自由の原理』で自由市場経済の優位性を数学的に証明した先駆的な仕事が思い浮かぶからです。数式に限ればどちらも正しいということが起こってくるでしょ。

この『正義論』がわかりやすい体系なので、いろいろと批判しやすい面があり、本書をダシにしてさまざまな学者たちが自らの正義論を語るということが、ここ30年ほど続いていますが、批判しやすいからと言って魅力的とは限りません。

私にとってロールズの正義論は正義の形而上的な側面にかすりもしないという点が気になりました。カントでさえ実践理性批判で信仰告白をせざるを得なかったのですが、この点でロールズは実にさっぱりとしていて、特に最後の3章はほとんど背教的なヒューマニスト(という単純な人間教信徒)に見えます。まるで今日の日本人のインテリみたいです。

ま、いい人だったんでしょうね。きっと。

ところで、本書が壮大な思考実験の書であることは確かですが、わが国ではある理想的な政策が実行される際の最大の阻害要因となっている官僚制への言及がまったくないところに、アメリカ特有の事情が窺われて興味深かったです。ほとんど意識すらされていません。

思えばアメリカでは政治哲学が政策としていきなり実行されてしまうということが現実に起こりますからね。極端と言えば実に極端ですが、これがアメリカ政治のダイナミックな強さになっていることも否定できません。

学者が大学の講壇で述べていることであっても、必ずしも机上の空論に終わらない場合があるというのは、何ともおそるべき国柄です。学者は世界中どこでも浮いているので机上の空論を吐くことには違いないのですが、それがアメリカというイデオロギー実行国家の歯車に乗ってしまうと、世界一の軍事力を背景にその思想は世界を席巻してしまいます。

この点で、確かにロールズの思想自体は実に美しい理想ですが、アメリカン・イデオロギーを前提としているため、世界中から「ウソだろ」って言われる運命にあるような気がします。

しかし、人類は結局どこかで理性を用いて国家社会を設計しなければならない以上、このロールズのシンプルな図式は無視できないものとなっています。そして、それがアメリカン・イデオロギーだからこそ実は今日の世界に浸透してしまっているのかもしれません。

そういえば、その前にマルクスという人がいましたが、それはまた別の話。

(紀伊国屋書店2010年7875円)

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2010年12月17日 (金)

池田晶子『残酷人生論』

哲学の基本は神の存在を意識しながら存在の問題を考え抜くところにあります。著者はこの王道の真ん中を疾走していった人です。早く亡くなったのは残念ですが、まだこうして新刊が出てくるのは嬉しいことです。

「私とは何か」と問う「存在」というのは何なのか、神なのか仏なのか。それはともかく何だかえらいもののようでもあり、翻ってそれはやはり変わらぬ「私」のようでもあります。いやそれこそが「魂」というものなのか・・・と徹底して考えていく姿勢が爽快です。

だから、「疑え」という話は最後には「信じよ」という結びになりますが、考える私はさらにその先へと歩みを進めていきます。これはもう著者が死んでもなお、その魂が考え続けているという感じです。

こんなことをやったのは、かのソクラテスかプラトン以来かもしれません。すごいことです。

世の中の哲学を専門にしている研究者は「哲学研究者」にはなれても、決して哲学者ではありません。そうした哲学研究者が一番苦手としているのが自前の言葉で考えることなのです。それはもう苦手というよりほとんどできないと言ったほうが正確かもしれません。

著者の姿勢はほとんど生まれつきのように正真正銘哲学者のそれですから、小難しい論文調の文章とは無縁ですし、こちらの魂に直に語りかけてきます。いい本です。娘に読ませます。

(毎日新聞社2010年952円税別)

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2010年12月16日 (木)

曽野綾子『言い残された言葉』

世界中の貧困を見て歩いてきた人ですから、文章に桁外れの説得力があります。どこかで読んだ記憶もあるのですが、あらためて本書で深く頷かされたのは、「自分を迫害する者のために祈りなさい」という聖書の言葉です。

著者は「嫌った相手のために祈り、その人の幸福を願うというパラドックスが達成できるなら、その人は偉大な人物なのである」(246頁)と言います。「殺して復讐するのは簡単だ。しかしその結果はどうなるかね。お前がそれほどまでに嫌った相手の呪いで、お前は生涯を棒に振ることになるんだが、それでいいのかね」(同頁)とも。

私も嫌いな人はたくさんいますが、これからは祈るように努めたいと思います。

ただ、明らかにバカな人間が威張り散らして権力を振るう場合には、祈りが通じないような気がします。そのときは祈りは聖職者に任せて、戦うことにします。やはり偉大にはなれそうにありません。

(光文社文庫2010年552円+税)

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2010年12月15日 (水)

ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』伊東勉訳

あの詩人として知られるハイネがこんな面白い思想書を書いていたとは驚きです。フランス人の読者向けに人を食ったような語り口でドイツ思想史を説いています。随所に慧眼と毒舌が光っています。

本書を読むとドイツが本来持っていた汎神論的な民俗文化がキリスト教的文化とぶつかって軋轢を起こしてきたことが、そのままドイツの思想史・文化史になっていることがよくわかります。

ハイネ自身はとりわけルターやスピノザ、そしてカント、ヘーゲルの思想の中に汎神論的な要素を抽出して、それが理性と結びつくところに革命的意義を見出しています。面白い見方です。この立場からするとキリスト教には批判的なはずなのですが、原著者第二版の序文では回心したことが述べられていて、キリスト教の吸引力の強さについてもいろいろと考えさせられます。

回心してから根本的に書き直した本というのも読んでみたいものですが、著者の人生にはその時間は残されていなかったようです。まあ、『正統とは何か』のG.K.チェスタトンのような感じになっていたのかなという気もします。

いずれにしても、これを機会に今まで読んだことのなかったハイネの詩も探してみます。

(岩波文庫1973年520円)

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2010年12月14日 (火)

畑村洋太郎『直観でわかる数学』

なーんだ、そういうことだったのか、という「そういうことが」実にうまく書かれています。続編だけ先に読んで、そのままこちらの本を積ん読にしていたようです。これを読んでから先日読んだ『直観でわかる微分積分』に進むといいと思います。

高校生なんかは三角関数や対数、虚数、複素数といった単元に入る前に本書の該当箇所に目を通しておくといいと思いますよ。数学の根本の考え方は数学の先生でもちゃんと説明してくれる人は少ないので、本書は本当の意味のすぐれた参考書だと思います。

もちろん、これを読んだだけでは知識が定着するわけではないし、問題が解けるようにもならないので、数学の点を上げたい人は、やっぱりチャート式とかやらなければいけないとは思います。

でも、本書の一番すごいところは、自分で考えるということがどういうことかを学べるところにあると思います。随所に工学屋さんらしい「使える思考」のコツが披露されていて、いろいろと応用できそうです。いい本でした。

(岩波書店2004年1900円+税)

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2010年12月12日 (日)

畑村洋太郎『直観でわかる微分積分』

ミクロレベルの正義がどんな風にマクロになるのかということを考えていると、高校時代に習ってよくわからなかった微積分が気になってきて、高校数学の参考書を引っ張り出して眺めてみましたが、眺めるくらいではわからないので、どうしたものかと思っていたところでした。

そんなおりに本書を本屋で見かけたので、早速買って読んでみました。なるほど微分積分がどういうものかということはわかります。これくらい丁寧にわかりやすく書かれた本は他にないかもしれません。

ただ、細かくていねいに検証しようとしても、高校一年の数学の基本も忘却の彼方にあるので、やっぱり基本からやらないとダメですね。

と思って本棚を見たら、著者の『直観でわかる数学』があって、過去に読んだ形跡もあったので、要するに何も覚えていなかったようです。ちょっとショック。でも、この機会にもう一度読みます。時間があったらチャート式でもやってみましょうか。

あくまで社会理論にヒントをもらうために読むので、そこまでやらなくてもいいかもしれませんが、微分積分は物理と接点を持っていて、たんなる机上の論理でないところに何か隠れているような気がします。

微分の「全体は部分に宿る」(112頁)という考え方は、シェリングの「神は細部に宿り給う」みたいですが、むしろシェリングが微分を知っていたのかもしれません。いろいろと刺激的な本です。

(岩波書店1600円+税)

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2010年12月10日 (金)

H.L.A. ハート『法学・哲学論集』矢崎光圀・松浦好治他訳

ハートの法哲学論集です。それぞれの論文の中でさまざまな論敵と議論を戦わせてきたことがうかがわれて興味深いです。中でもおそらく一番気になっていたのがドゥウォーキンではないかと思われます。ハートによるドゥウォーキンの学説のまとめも丁寧で要を得ているのは相当読み込んだ証拠でしょう。ドゥウォーキン本人が自説の骨子をちらりとしか語らない傾向があるので、ハートのまとめを読むほうがわかりやすかったりします。

ドゥウォーキンが政治的価値判断も含んだ法の基礎理論を提唱しているのに対して、ハートは法が法だけで成り立つ(ように見える)ことの重要性を際立たせた理論構成なのですが、この対立はおそらく世界観の対立にまで発展するはずです。だからこそお互いに気になるのでしょうけれど、読者としてもこの見解の相違について考えることは有益だと思います。

先日京都大学の亀本先生がそうした議論を題材にした著書を出されていたので、近日中に入手して読んでみたいと思います。ちょっとうかうかしているうちにも、いろんな人が意欲的な著作を出しているので、追々フォローしていくつもりです。

しかし、ハートにしてもドゥウォーキンにしても、自前の理論を何とか立てようとしているところはやはり立派です。哲学的には一流とは言えないような人でも自前にこだわるところはたいしたものです。翻訳だけやっても、また、えらそうに批評だけしていても、何事も一から作るのにはかなわないからです。そうした著作家の創造的な姿勢をこそ見習わなければといつも思います。

(みすず書房1990年6000円+税)

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2010年12月 8日 (水)

ロナルド・ドゥウォーキン『裁判の正義』

自身に対する批判に答えた本です。もともとH・L・A・ハートの法実証主義を批判して出てきて、批判の応酬の中で理論的展開を遂げてきた人ですから、いつの間にか書く前から防御的スタンスを取るのがうまくなってしまったのかもしれません。

もちろん守勢に入っていることがわかるとかえって集中砲火を浴びるので、書き方は独特なものになります。テクストは他人の理論を批判する言葉で埋め尽くされていて、畢生の理論書とされる『法の帝国』なんかは比喩的な道具立てが加わるので、自身の理論的立場について言及する分量がやたらと少なくなります。

本書でも350頁くらいの分量の中で自身の立場に直接触れたところは8箇所で、それぞれ数行ずつの記述にとどまります。一体どういうストイックな饒舌なんだろうと思ってしまいます。

ドゥウォーキン本人の立場は極めて常識的であると同時に、だからこそ正当に法律的ですので、私は何一つ反対しませんが、本人はその立場を一からわかりやすく書こうという意志は毛頭ないようです。「私が書いてあげましょうか」って言いたくなるくらいです。

 実際、拙著『法と道徳』はドゥウォーキンには触れていませんが、基本的立場は一緒だなあと、こうして読んでみてようやくわかりました。これは当然私が偉いのではありませんが、ドゥウォーキンが偉いのでもなくて、法というものがそんなものだからです。

だからかもしれませんが、論敵によるドゥウォーキン批判はえげつないだけでなく、かなり的外れなものが多いようです。なかなか尻尾を出さないように見えるドゥウォーキンにいらだっている感じです。このやり方だと確かに論争には勝つことができそうです。

ドゥウォーキンの論争の姿勢が防御的というのはそういう意味です。欧米の学会の批判の応酬も結構ろくでもないものがあることはわかりますが、もっとストレートに自身の立場を一から積み上げたテクストを書いてくれた方が、本人の理論的展開にとっても好結果を生むと思いますが、どうでしょう。

本書では最後の章でロールズの理論にかなり好意的な態度を見せていますが、そのあたりは納得がいきます。ロールズの新訳『正義論』を読むのにもいいきっかけとなります。

翻訳は「統一性」を「一貫性」、「ハーキュリーズ」を「ヘラクレス」とわかりやすくなるように工夫されていて好感が持てました。全体に読みやすかったです。

(木鐸社2009年4,500円+税)

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2010年12月 6日 (月)

ロナルド・ドゥウォーキン『法の帝国』小林公訳

頭の良い著者が凝りに凝って書き上げた理論書。着想の良さは理解できますが、この道具立ては凝りすぎていて感心できません。退屈かつ話をややこしくするだけです。まあ、着想がないのに外国人タレントを紹介して偉そうにしているわが国の学者先生の本とは全然違いますが、一般読者には同じようにつらい本です。

このアイデアだったらもっと短く書けるはずですが、アメリカの学者さんは分厚い本を書くのがステイタスシンボルなのかもしれません。とにかく回りくどくもわざわざ理論モデルを作って、さらには仮想裁判官としてのハーキュリーズやハーミーズなんてのが登場します。これっていわゆる「考え落ち」ではないでしょうか。

(ただ、これは訳語の問題でもあるのですが、ヘラクレスとヘルメスとしたほうがギリシア神話とのつながりが見えていいんじゃないでしょうか。そういえばハーキュリーズって昔のアメリカの漫画の主人公にもいましたね。)

ところで本書では、アメリカにおける法律判断が分かれるような難しい裁判例が出てきますが、どれも日本だったら相続法の条文に明記されていたり、裁判官があっさり解釈したりして解決するような問題だったりするので、どうも違和感があります。

そもそも、日本が影響を受けている大陸法は条文にかなり書き込まれているので、英米法とは事情が違いますが、常識的に見ても変な感じがします。この辺のことはあくまでアメリカ固有のケースですので、あまり有り難がっても甲斐がないと思います。(でもいるんですよね、勘違いした権威主義者が。)

本書の着想は、自分の正しさを主張して喧嘩している人びとや、「出るところに出ようじゃないか」なんてすごんでみせる人びとにある正義と公平の感覚、そしてそれを実現する権力への信頼をもとにしています。正義をめぐって喧嘩をするということは、正義の存在自体を前提にしていて、そのことをつゆほども疑っていないという証拠です。

私は同じことをC.S.ルイスのコンパクトでおそるべき著書『キリスト教の精髄』から学びました。ドゥウォーキンもルイスのこの本は読んでいるのではないかと思います。法の「純一性」というオリジナルな概念もルイスの本の書き出しのところを思い浮かべると、抵抗なくすんなりと頭に入ります。

著者はひょっとしたら自分ではルイスより頭が良いと思っているかもしれませんが、読者は十中八九そう思わないでしょう。そして、そのことを著者はわかっていないのだろうと思います。学者仲間や教え子たちは絶賛するでしょうが、それは著者が大学という空間にいるからであって、実は大学には一般読者という人種が存在していないのです。

著者のもっと論文らしい論文にはまた違った味わいがありますので、本書は気合い倒れの一種かなという気もします。法哲学プロパーの人でなければ、この640頁はおそらく最後まで読み通せないでしょう。

本書は読まなくてもいいですが、ルイスは読んだ方がいいと思います。格が違います。

以上一般読者からの感想でした。

(未来社1995年6500円+税)

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