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2010年12月 6日 (月)

ロナルド・ドゥウォーキン『法の帝国』小林公訳

頭の良い著者が凝りに凝って書き上げた理論書。着想の良さは理解できますが、この道具立ては凝りすぎていて感心できません。退屈かつ話をややこしくするだけです。まあ、着想がないのに外国人タレントを紹介して偉そうにしているわが国の学者先生の本とは全然違いますが、一般読者には同じようにつらい本です。

このアイデアだったらもっと短く書けるはずですが、アメリカの学者さんは分厚い本を書くのがステイタスシンボルなのかもしれません。とにかく回りくどくもわざわざ理論モデルを作って、さらには仮想裁判官としてのハーキュリーズやハーミーズなんてのが登場します。これっていわゆる「考え落ち」ではないでしょうか。

(ただ、これは訳語の問題でもあるのですが、ヘラクレスとヘルメスとしたほうがギリシア神話とのつながりが見えていいんじゃないでしょうか。そういえばハーキュリーズって昔のアメリカの漫画の主人公にもいましたね。)

ところで本書では、アメリカにおける法律判断が分かれるような難しい裁判例が出てきますが、どれも日本だったら相続法の条文に明記されていたり、裁判官があっさり解釈したりして解決するような問題だったりするので、どうも違和感があります。

そもそも、日本が影響を受けている大陸法は条文にかなり書き込まれているので、英米法とは事情が違いますが、常識的に見ても変な感じがします。この辺のことはあくまでアメリカ固有のケースですので、あまり有り難がっても甲斐がないと思います。(でもいるんですよね、勘違いした権威主義者が。)

本書の着想は、自分の正しさを主張して喧嘩している人びとや、「出るところに出ようじゃないか」なんてすごんでみせる人びとにある正義と公平の感覚、そしてそれを実現する権力への信頼をもとにしています。正義をめぐって喧嘩をするということは、正義の存在自体を前提にしていて、そのことをつゆほども疑っていないという証拠です。

私は同じことをC.S.ルイスのコンパクトでおそるべき著書『キリスト教の精髄』から学びました。ドゥウォーキンもルイスのこの本は読んでいるのではないかと思います。法の「純一性」というオリジナルな概念もルイスの本の書き出しのところを思い浮かべると、抵抗なくすんなりと頭に入ります。

著者はひょっとしたら自分ではルイスより頭が良いと思っているかもしれませんが、読者は十中八九そう思わないでしょう。そして、そのことを著者はわかっていないのだろうと思います。学者仲間や教え子たちは絶賛するでしょうが、それは著者が大学という空間にいるからであって、実は大学には一般読者という人種が存在していないのです。

著者のもっと論文らしい論文にはまた違った味わいがありますので、本書は気合い倒れの一種かなという気もします。法哲学プロパーの人でなければ、この640頁はおそらく最後まで読み通せないでしょう。

本書は読まなくてもいいですが、ルイスは読んだ方がいいと思います。格が違います。

以上一般読者からの感想でした。

(未来社1995年6500円+税)

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