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2010年12月23日 (木)

寿岳文章編『柳宗悦 妙好人論集』

以前読んだ『南無阿弥陀仏』もわかりやすくてためになりましたが、本書もそうです。本書では第1章の「仏教に帰る」で著者の精神遍歴が述べられます。その中で、著者が若い頃は西洋思想やキリスト教に惹かれていたのが、次第に東洋の仏教思想に関心が移ってきた経緯が記されていますが、その問題意識の鋭さには驚かされます。

著者は、西洋思想が明快な論理による二元論的特徴を持っているのに対して、東洋ではそのように分別されたものよりも、分別されないもの二注意を向けてきたと言い、こう続けます。

「分別された世界の悲劇は、永劫の闘争ということである。この世界に沈淪したら、遂に心の平和はなく、自由はない。それ故、かかる二元のない世界、起らぬ世界、分れぬ世界、つまり不二の世界に、最も大なる注意を向けたのである」(26−27頁)

二元論を成り立たせているのはその両者を支え、それを成り立たせている別の力なのです。しかし、それをたとえば善と悪という二元論で考えたりすると、互いに一方の敵を殲滅することだけが関心となり、折り合いがつかなくなります。

ここでヘーゲルだったら時間をずらして「止揚」とかいう3番目の力が登場したりするのですが、それだったら最初から分かれない世界を見ていった方が正確ではないか、と東洋の賢者が考えたかどうかはともかくとして、大乗仏典などでも最初から二つに分かれない「不二」なんてものが意味を持っているのが面白いところです。

で、そんな面倒臭いことは考えていなくて、ただただ阿弥陀如来のご加護を信じて感謝するという実にシンプルな信心の中にも同じような境地が存在していることを自らの生き方で実証しているのが、わが国の「妙好人」という存在なのです。

私も妙好人にあやかって、とにかく何かにつけても「ありがたい、阿弥陀如来のおかげです」とつねにほとんどうわごとのように言えるようになることができれば、きっと幸せな老後が送れることでしょう。でも、どうやらこの分だと理屈と毒舌で身を滅ぼすような喰えないジジイになってしまいそうです。くわばらくわばら。

(岩波文庫1991年840円+税)


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