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2010年12月19日 (日)

ジョン・ロールズ 『正義論 改訂版』川本隆史、福間聡、神島裕子訳

何かと引き合いに出されるロールズの主著ですが、かつての誤訳だらけの悪文のデパートと言われた伝説の邦訳書に代わって、ようやくちゃんとした日本語で読めるようになりました。翻訳は大変だったと思いますが、日本語で引っかかるところはほとんどなくて、読みやすくこなれた訳文になっていました。

世の人びとが競争に臨む際のスタートラインを同じにするための条件を整え、ドロップアウトした人を救済する社会システムを理論的・体系的に構想しています。スタート地点を調整するところはインディ・カーレースを思わせます。思想史的にはルソーやカントそしてずっと昔のアリストテレスに敬意を払いつつ、その衣鉢を継ごうとするものです。

ただ、理論体系はシンプルで明快ですが、それをつむぎだす文章は残念ながらあまり魅力的ではありません。経済学的なモデル思考という感じです。さらに、原書第二版の翻訳ということで、さまざまな論者からの批判に答えながら改訂されているためか、余計文章の流れが悪くなっています。

本書には経済学の限界効用のグラフのようなものや、∑を使った数列の数式もあって、アカデミックにするための苦労がしのばれます。しかし、こういうのは正しさを補強するようでいて、そうじゃないんじゃないかと思うのは、M・ポラニーが『自由の原理』で自由市場経済の優位性を数学的に証明した先駆的な仕事が思い浮かぶからです。数式に限ればどちらも正しいということが起こってくるでしょ。

この『正義論』がわかりやすい体系なので、いろいろと批判しやすい面があり、本書をダシにしてさまざまな学者たちが自らの正義論を語るということが、ここ30年ほど続いていますが、批判しやすいからと言って魅力的とは限りません。

私にとってロールズの正義論は正義の形而上的な側面にかすりもしないという点が気になりました。カントでさえ実践理性批判で信仰告白をせざるを得なかったのですが、この点でロールズは実にさっぱりとしていて、特に最後の3章はほとんど背教的なヒューマニスト(という単純な人間教信徒)に見えます。まるで今日の日本人のインテリみたいです。

ま、いい人だったんでしょうね。きっと。

ところで、本書が壮大な思考実験の書であることは確かですが、わが国ではある理想的な政策が実行される際の最大の阻害要因となっている官僚制への言及がまったくないところに、アメリカ特有の事情が窺われて興味深かったです。ほとんど意識すらされていません。

思えばアメリカでは政治哲学が政策としていきなり実行されてしまうということが現実に起こりますからね。極端と言えば実に極端ですが、これがアメリカ政治のダイナミックな強さになっていることも否定できません。

学者が大学の講壇で述べていることであっても、必ずしも机上の空論に終わらない場合があるというのは、何ともおそるべき国柄です。学者は世界中どこでも浮いているので机上の空論を吐くことには違いないのですが、それがアメリカというイデオロギー実行国家の歯車に乗ってしまうと、世界一の軍事力を背景にその思想は世界を席巻してしまいます。

この点で、確かにロールズの思想自体は実に美しい理想ですが、アメリカン・イデオロギーを前提としているため、世界中から「ウソだろ」って言われる運命にあるような気がします。

しかし、人類は結局どこかで理性を用いて国家社会を設計しなければならない以上、このロールズのシンプルな図式は無視できないものとなっています。そして、それがアメリカン・イデオロギーだからこそ実は今日の世界に浸透してしまっているのかもしれません。

そういえば、その前にマルクスという人がいましたが、それはまた別の話。

(紀伊国屋書店2010年7875円)

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