長尾龍一『法哲学入門』
今、正義論の流れをずっと見てきたところで、本書を本棚から引っ張り出して再読してみました。ロールズもドゥウォーキンもノージックも自然法論だという指摘(186頁)に深く頷かされながら、ケルゼンとヘーゲルについて言及されている箇所を遡って確認してみたところです。
特にヘーゲルは「復讐する正義」に代わって「処罰する正義」が登場しなければならなぬ(172頁)と印象深いことを言っているので、これは翻訳と原文まで確認しました。ケルゼンもおそらくはこれを受けて論文「ギリシア宗教の正義観」を書いたのでしょう。
正義とは「不正の処罰」だときっぱり明言したのは最近ではサンデルのぬるい正義論を批判した長谷川三千子だと思いますが、この観念を遡るとやはり旧約聖書に行き着きそうです。旧約聖書では、十戒のすぐあとに処罰が規定された「契約の書」が続きます。神の権威による十戒は命令だけですが、処罰ということになれば社会性が生まれます。
たとえば「人を打って死なせたものは死刑に処する」(出エジプト記21−12)とあります。具体的に死刑に処するのはもはや神ではなくて、制度の問題ですから。
さて、これとは別に、著者の主張として印象的だったのは、は正義に関する合意を作り出すにあたって「理論・思想・教義などという高級なものはかえってじゃまで、人間性のあまり高尚でない側面が共通の場となることである」(187頁)と述べているところです。
こうした現実感覚が優れているのが著者の特徴ですが、昔読んだときは気がつきませんでした。これが著者の自信に満ちた語り口を支えているようです。決して「東大法学部が日本一」(本人談とのこと)ということが自信の裏付けではなかったんですね。学歴自慢は故宮沢喜一みたいですが、まあ、ご愛敬ということにして、今後は書かれたものに集中したいと思います。
(日本評論社1982年1800円)
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