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2011年3月18日 (金)

G・トイプナー編『ルーマン 法と正義のパラドクス』

法を自己生成的なシステムと考えると、「正義」は法の外部にあるようでもあり、内部の動因のようでもあり、その姿は神出鬼没に見えます。パラドクスを強調する人は、実は論理ですべてがうまくいくと思っていた期待を裏切られたという感情を隠しているのかもしれません。

ルーマンは区々たる批評眼には鋭いものがあるのですが、自分の体系を整えるために空想的な概念をひねり出してくると、信者以外の人が見ると「何やってんだか」という気になることがあります。しかし、批判するときは体系的に批判しなければいけないような理屈のコネ方をするのが一筋縄ではいかないところです。

本書はルーマン本人だけではなく、弟子やシンパが書いた原稿が集めてありますが、こうしてみるとやはりボスは面白いことを言っています。このタイプは体質的にはウィトゲンシュタイン的な断章のスタイルをとるといいのに、と思いますが、どうでしょうね。

お弟子さんや仲間の議論は支障のわかりにくさをさらにわかりにくく精密に論じるようなところがあり、これは支障の欠陥だけが継承された見本市として見事です。秘密サークル的な感じになるのももう一息といったところです。

議論の中心的な題材は、父親の持っている11頭のらくだの相続の仕方を3人の兄弟にそれぞれ1/2、1/4、1/6に分けるというもので、らくだを5.5頭とか2.75頭とかに切り裂くわけにもいかないので、裁判官が自分の所有するらくだをすぐに返却するという理由で一頭贈与し、それぞれ6頭、3頭、2頭に分けて丸く収めたという話です。

なかなか刺激的な問題で、各論者がこれについていろいろと解釈していますが、三方一両損なんていう話もあるわが国では、「座布団一枚!」と言いたくなることはあっても、パラドクスとは何かといった話に持ち込もうとは思いません。このしつこさにはさすがに驚かされます。

この点では面白くないこともない本なのですが、やはり研究者以外にはお勧めできないのも事実です。

(ミネルヴァ書房2006年3780円)

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