内田樹『街場の大学論 ウチダ式教育再生』
いろいろと教えられ、うなずかされるところの多い本でした。教育関係者でなくても必読です。
まず、明治期の公教育システムが、それまでの私塾による有為の大人物育成システムを否定し、「小粒の人間」ばかりを育てることを目的として運営され、その点において「もっとも成功した教育システム」(28頁)だった、という評価にうなずかされます。そりゃあもう、政界も官僚たちもみんなそうですから、説得力に満ちています。
また、国立大学法人K島大学の理系の研究者の研究費が年間15万円に満たないという話もびっくりです。どうやって実験なんかできるのでしょう。また、文系がこれより多いとも考えにくいので、これはもう文系も理系もみんな沈思黙考して理論研究だけをするしかないのかもしれません。
国立大学法人の先生たちが大学から、文部科学省の科学研究費のような外部資金の公募に必ず応募するようにと言われる裏には、そういう事情があったんですね。私の奉職先もここ二年の間に研究費が国立大学法人に近づいていますが、確かに学長は科研費に応募しろと言ってましたね。こりゃあもっと減るのが確実のようです。
著者は全国の大学がダウンサイジングをして少ない定員で生き残ることを提唱しています。これは正しい提言です。というのも、
「大学を一度つぶしてしまったら、それと同じ社会的機能を代替するものを作るのにどれくらいコストがかかるか。誰も試算していない。みんな気楽に『大学なんてなくなっても困らない』と言うけれど、それは違うだろうと思う。大学は研究機関であり、教育機関であり、図書館であり、情報施設であり、スポーツ施設であり、緑地でもある。それが消滅することで地域社会の人がどれほどの損失をこうむることになるのか、そういうことは誰も計算していない」(278頁)
からなのです。確かに私の勤め先がつぶれると残念に思ってくれる岡崎市民や名古屋市民は、これまで無料ハンガリー語講座に来てくれた40~50人くらいはいると思います。講演会に来てくれるなじみの聴衆のみなさんももう少しいるので、合計100人くらいでしょうか。あとは通信教育の学生さんたちですが、これはどれくらいかなあ。全国に散らばっていますが。
問題は経営陣が経済合理性だけにとらわれて、数字に表れない教育機関の機能を見ようとしないところにもあります。同窓会を開くとかなりの力になる卒業生たちは、そのあたりを苦々しく思っていますが、気持ちは伝わらないようです。
「同窓生というのは、自分たちが卒業したときと同じ教育理念が掲げられて、自分たちが受けたのと同じような教育内容を、同じ教育方法で、同じ校舎で教えていることを無意識に望むわけです」(307頁)
そうなんですでね。ということなら、建学理念を変えたりしたら同窓生の無意識から復讐されることになるでしょうね。まずいなあ。実は最近変えてしまったのです。当事者にはこれまでの卒業生たちへの裏切りだという意識はなかったんでしょうね。
私もそこまで気が付かなかったなあ。それだけに復讐が怖いです。くわばらくわばら。
(角川文庫2010年629円税別)
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