M.J.アドラー『天使とわれら』稲垣良典訳
天使というのは「肉体なしの精神の存在が可能である」(155頁)ということについて確信が持てたとき初めて意義のある問題になるようです。著者の論証は数多くの文献にあたった上で、人間の側から論理的に何が言えるのかをきっちり追求していくという方法をとり、これに成功しています。
本書はこの論証の出てくる後半第3部以降になって俄然面白くなってきます。人間を投影するのではなくて、向こうからの現れを待って天使像を組み立てると「天使の精神は、純粋に知性的である。それは知性以外の何物でもなく、すぐにわかるように、知性である限り、理解する力以外の何物でもない」(205頁)ということになります。
こういう存在を神様が創っておいてくれないと、被造物の諸々の可能性の一つの重要な段階が実現できなかっただろうと著者は言います(155頁)。なるほどこれは人間のコミュニケーション能力の核心を突いているのでしょう。天使というのは神様の御使いですから、それは言葉のように血が通っていて、美しく力強いものなので、私たちの目の前に畏るべきリアリティとともに現れてくるのでしょう。
著者は人間存在を純粋に霊的なものと肉体的で精神を欠いたものとの二元論でとらえることを拒否しています。人間にこの天使的な部分が純粋な形で存在することをあくまで認めようとしません。だから、プラトンやデカルトあるいはカントを評価していません。代わりにアリストテレスとトマス・アクィナスを高く評価します。それも天使の存在を最大限尊重するからこそです。気持ちは十分わかります。
その逆に「人間知性は、その働きのために肉体に頼らなければならないような、唯一の知性なのである」(273頁)と著者は言います。人間観については厳しいリアリストのようです。
なお、著者の論理の組み立て方は数学の論証のようで実に面白く、大変参考になります。トマスの影響でしょうか。真似してみたい誘惑に駆られます。
(講談社学術文庫1997年)
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