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2011年9月30日 (金)

土屋賢二『ツチヤの貧格』

いつも変わらぬ笑いを届けてくれる著者の文庫最新刊です。中1の娘は小学校の頃から愛読していて、気がつけば文春文庫のシリーズを全部読んでしまっています。内容は冗談一辺倒で、毒にも薬にもならないと言いそうになりながら、いや、十分クスリにはなっていることに思い至ります。やはり笑いは最高のクスリです。

その笑いを作ることができる哲学者というのは思えばこの人しかいません。世界広しといえども、ほかにいないのではないでしょうか。笑いの哲学を書く人はいても、その哲学はおそらく大笑いしながら読むことはできないので、それを思うと、すごいテキストです。

笑いすぎて著者が哲学者であることを忘れそうになりますが、ひょっとして本人も忘れているかもしれません。著者が哲学者としてもすごいひとなのかどうかは、こうなってくると実はどうでもよくなるのですが、この次にはようやく文庫化された著者の哲学講義なども読んでみるつもりです。

笑いながら深いとしたら、これはもう大変なものですね、きっと。

著者のユーモアにはイギリス風の自身を滑稽化するタイプのものがあると以前書いたことがありますが、論理がずれていくおもしろさも絶妙です。たとえばこんな感じです。

「告白するが、わたしは教えるのが苦手だ。犬に『お手』を教えることだってできたためしがない。犬だけではない。何人かの人間に試してみたが、やはり『お手』を教えることはできなかった」(116頁)

「若者は死亡記事に何も感じないが、年をとると死亡年齢や死亡者名に敏感に反応し、自分より年下か、死んだのが知り合いかどうか、もしかしたら自分ではないかと思うようになる」(130頁)

というわけで、こんなことを書き続けた週刊文春の連載も500回を超えたそうで、最後にそれについて触れた箇所を引用しておきます。

「今回で本連載が五百回を迎えた。わたしが今までに謝罪した回数に比べればたいした回数ではないが、これまでに週一回ずつ欠かさず五百回続けたことと言えば、連載の他には、毎週日曜日を迎えたことぐらいしかない」(144頁)

今後も末永く健筆をふるっていただきたいものです。

(文春文庫2011年476円+税)

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2011年9月29日 (木)

渡部昇一『報われる努力 無駄になる努力』

古本屋で見つけた10年前の本ですが、若者へのエールというか、人生指南の書なので、「モラトリアム人間」などの時事ネタ以外は古くなっていません。

著者は稀代の読書家なので、いろんなところから引っ張ってくるエピソードは実に面白く、警句も納得が行きます。それで、目にとまった本は大抵買って読むことにしていますが、この本は今まで出ていたことすら知りませんでした。

本書でつい付箋を貼ってしまった箇所から2つほど抜書きしておきます。

「剣道の極意は自分を死んだ人として見ることである、というのがありますけど、同じようなことですね。あと五〇年後には、いずれ死ななければならない。少し早く死しても、何ほどのことがあろうかという心構えでいれば、物事におびえることなく非常によく振る舞えるということなんです」(81頁)

「精神をさわやかにしておく、いかなる場面においても、颯爽とした気分でいる、というのは、人生においては最大の武器になるんです。劣等感に陥りそうなときでも、この態度さえ失わなければ、心配はない」(92頁)

ただ、残念なことに著者は特にこのころの著作では「すべからく」を「すべて」の意味で使っていていて、漢文の知識もある人なのにどうしたことかと訝っています。

たとえば「日本の芸事というのは、すべからくしつけ用にできていますね」(107頁)とか、「中産社会は、すべからく人目を気にする社会構造を持っているんだけど...」(179頁)といった具合です。こういうのって、著者が賴山陽についての著作も出している人だけに、めっちゃ恥ずかしいと思いますが、どうでしょう。

編集も気がついたら指摘してほしいものです。最近の著作ではあまり気がつかなくなったので、どこかで本人ないしは編集者が気がついたのかもしれません。その点でも著者は運の強い人なのでしょう。著者の運を引き寄せる力を学ぶためにも、本書は一読しておくといい本だと思います。これ、皮肉でなく本心からそう思います。

(青春出版社2001年1300円+税)

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2011年9月27日 (火)

橘玲『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』

世界の残酷さが丹念に描かれています。自己啓発とかいっても本当に努力できる人はあまりいません。能力を開発してお金にしようというのは、成功すれば正論ですが、現実はそううまくは行きません。

だからといって、お金中心の世界で落ちこぼれてしまったら、死ぬしかないというのが残酷な世界の実情です。そのあたりの冷厳な事実を著者は、行動経済学や社会心理学の成果も参照しつつ、冷静すぎるほど冷静にに説いていて、お釣りが来るくらいです。これは人生でのっぴきならないところまで追い込まれた恐怖体験のある人にしか書けないかも、という気さえしました。

話は結局のところ、自分の好きなことをどのように仕事にしていくかという入り口のところで終わっていますので、そこから先はほかの本を読まなければなりませんが、それまでの準備としてそこはかとなく勇気がわいてくる本です。

世の中はひょっとしてとんでもなくろくでもないものですが、どんな人でも自分が生きていくくらいの余地と希望は見出せそう、という気がしてきます。こうやって書くとむしろ絶望に近いみたいですが、最悪のところから見るとささやかな希望でも大きな希望に感じられます。

私も自分の生き方についてはここいらへんでどうやら作戦を立て直さなければならなくなりそうですので、大変参考になります。

(幻冬舎2010年1417円)

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2011年9月26日 (月)

島田裕巳『3種類の日本教 日本人が気づいていない自分の属性』

かつて山本七平が言っていた「日本教」を各論として著者が展開すると、それにはつぎのような3種類の属性があるのだそうです。すなわち、サラリーマン系、自営業・自由業系、公務員・教員系で、それぞれはほとんど異文化のように価値観や行動パターンを異にする、と言われてみれば、確かに腑に落ちるところが少なくありません。

さらに、それぞれの属性に対応する大学は、サラリーマン系が慶応、自営業・自由業系が早稲田、公務員・教員系が東大とのことです。何だか血液型占いあるいは星占いのような話ですが、著者はこうした分析が得意ですね。

先だってもたまたまテレビで著者が長男、長女、二男、二女、一人っ子といった分類を説得的に語っていたのを見たばかりだったので、このレトリックはエンターテインメントの才能の一種かもと思っていたところでした。オウム問題でバッシングを受けたこともあって、今はフリーの著者ですが、この才能があれば大丈夫でしょう。

でも、たんなる思いつきだけではなく、様々な資料やエピソードが丹念に集めてあり、慶応大学については著者自身『慶應三田会—組織とその全貌』(三修社)という本まで出しています。そこではどうやら福沢諭吉が提唱した「社中協力」の理念があのサラリーマン的結束力の淵源になっているそうです。

あの体育会的鉄の団結は東大に対抗するために生まれた習性ではなくて、もっと前からのものだったのですが、福沢本人が言っていたことだったというのは少し残念です。もっとも、本書を読むと福沢自身の属性とその理由がうまく説明されていますが。

いうまでもありませんが、この慶応早稲田東大というのは一種のいわゆる理念型です。しかし、こうして設定してみると、どの大学にもカラーがあって「それはやはり三つの属性のどれかに分類される」(25頁)と著者は言います。なるほど、分類の妙です。

ちなみに、わが国は会社数は人口比世界一(430万社、アメリカでも580万社)ので、今やサラリーマン型が大多数となっていますが、著者はこれが「自分探し」をする若者の増加と関係があるとにらんでいます。というのも、「サラリーマン系は、仕事や職業に関する具体的なイメージを持たないまま成長してくる」(134頁)からだと言います。これもそうかもしれません。

本書の最後に、著者はとりあえず自分がどの属性に属しているかを知ることから始めようと提唱しています。自分の属性に従うのも、あえてそれに逆らって新たな可能性を切り開くのも、どちらもありだと言います。自分を知る人が増えれば本当はかなりの問題が解決するとも言えるでしょう。

ところで、組織も本当はいろんなタイプが混在していなければ、活力も生まれず、アイデアも出てこないんじゃないでしょうか。大学の人間関係を見ていると、特に企業経験のある人が経営に関していつも歯がゆい思いを抱いているようです。何型なのかはにわかにはわかりませんが、とりわけ私学経営ではそういう人の力を活用しない手はないだろうと思います。

でも、残念ながらそれぞれの立場で自分の能力を過信してへ、お互いをバカにしているだけで終わってしまいそうな気がする今日この頃です。1人で何かやれる人はそもそも大学には来ませんしねえ。

(講談社+α新書2008年838円+税)

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2011年9月23日 (金)

福沢諭吉『福翁自伝』

福沢諭吉がこんなに面白い人だったなんて、驚きです。この自伝、面白すぎます。また、幕末から明治時代にかけての歴史の証言としても貴重で、いろいろと勉強になりました。

当時は勤王派も佐幕派も攘夷については変わるところ亡く、いち早く咸臨丸でアメリカをみてきた諭吉にとっては元来の政治嫌いも手伝って、実に冷ややかな見方をしています。やがて元武士たちがこぞって新政府の役人になりたがっているときも、決して仕官しようとせず、超然としていました。

それにしても、明治時代のできたての役人たちがすでにして横柄な態度で威張り始めていたことが証言されていて、なるほどその直系の舎弟たちが今やわが国を支配するに至ったと思うと、感慨無量です。

大阪の緒方洪庵の塾での勉強ぶりもすさまじいもので、心底驚かされます。当時の塾生たちは実利的な目的が全くないのに、朝から晩まで世界先進の思想・文化を吸収できる喜びのみを糧にして、蘭学の読解にいそしんでいました。実利的なことにばかり心を引かれてあくせく勉強するようなことでは「決して真の勉強はできないだろうと思う」(113-114頁)とまで言っています。今もほんとうはそうなんですけどね。文科省の役人がこのことを理解しないために、わが国の中・高等教育はほとんど全滅しかかっています。

著者はいつも大いなる科学的精神を持って幼少時から自分の運命を実験台にしながらそのまま大人になってしまったいたずらっ子ようなところがあり、お稲荷さんのご神体を石ころと取り替えて、たたりなんかないことを身をもって示したりすることに始まって、金銭に潔癖なはずなのに藩士としてはやたらといいかげんになるのは(「人間は社会の虫なり」)システムの問題かと考えてみたりします。とにかくよく実験し、考える人です。

私塾で初めて月謝を取ることを思いついたり、自己の著作で出版業も始めてみたりとか、まあ、そのアイデアマンぶりは素晴らしいの一言です。

それにしてもこの諭吉の独立不羈の精神が今日の慶應義塾にあまり残っていないような気がして残念です。たぶん早稲田と並んで私学の雄として官立大学に対抗しようとして、徒党を組んで闘わざるをえなかったことから、気がついたら学閥を作るようになったことが大きいのでしょう。慶應閥の結束の堅さ(とその裏返しの排他性)はすごいですもんね。でも、今日の学閥って諭吉が「親の敵でござる」と言って嫌った門閥と同じでしょう? 創立者は草葉の陰であきれているのではないでしょうか。

あ、これって大学教員の話ですよ。民間人はもっとまともなはずです。もう一回まともな民間人を中心に私塾を作るといいかもしれません。やっぱりこれからは私塾の時代でしょう。

(岩波文庫2008年改版860円+税)

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2011年9月21日 (水)

佐藤研『聖書時代史 新約篇』

旧約篇と併せて聖書の時代背景が実によくわかる本でした。叙述のスタイルは決して堅苦しくなく、イメージをよく喚起してくれて読みやすかったです。歴史ってやっぱり文章がよくないと読めませんね。

聖書の同時代のローマ史が、とことんひどい悪や残酷さに満ちた歴史で、クラウディウスとかヘロデとかネロとか、今までぼんやりとしかイメージできていなかった皇帝たちが、キリスト教徒の関わりの中で今までよりもはるかに鮮明に脳裏に焼き付くようになりました。いやー、おっかないですね。

こりゃあ今まで読まずにすませてきた塩野七生の『ローマ人の物語』も、そろそろ観念して読み始めなくてはならなくなってきたようです。

イエスの弟ヤコブがどさくさに紛れて最高法院により殺された話や、結果的にキリスト教成立に大きな影響を与えたパウロの生涯が読了後も心にずしりと残っています。

(岩波現代文庫2003年1100円+税)

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2011年9月20日 (火)

曽野綾子『老いの才覚』

著者には『戒老録』という本もあって、同じようなことが書かれているのかなあと思いながら読んでみましたが、あれは著者がまだ30代だったにもかかわらず、人生の折り返しに来たと感じたときに書かれた本でした。

本書は本当に著者が後期高齢者になってから書かれた本で、やはりだてに年をとっていませんでした。こちらが年をとったということも手伝ってか、本書では印象に残る言葉がさらに増えていたように感じました。

以下に少し挙げてみます。

「私は、自分の財産というのは、深く関わった体験の量だと思っています。若い時から困難にぶつかっても逃げ出したりせず、真っ当に苦しんだり、泣いたり、悲しんだりした人は、いい年寄りになっているんです」(32-33頁)

「その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人が、どれだけこの世でこの世で『会ったか』によって、はかられるように私は感じています。人間にだけではなく、自然や出来事や、もっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと思うのです。何も見ず、だれにも会わず、何事にも魂を揺さぶられることがなかったら、その人は、人間として生きてなかったことになるのではないか、という気さえします」(114頁)

著者は昔から流行の思想に決して飛びつかず、じっくりと人間観察をして、自分の言葉で考えてきた人なので(小説家ですからね)、年をとればとっただけいろんな人に会い、「財産」を増やしてこられたのでしょう。体験と観察に裏打ちされたいい表現がたくさんあります。

で、それはそれとして、本書で一番驚かされたのは、本書の最後に引用されているブラジルの詩人、アデマール・デ・パロスの詩「神われらと共に」でした。仮に著者の思想が気にくわないという人でも、本書はこの詩が収録されているだけで買う価値のある本です。立ち読みでもいいです。読んでみてください。すごいです。

著者は最後にこう言います。

「この詩をしみじみ思える人生を生きている人が、私のまわりにたくさんいました。そういう人たちの人生を見ることができて、ほんとうによかった、と思います」(169頁)

(KKベストセラーズ2010年762円+税)

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2011年9月15日 (木)

橋本治『風雅の虎の巻』

橋本流日本文化論です。特に和歌の解釈が鋭すぎて怖いくらいです。俊成、定家、実朝についての解釈は、今まで何気なく読んでいた和歌の世界が突然人間ドラマとしてもつながって、感心させられました。

また、日本料理屋の仲居さんが、本質的には乳母であり、乳母にはちょっと不良っぽくわがままな、しかし育ちのいいお坊ちゃんが好まれることとか、宝塚の男役の話とかに話が展開していき、そこから定家の歌の話に戻ってくるなんて芸当は、著者にしかできません。

ただ、本書の後半は連想のスピードに言葉が追いついていかないくらい性急で、ほとんどメモ書きのようになっています。橋本ワールドもここまでパワー全開になると、凡人にはなかなかついて行けません。

とはいえ、最後のサラリーマン論などは、戦前の「サラリーマン」という言葉の軽さを教えてくれて、面白かったです。著者の論理自体は再現できないのですが、それはそれで直感的につかんでくれたらそれでいいと、著者自身が覚悟を決めているような独特の文体です。21世紀に入ってからかなり著者の文章も読みやすくなってきたような気がしますが、この頃は手加減なしです。

しかし、この文体、癖になります。

(講談社文庫1991年540円)

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2011年9月12日 (月)

冨山和彦『「決断できないリーダー」が会社を潰す』

今どきあまり楽な会社はないと思いますが、経営状態が苦しくなってきても決断を下すことだけは断固として回避し、決して責任をとろうとしない態度だけは一貫しているリーダーが少なくないと思われます。出世のエスカレーターに乗ってしまえば一生安泰という形で押し上げられただけの学校秀才はしばしばそんなことになりがちです。

著者は東大法学部を出て司法試験も合格した華麗な学校暦と学習歴の持ち主ですが、あえて20代でコンサルティング会社を立てて、経営者としてビジネスの最前線で活躍してきた人ですので、わが国の典型的偏差値エリートのダメさ加減をよく知っています。

著者が重要視するのは「ストレス耐性」で、「頭がいいとか悪いとかに関係なく、ストレス耐性のない人は、本当に闘ってほしい局面で機能しなくなる」(58頁)と言います。確かにストレス耐性がない人はそうした局面で周囲が見てもはっきりわかるくらいに手が震えてみたり、顔が青ざめたりするのでわかっちゃいますね。

本人は自分より頭がいい人なんか他にいないと思っているだけに、いったん動揺すると世界観が壊れるくらいショックを受けるようです。そんな人がリーダーになったらそりゃあもう責任を回避することしか考えなくなるでしょう。ある意味で気の毒です。

しかし、座して死を待つしかないような状況に置かれたわれら下々の者どもはもっと悲惨です。いろんなアイデアは下から上げてもことごとく潰されるか、無視されて、それを採用した他企業がこの不況下にもかかわらず業績を伸ばしたりしているのを目の当たりにすると、本当に腹立たしくなります。

新しいことには断固として反対だけはするんです。その理由を見つけるのはバカでもできますから、偏差値エリートには造作もないことです。

しかし、本書は著者が偏差値エリートを極めた人だから説得力がありますが、末流大学の出身者がエリートにもの申すこと自体禁じられているので、その場合にはもう、本当に著者がかかわっていた産業再生機構に来ていただくしかないのかもしれません。

本書の内容は頭のいい人の本らしく、見出しにきっちりと出ていますので、以下見出しの中でこれはと思ったものを抜き書きしておきます。

・これからは、リーグ戦を勝ち抜いた経営者の時代になる
・仕事ができるかどうかのポイントは、ストレス耐性
・自社の立て直しで学んだのは、誠心誠意を尽くすこと
・会社の倒産は詰まるところ、人間の弱さの問題
・一般解を求める経営者は答えを先送りする
・ガバナンスの本当の仕事は、社長の首を切ること
・失敗がないのは、勝負してないことの証
・生き残りの決め手は、人に対する好奇心

などです。なお、第4章の「アメリカの民主主義は、エリートの重要性を理解している」というくだりは比較文化論的にも面白かったです。

(PHP文庫2010年476円+税)

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2011年9月10日 (土)

山我哲雄『聖書時代史 旧約篇』

いやー、いい本でした。旧約聖書だけ読んでいてもわからないところがたくさんあるのですが、こうして当時の歴史とつきあわせて考えていくと、腑に落ちる点が結構出てくるものですね。創作部分と史実とが入り交じっているだけになおさらです。

と同時に、謎が深まるところもあります。どんな動機から史実ではありえなかったことを妙にリアルに書くのか、もっと直近の出来事を投影しているのか、願望なのか、何なのかって「エリコの戦い」のことです。ずいぶん時間がずれているそうなので、少なくとも聖書の記述は史実ではありません。壁が崩れ落ちる何百年も前から廃墟だったそうで、ということはかの虐殺も史実ではなかったのでしょうか。

そうすると、レヴィナスがあそこからむしろヒューマニスティックなメッセージを読み取るべきだと言っていたことが、別の説得力を持ってくるような気がしてきます。とにかく、一筋縄ではいかないのがユダヤ思想ですね。

こうやってうまく歴史を整理してくれる本は本当にありがたいです。図版や家系図も理解を助けてくれます。ペルシアの影響が新約聖書成立にもおよびえただろうということも、本書ではっきりわかりました。まあ、状況証拠でしかありませんが、次の新約編も続けて読んでみます。

(岩波現代文庫2003年1240円+税)

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2011年9月 8日 (木)

内田樹『最終講義 生き延びるための六講』

この春めでたく神戸女学院大学をご退職になった著者ですが、本書はその最終講義を含む講演六本が収録されています。どれも面白かったです。著者があとから手を入れたにしても、ライブのアドリブ感が息づいていて、ジャズのライブみたいです。

著者の議論は私には既視感があります。それはマルクスやフロイドに始まり、現代フランス思想で余計手の込んだものになった1980年代のあのしょってる知識人の語り口なのです。しかし、それはこれだけ自家薬籠中のものとして上品に語ることのできる人は他にいません。

私の場合、現代思想のあの思わせぶりな語り口にうんざりして、気がついたら20世紀初頭のハンガリー思想ばかり読んでいましたが、こうしてある程度名が知られるようになった著者のものを初めて読んだとき、ああ、こんな道もあったのかと新鮮な驚きを覚えた記憶があります。

そんな著者ですが、やはり1980年代の東京の「まさに生き馬の目を抜くような」学術環境はやっぱりおかしく見えていたんですね(11頁)。ちょっとほっとしました。秘密の花園のような神戸女学院で育てられたのはほかならぬ自分だったとおっしゃっていますが、そうでしょうね。著者も昔からホンワカしていたわけではなかったこともわかります。

アメリカ論とか、自民党と民主党の分析とか、自殺率の問題とか、日本人のユダヤ人に対する関心の高さはなぜかという問題とか、創見がたくさんあって、本が付箋だらけになってしまいました。そこのところだけ読み返してみると、これまた面白いという不思議な本です。おもしろさの甦り方が独特なのです。一粒で二度おいしい、みたいなところがありますこれはおそらく元が講演だというところにあるのでしょう。

(技術評論社2011年1580円+税)

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2011年9月 7日 (水)

ケビン・メア『決断できない日本』

「沖縄はゆすりの名人」と発言したとされて更迭された著者ですが「ゆすり」という言葉を知らなかったそうですね。まあ、見事に罠にはめられたというのが本当のところでしょう。わが国の弁護士や新聞記者の中にも目的のためなら手段を選ばない卑怯な輩がいるようで、妙に感心しました。まるでアメリカ映画の悪役みたいです。

こうして本人の言い分を読んでみると、アメリカの立場を理路整然とわかりやすく語ってくれます。沖縄の米軍基地はかねてから縮小の方向にあるのですから、基地反対派も感情的にならずに著者としっかり話し合う方が得策だと思います。何よりまずは相手の立場を知ることが交渉の第一歩だと思いますが、地元のマスコミは感情的な記事に終始するのがもはしきたりのようになっています。10年ほど前に沖縄を旅行したときも、言論がすべてこの調子なのに驚かされた記憶があります。

著者はラスト・サムライのようなナイス・ガイです。日本文化に惚れ込んで、博多の祇園山笠にも参加したりして、日本的な話し合いと決定の文化的伝統もよくご存知です。どんなに議論が白熱しても最後には長老(総務)が決定して、みんなが従うというのが「流」(ながれ)の流儀なのですが、この決定することを回避し、責任をとろうとしない現在のわが国の官僚・政治家たちを歯がゆく思っています。

それにしても貴重な人材を更迭させてしまったものです。

(文春新書2011年780円+税)

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2011年9月 2日 (金)

和田秀樹『男も更年期で老化する』

男性更年期というのがあるというのは以前から薄々耳にしていましたし、実際に同僚の先生で3名が今まで欠勤されたことがあります。めまいがして朝起き上がれなかったりなんかするそうです。で、女性更年期がそうであるのと同じく、原因はホルモンの減少なんですね。

さすがに老人医療に長年携わってこられた著者だけのことはあります。臨床例も豊富にお持ちのようですし、説得力があります。

対策も具体的です。運動によって男性ホルモンの分泌が増えるというのは初めて知りました。そういえば最近私もジョギングだけではなくて、腕立て伏せや懸垂、スクワットなんかに取り組むようになり、どういうわけかウェイトトレーニング系の運動で身体が覚醒するような爽快感が得られることを実感していたところでしたが、理由があったんですね。これは今後も続けなければいけません。

話がつねに具体的で実践的なのは、さすがに多くの読者を獲得している著者だけのことはあります。あとは実践あるのみです。

ところで本書に出てくる話の中で漫画の『サザエさん』のお父さんの波平さんは54歳という設定だったんですね。本書を薦めてくださった日垣隆さんの文章にも出てきたと思いますが、あらためて驚かされます。

思えば本書にも出てくる野球選手で稲尾や野村というのが1970年の時点で30代前半だったというのも驚きです。南海球場で当時野村を見ましたが、著者と同様に私も「おっさんくさいなあ」と思った記憶があります。

そういう意味では全体に若作りの時代なのか、成熟が遅いのか、昔の60代は今の後期高齢者くらいのイメージがありました。いずれにしても、まだまだたくさん仕事をしたいですし、そのためにも身体を鍛えておこうと思います。

(小学館101新書2011年700円+税)

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2011年9月 1日 (木)

群ようこ『都立桃耳高校―放課後ハードロック!篇―』

桃耳高校完結編です。著者が私より4歳上なので、先輩たちから聞いていた高校生活がこんな感じだったなあ、と思い出しました。実際、かなり著者の体験が反映されているらしく、大学受験なんか実在する大学名でそれらしい学校が出てきます。

また、連合赤軍事件などの時事ネタやエマーソン・レーク&パーマーなどの懐かしい名前が出てくるのは、ちょうど著者の高校時代のことですから、私にとっては中学時代ですが、ヘェー、こんなふうに受け取っていたんだ、と懐かしいいやら新鮮な感じがするやらで、同級生たちにはたまんないでしょうね。

それにしても、都立高校は当時から制服がありませんでしたが、このホンワカと自由な校風は割と最近まで続いていたような感じがします。二十年ほど前に私が学習塾で教えていたときでも、塾生に話を聞くと結構こんな感じだったようです。で、高校の時に皆大学生みたいな遊び方をするので、レベルが高い学校でも現役で大学に行くことは難しいというのが、都立高の一般的なあり方でした。

それはそれでよかったんじゃないかなという気がしていましたが、親御さんたちは気が気ではなかったことでしょう。おそらくそのために、当時から都立でも制服を復活させて、進学指導に力を入れるという動きが起こりつつありました。今はどうなんでしょう。

面白かったです。著者の本はいつもついつい時間を忘れて読んでしまいます。

(新潮文庫平成13年476円+税)

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