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2011年10月31日 (月)

菊地成孔+大谷能生『東京大学のアルバート・アイラー 東大ジャズ講義録・歴史編』

いやー、これは滅法面白くて刺激的この上ない本です。東大でアルバート・アイラーが流れるなんて、私の講義でもオーネット・コールマン止まりなのに、脱帽です。菊地成孔氏はサックス奏者として超一流で、怪しいくらい美しいテナーサックスの音色が印象的です。

語り口もリラックスした感じで、きっと楽しい講義だったことだろうと思います。内容についてもいろいろ教えられるところがあり勉強になりました。比較文化論の講義でも早速使わせていただきます。

著者はジャズが単にジャズだけの歴史だけでなく、アメリカの1950年代から60年代にかけての世相と、ファンクやプレスリーやビートルズのような音楽との関係にも目を向けていて、本当にスリリングで面白いです。

理論面も半端でなく、バークレー・メソッドの音楽文化史的意義も本書で初めて教えられました。昔私自身これをふつうに演奏していましたが、こんな歴史的意味のあることとはつゆ知らず、著者よりも格段にうまくないサックスを吹いていたものです。なつかしい。

このほかの著者の本もこれから追々読んでいきたいと思います。というより、もうすでにやみつきになってしまったようです。本書に出て来る音源で聴いたことがないものもこれから徐々にフォローしていくつもりです。

(文春文庫2009年600円+税)

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2011年10月30日 (日)

木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』

マッハとニーチェのように一見遠い思想家が、実は同時代の読者にある意味でよく似た影響を与えていたことが、膨大な読書を通じた状況証拠によって固められていくというスリリングな本です。

本書にも引き合いに出されているマッハの研究者ブラックモアさんとは知り合いなので、読んでいて懐かしくなりました。ブラックモアさんはブダペストの精神史にも関心があり、論集を準備中です。私も寄稿していますが、いまだに準備中で、いつ出るのかは不明です。

マッハとニーチェが同時代人に熱心に読まれていたのはブダペストも同じで、ルカーチやポランニー兄弟もそうした空気の中で知的刺激を受けてきました。カール・ポランニーはマッハの『感覚の分析』の抄訳を出版し、解説を書いています。解説は私のホームページの中にも載せてありますので、有志は探してみてください。

本書で新たに教えられたことは、マッハがヒュームの著作を読まないまま同様の思想に到達していたことと、アインシュタインが「オリンピア・アカデミー」という知的サークルでヒュームを読んでいたということです。

また、ゲシュタルトについての論考でその名を知られるエーレンフェルスの多才ぶりや、奇行で有名なフリードリッヒ・アードラーなど、興味深い人物がたくさん登場して、興味が広がりだしたら収拾がつかなくなりそうな感じです。

著者あとがきにもあるように、この時代の精神史は「読まなければならない本、調べなければならないことが多すぎる」(343頁)のですが、本書を手がかりにしながら、私もできるだけ読んでいきたいと思っています。

(新書館2002年2800円+税)

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2011年10月28日 (金)

小宮一慶『なぜ、オンリーワンを目指してはいけないのか? うまくいっている会社の常識 うまくいかない会社の常識55』

身近なところを思い浮かべながら読んでみると、うまくいっている会社の常識に反しているものと、うまくいかない会社の常識にかなっているものばかりで、頭が痛くなってきました。あまりにもぴったりなところには付箋を貼ってみたら10箇所になりました。これはもう笑うしかないですね。

当然ながら、そんな会社は早めに処置をしないと危ないのですが、それぞれの場所でみんな一生懸命やっていて、自分だけはつゆほども悪いと思っていないのが現状です。しかし、この状態が一番危険で、みんな保身に走りながら完璧に錯覚している可能性があります。

今一番気になっているのは、「借り入れをして投資するなどの案件が出た場合で、その借り入れを行えば自己資本比率が基準以下になる場合には、役員は絶対に反対しなければならない」(うまくいっている会社の常識39、172-173頁)というとことです。こんなときに反対する役員がいないようなワンマン体質の会社だと、結果は火を見るより明らかです。せめて、自己資本比率を公開してから検討してほしいものです。

資本利益率(ROE)は負債の比率を高めるだけで改善してしまう(174ー176頁)という指摘も説得力があります。帳簿だけ見ている「穴熊」経営者はこの落とし穴に落ちることがしばしばだそうです。

また「売上高−経費=利益」と考えていないか? という問いかけ(178頁)にもどきっとさせられます。これは「必要利益額+最小経費=必要売上高」という積み上げで利益を出すように経営計画を立てるとうのが正解です。ああ、これもまずい。

という具合に一喜一憂というより次々と憂いを重ねながら読んでしまいました。経営の鉄則が実にわかりやすく述べてあるいい本だと思います。これを素直に受けとめることができる人は経営のセンスがあるのでしょうね。

著者が成功した経営者の特徴としてあげているのは、
1 せっかち
2 人を誉めるのがうまい
3 他人のことでも自分のことのように考えられる
4 恐いけど優しい
5 素直

1の「せっかち」以外は正反対なんて人ならたくさんいそうです。素直な人かどうかは人から批判されたときの態度で分かりますね。柔軟ということでもあります。やっぱ、なかなかいないですよね、そんな人。

(株式会社ディスカバー・トゥエンティワン2006年1360円税込)

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2011年10月26日 (水)

橋本治『ナインティーズ』

本書の前半は80年代の時評を集めたものでしたが、「PartII 89+1」に入って、話題が世界史や宗教史に広がると猛烈に勢いがついてきます。この疾走感がたまりません。

著者の思想でとりわけ感心したのは、ローマ教皇と天皇制をよく似たものと捉えていることから開ける歴史的展望です。神様の影響から抜け出ようとするときアイデンティティーが問題となるということで、現代の諸問題へとつながっていくのですが、この点で日本の宗教改革を鎌倉仏教に始まり信長〜家康と続く一連の現象と見ているところが新鮮でした。

「そして、江戸時代の日本人たちは『もう十分に自分の頭でものを考えられる』と思ったもんだから、『もう宗教なんかいらないよ』と言ってしまったのに等しい。だから“その後”に困ったんですね。『自分たちはもはや“宗教なんていらない”という段階に達しているんだという自覚がまったくなくなっていたからーそれくらい江戸の“宗教改革”は徹底していたもんだからー宗教の意味が分からない。今に至ってもそうで、宗教の問題が出て来ると『日本人には分からない』で逃げてしまうけれども、『なぜ分からないのか』を少しは考えてみればいいと思う。『日本人は、もうとうの昔に宗教から自由になっていたから』ですよ(165-166頁)。

これは実に面白い見方だと思います。裏付けとなる読書もしっかりとなされていて、なおかつよく考え抜かれています。学者だと読書だけで終わっちゃいそうなところを、著者本人が「考える文体」を獲得していることが大きいですね。

他にも後半の近代市民社会=ファシズム論なんかも説得力があります。あらためて著者の力量に感心させられます。

(河出文庫1994年680円)

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2011年10月25日 (火)

西原理恵子『新装版 サイバラ式』

自伝的マンガと文章。文章は山崎一夫との対談を起こした感じで書かれています。昔から思いっきりハジケた感じですごいですね。『パーマネント野ばら』なんかもこの方向で、ときどきしんみりとさせられる話も混じっていて、いやー、大好きです。

あんまり書くことはないのですが、マンガも徐々に読んでいきたいと思っています。『毎日かあさん』も読まなきゃ。人生の楽しみが一つ増えました。

(白夜書房1995年1000円+税)

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木田元『ハイデガーの思想』

木田元の本は読みやすくて好きですが、ハイデガーの本は今まであまりピンと来たことはありません。ハッタリだらけで、どちらかというと嫌いな思想家に属します。影響を受けた坂田徳男がハイデガー嫌いだったこともあって、食わず嫌いだった時期もあります。その語気を取り直して『存在と時間』なんかもわりと最近読み直してみたのですが、やっぱりダメでした。

ひょっとしてハイデガーは太宰とかランボーとかスタンダールのように、若い頃に読まなければいけないのかもしれません。中年以降に読むと、悪くはないけれど感情移入ができないなあ、という感じになります。

それにしても、木田元さんのような思想読解の名手がハイデガーの思想の読解に一生を捧げられてきたというのは不思議な気がします。さすがにハイデガーの表面的な影響を受けてやたらと難解なことをいう人たちとははっきりと一線を画していますが、やっぱり不思議は不思議です。

そういう興味もあって本書を読んでみたのですが、なるほど本書は題名を裏切ることなく、私でも腑に落ちることが書いてありました。こんな感じです。

「ハイデガーの思想とは、結局何だったのであろうか。私は現代を読むための壮大な思考実験だったと思っている。彼の開いてくれた広大な視野のうちに据えて見ることによって、これまで見えなかった実にさまざまなものが見えるようになった。(中略)知と言語の本質、芸術と技術の本質を考えるための大きな手がかりが与えられ、〈西洋〉と呼ばれる文化圏の運命が、そしてそれに照らし返されて〈日本〉という文化圏の持つ運命も、以前よりいっそう深く読み取れるようになったのである」(230-231頁)

しかし、やっぱり私は今後もあまりハイデガーを読むことはなく、同様の問題を昔から追求していたベルジャーエフやピカート、あるいはウォーコップ、またあるいはわが国の坂田徳男のような思想家を愛し続けることになると思います。

(岩波新書1993年800円+税)

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2011年10月18日 (火)

木内明『ゼロからしっかり学べる! 韓国語[文法]トレーニング』

高信太郎の『超簡単まんがハングル入門』でハングルの読み方をあらかた覚えたので、本書を買いました。書店でいろいろ見較べた結果、オーソドックスに文法を押さえている本書が目にとまりました。私にはこのタイプの教科書が一番しっくり来ます。

2章まで勉強したところですが、別冊に「重要文法のまとめ&単語リスト」が付いていて、知識の整理と暗記用になかなか重宝します。本書はオーソドックスながら随所に工夫が凝らされていて、練習問題と単語の選択がうまく有機的に関係するように作られています。この価格でCD付というのも嬉しいです。

実は明後日にはもう韓国に行くのですが、出発前までに10日ぐらいまでは目を通しておきたいと思います。この機会を逃すとたぶん勉強しないだろうと思うので、現地でも学生に「韓国語だけを使って韓国語を初心者の私に教える」ことを一つの課題とします。効果的な外国語学習法を考えるのが課題です。自国語を振り返る良い機会にもなるでしょう。

集中講義の最終日に私が学生たちの作ったテストを受験して、その点数がそのまま学生たちの成績になるというのはどうでしょうね。語彙、聴解、文法、読解、作文とそれぞれテストしてもらいましょうか。学生は5人なのでちょうどいいかも。

韓国文化と日本文化の違いについてもいろいろと事例を出しながら一緒に考えていきたいと思っています。これもネタには困りません。いやー、楽しみです。

(高橋書店2011年1700円税別)

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2011年10月17日 (月)

山形孝夫『レバノンの白い山 古代地中海の神々』

ユダヤ・キリスト教に古代の様々な神話や伝説が影響を与えていることを丁寧に探った本です。フェニキアのバアル神とその娘アナトがソロモンの雅歌に与えた影響や、治癒神アスクレピオスがキリスト教に与えた影響が丁寧なテクスト読解を通じて、見事にその謎が解かれていくのがスリリングです。

聖書のテクストの微妙な記述の揺れからここまでのことが読み取れるのかと思うと、本当に驚きます。折を見て聖書の該当箇所を読み直してみるつもりですが、宗教史の世界は奥が深いですね。

本書は1976年の本ですが、2001年に復刊してまだ版元から取り寄せることができました。息の長い本ですね。この内容からして当然だろうと思います。

ところで、近年のゾロアスター教についての研究もまた、この分野に新たに光を当てているかもしれないのですが、どうなんでしょう。調べておきます。

(未來社1976年初版、2001年復刊2500円+税)

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2011年10月14日 (金)

橋本治『ぼくたちの近代史』

近代以前というのは子どもたちが自分たちで遊びのルールを決めながら活き活きと遊んでいた原っぱの状態で、学生運動なんかに身を投じるのは、著者に言わせると、原っぱでの遊び方を知らずに、お勉強して大学に入ってしまった連中みたいに見えてくるから不思議です。

それで、全共闘なんかの運動を「“大人は判ってくれない”と言って僕たちがドタドタ叫んでいる、そのことを判ってほしい!」(23頁)っていう風にとらえるのが橋本流です。こう言ってしまえるのがすごいところで、1980年代の「ニューアカデミズム」も「僕たちが言いたいことは、“みんな嫌いだ”っていうことだけだ」というのを「特殊なボキャブラリーを使って説明する」と喝破してしまいます。

「俺やっぱし、全共闘のアジビラと同じで、ニューアカの本っていうの読めないのね。何かいてあるか分かんなくて」(45頁)と言いながら、著者はその共通点をしっかりさらしてくくれちゃっているのでした。

これはいったいどんな話になるのかと思ったら、この後はなしはどんどん少年時代の原っぱの話にドライブしていきます。しかし、この原っぱ遊びについてここまでリアルに描かれた文章は初めて読みました。

私は幸いながらこういう経験をしてきたので、著者の言うことが実感としてほんとうによくわかります。これが共同体の一つの理想型だということも、そうして考えてみると、そこにはいろんな発想の種が隠されていることもよくわかります。

あ、これだったんだ。これが言語化されたのを初めて読みました。これは今構想中の社会学のエピソードとしても使えそうな気がしますが、何より、ここから引き出される問題はマルクス並みにたくさんある気がします。全共闘の話が出てきたのもわけがあったんです。

本書は気がつく人だけが気がつく社会理論のタネが含まれた希有な本です。さすが、オリジナリティにかけては比類のない著者だけのことはあります。私もこの宝物をできるだけ活かしていきたいと思います。

(河出文庫1992年540円)

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2011年10月12日 (水)

青柳恵介『風の男 白州次郎』

北康利の本よりこちらの方がいいと聞いて読んでみました。その通りでした。白州次郎の良さが丹念な取材からしっかり浮かび上がってきます。余計なことを書かずに、押さえた筆致で丁寧にまとめられています。世間で評判になって賞まで取ってしまう本よりも、地味なこちらの方を押す人が多いのは、読み比べてみるとよくわかります。選考委員が読み比べたりしない人たちだったからよかったのでしょう。えてして世の中の流はこんなものですが、10年くらいたてば少しわかってきます。20年もすれば本書しか残らないことだってありえます。

それにしても白州次郎はやっぱり格好いいですね。男として理想的なタイプです。精進しなければという気にさせられます。

(新潮文庫平成12年400円税別)

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2011年10月10日 (月)

木田元『新人生論ノート』

いろいろな話題を硬軟取り混ぜて楽しませてくれる人生論です。話題はやはりこれまでおなじみのものですが、名人のいつもの和芸を聴くような感じです。

しかし、リラックスした内容の中にはここまで言い切るかという思われる過激な発言もあり、楽しませてくれます。たとえば、こんな感じです。

「これまで日本の哲学研究者には、肝心なことがあまりよく分かっていなかったのではないかと思えてくる。しかし、大哲学者のプラトンの言うこと、デカルトの言うことがわからないというのは恥ずかしいことだと思い、つい分かったふりをしてしまう。みんながそれをやるので、結局は集団詐欺のようなことになってしまったのではなかろうか。そんなことを言う私にしたって分からないことはわからないと言い出すのにずいぶん勇気が要ったし、ある歳になるまでなかなか言い出せなかった。しかし、言い出してしまうと、いままで分かったふりをしていたことがいかにも滑稽に思えてくるし、かえっていろいろなことが見えてくるものだった」(113頁)

とご自身のことも棚に上げずに述べられていて、好感が持てます。そして、

「見えないものは見えない、分からないことは分からないと認めることこそが、われわれ自身の思索の第一歩だったはずなのに」(115頁)

と結ばれています。これだけ勉強した人ならではのこの発言は、哲学に限らず若い研究者も肝に銘じるべきでしょう。学会の事情は相変わらずのようですけれど。

(集英社新書2005年680円+税)


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2011年10月 9日 (日)

木田元『木田元の最終講義 反哲学としての哲学』

題名どおりの最終講義と講演、そして補論が収録されています。ほとんどは今までにどこかで読んだ話題なのですが、何度読んでも飽きないところがあります。闇屋から猛勉強して哲学者になった著者の若いころの話はいいですね。語学の習得法も参考になります。

本書では第二章のエルンスト・マッハについての話が強く印象に残りました。マッハからウィトゲンシュタインまでの思想の流れが実に分かりやすく、かつスリリングに書かれています。これを講演ではなくて論文の形になったものがあるといいなと思っていたら、『マッハとニーチェ』という本があったんですね。早速注文しておきます。楽しみが増えました。

巻末の解説は教え子の村岡晋一によるものですが、著者が「本がちゃんと読めるようになれば、人柄がよくなる」という発言をされていたそうで、なるほどなと思いました。これは原書をしっかり訳読する訓練を通じての話ですが、原著者と昔から受け継がれてきた知の連鎖という営みに対する尊敬の念がおのずと湧いてくることで、人間が謙虚になるということを意味しています。

私もそういう読書会をやりたいなと思ってなかなか果たせないでいますが、それはともかくとして、これまでに見てきたあまり人柄がいいとは言えない人たちを見ていると、へんな読み方をしたり、あるいはもうそもそも読書から無縁という人が少ないというのも事実です。

まあ、人のことはともかく、少なくとも自分の問題としては、著者のいう「ちゃんと」した読書をしていきたいと思います。

(角川ソフィア文庫平成20年629円+税)

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2011年10月 7日 (金)

土屋賢二『ツチヤ教授の哲学講義 哲学で何がわかるか』

ツチヤ教授の真面目な哲学講義です。しっかり哲学されています。ウィトゲンシュタインの正当な継承者だと思われます。論理哲学論考と哲学探究をしっかり読み込んで、ご自身の立場を鮮明に打ち出されています。

でも、ウィトゲンシュタインのたんなる受け売りではなく、問題を受け継いで、しっかり考えて、ご自身の発見を述べられています。デカルトについて著者は「言語の規則はこうなっている」という主張を述べたにすぎず、世界の真理を探り当てたわけじゃない(210頁)と考えています。「デカルトはわれわれが使っている言語規則をそのままなぞっただけだと思うんです」(同頁)と言います。

というのも、「思う」とか「考える」とかは否定も肯定もできない性質の言葉だからです。「われ思う」に対して「あ、そう」とか「いやその思い方はおかしい」なんて言えないので、そこから哲学を始めることは間違っているというのがウイトゲンシュタインをふまえた土屋先生が言いたいことのようです。

これはウィトゲンシュタインも草葉の陰で声援を送っているのではないでしょうか。先達の言葉を読むなら、先達がその先どう考えたかというところまで読み込んで、はじめて意味があると思います。その点で本書は外国人タレントに尻尾を振る思想輸入業者の本とは明らかに一線を画しています。

結局哲学では「人間とは何か」「生きるとは何か」「存在とは何か」といった物事の本質は解明できないけれども、言葉の働きをよく理解することで、ヘンに狂信的な境地に入っていかないというメリットもあるということがわかります。また、世の中の様々な誤解から解放されて物事を知るにはどうしたらいいかというヒントくらいは得られるという学問だということがわかります。

そこまでわかってしまったところからあの一連の抱腹絶倒脱力感満載のエッセーが生まれるのかと思うと、これまたまことに不思議な気がします。やっぱ、えらい思想家だったんだというのが率直な感想です。

(文春文庫2011年600円+税)

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佐々木瑞枝『日本語を「外」から見る 留学生たちと解く日本語の謎』

著者は業界では有名な日本語教育の専門家です。本書は世界各国から日本にやってきた留学生たちに日本語を教える過程で出てくる日本語という言葉のさまざまな問題をたくさんのエピソードと共に紹介しています。

特に日本語学習者に独特の誤用がたくさん挙げられていて貴重です。誤用から出てくる日本語の難しさや面白さは日本語教育を専門としない人にとっても興味深い話題だと思います。

もちろん日本語教育に携わる人や、これから日本語教師を目指そうという人にとっても、本書は大いに参考になるのではないかと思います。日本語教育の難しさと面白さは本書からたくさん伝わってきます。

私もかつて怪しい日本語教師として教壇に立ったこともあり、ここ10年くらいは大学の留学生別科という所で日本語教育を教務面からサポートする仕事をしてきました。大変なこともたくさんありますが、ほんとうに面白くてやりがいのある仕事です。

本書を読んで日本語教師として刺激を受けたり、あらためて日本語教師を志そうと思う人が増えたりしてくれると、この業界自体の水準も向上してありがたいなあと(所属する短大の日本語教師養成コースの営業という観点からも)強く思います。

(小学館101新書2010年699円)

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2011年10月 5日 (水)

高信太郎『超簡単 まんがハングル 今日から使える韓国語』

今月韓国出張があるので、文字くらい読めなきゃと思って買ってきました。ハングルの読み方が漫画を使ってうまく整理されているので、印象に残りやすく楽しく読めました。著者が韓国を大好きなこともよく伝わってくる好著です。

とにかく文字だけで100頁以上費やしてあるので、100頁を過ぎると文字の読み方だけは覚えてしまっています。これが本書の最大のメリットだと思います。

問題は正確な発音がわからないということですが、私の場合は幸い10月からのラジオのハングル講座を聴きながら補っています。

それにしても、文字の成り立ちだけでもいろいろと面白いところがある言葉です。今の段階では看板とか読めるようになるだけでも楽しいです。先日はテレビで放映されていたプロバスケットボールの日韓王座決定戦でユニフォームにある韓国選手の名前を読んで喜んでいました。

本書には日常生活や旅行の際に使える表現と単語も後半に収録されているので、出発前までには最低それだけは覚えてしまおうと思っています。何気なく見ていると文法も面白そうな気がしてきましたので、余力があればCD付きの教科書を買って勉強してみます。

(光文社知恵の森文庫2010年648円+税)

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2011年10月 2日 (日)

土屋賢二『ツチヤ教授の哲学ゼミ もしもソクラテスに口説かれたら』

著者のお茶大での哲学のゼミの実況中継とのことですが、すごいです。しっかり哲学されています。本書で始めて著者の哲学者としての力量が並大抵のものではなかったということが確信できました。

ゼミでは学生の発言がほぼそのまま載せてあるということですが、この質問もよく考えられたいい質問で感心させられます。今どきの女子大生も実にしっかりしています。

知識がほとんど要求されないという環境の中で「考える」ということだけに集中すると、どうあっても物事の本質に迫らざるをえないのでしょうけれど、そこへ思考を導く水先案内人としての著者の問題の整理の仕方は見事です。

その中で著者の分析哲学的な立場も開陳され、正体を隠したままで高見に立ったり、裏に回ろうとしたりするのではなく、あくまで学生と一緒に問題を考えていこうとするところが素敵です。これは大学教員にはなかなかできないことですが、根本的にものを考えなければならない哲学者にとっては必須の姿勢です。著者が真の哲学者だということを私が確信したのもこの点においてでした。

私の細かい専門分野では、この哲学者としての姿勢を持っている人は残念ながらほとんどいません。学会や研究会もありますが、年々足を運ぶのが億劫になってきます。自分が他人よりもいかに優れているかということを誇示したい人たちの集まりになってきているからです。

気取ってみたり、威張ってみたり、お為ごかしにアドバイスしてみたり、あるいはもっと露骨に罵倒してみたりと、様々な手を使ってきますが、哲学の姿勢とは無縁なのです。ご本人はすべてを見通せるような立場に立てるような気がしているのかもしれませんが、その姿勢自体がダメなことにまったく気がついていないのです。

もっとも、専門を異にする研究者たちと話をしていても、いずこも同じ秋の夕暮れで、要するに大学教員からなる学会というのは、根本的におかしいことが平気でまかり通ることがしばしばのようです。こうしてみると、そもそも大学教員という存在に問題があることは否定できないようです。

大学を愚者の楽園とは言い得て妙ですが、その大学の内部の論理が外に出てくると、学会とやらになるのかもしれません。

(文春文庫2011年429円+税)

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