橋本治『ぼくたちの近代史』
近代以前というのは子どもたちが自分たちで遊びのルールを決めながら活き活きと遊んでいた原っぱの状態で、学生運動なんかに身を投じるのは、著者に言わせると、原っぱでの遊び方を知らずに、お勉強して大学に入ってしまった連中みたいに見えてくるから不思議です。
それで、全共闘なんかの運動を「“大人は判ってくれない”と言って僕たちがドタドタ叫んでいる、そのことを判ってほしい!」(23頁)っていう風にとらえるのが橋本流です。こう言ってしまえるのがすごいところで、1980年代の「ニューアカデミズム」も「僕たちが言いたいことは、“みんな嫌いだ”っていうことだけだ」というのを「特殊なボキャブラリーを使って説明する」と喝破してしまいます。
「俺やっぱし、全共闘のアジビラと同じで、ニューアカの本っていうの読めないのね。何かいてあるか分かんなくて」(45頁)と言いながら、著者はその共通点をしっかりさらしてくくれちゃっているのでした。
これはいったいどんな話になるのかと思ったら、この後はなしはどんどん少年時代の原っぱの話にドライブしていきます。しかし、この原っぱ遊びについてここまでリアルに描かれた文章は初めて読みました。
私は幸いながらこういう経験をしてきたので、著者の言うことが実感としてほんとうによくわかります。これが共同体の一つの理想型だということも、そうして考えてみると、そこにはいろんな発想の種が隠されていることもよくわかります。
あ、これだったんだ。これが言語化されたのを初めて読みました。これは今構想中の社会学のエピソードとしても使えそうな気がしますが、何より、ここから引き出される問題はマルクス並みにたくさんある気がします。全共闘の話が出てきたのもわけがあったんです。
本書は気がつく人だけが気がつく社会理論のタネが含まれた希有な本です。さすが、オリジナリティにかけては比類のない著者だけのことはあります。私もこの宝物をできるだけ活かしていきたいと思います。
(河出文庫1992年540円)
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