カール・ポランニー『経済の文明史』玉野井芳郎・平野健一郎編訳
文庫版を久々に読み返してみました。定式化とキャッチフレーズが秀逸です。歩オランニーは目の付け所がいいので、いろんな人から良いメロディーをいただいてオペラにまとめ上げたプッチーニみたいなところがあります。
ただ、細かなところで一貫性のないところもあって、せっかくの定式化も体系とまでは言えないところでとどまっています。先人の本の読み方に直感だけですませてしまうところがあったのかもしれません。例えばマルクスなんかには、かなりしつこくヘーゲルを読み込んで、内在的に乗り越えようとするところがありますが、そういう思考の粘りのようなものは感じられません。あっさり系です。
マルクスとベルグソンとウェーバーのアイデアをよく使っていますが、枠組みや用語を拝借してはいるものの、彼らの粘着気質からはまったく影響を受けていません。それはもう不思議なほどです。そのかわり、この軽さゆえにいろんな学問分野を渡り歩くことになり、そのことを通して後世に多くのヒントを与えてくれています。ヒントを受けたその先は読者が自分で考えていかなければ、という気にさせられるからです。これもまた個性の一つですしょう。
ただ、明らかに影響を受けているはずの恩師ショムローについて、ポランニーが1950年代以降の論文でも一言も触れていないのはやはりいただけません。読んでいてだんだん腹が立ってきました。1948年に妹から送られてきたショムローの二冊の本を読んで、いたく感銘を受けた旨を書簡に記しているのにねえ。
この点で、今回読み直していて、「互酬」(おかしい言葉です。「酬」って、漢和辞典を引いてみたら? コンパでもしますか。「互恵」ではいかんのでしょうか)概念をめぐって、ポランニーの方がアリストテレスに引きずられて、ショムローよりも面白くない定式化をしている箇所が見つかりました(303頁以降)。
これが原因だったのかな、という気もしましたが、だからといって誉められた話ではありません。深刻な影響を受けているからからこそ影響の痕跡を消したかったのかもしれません。実際には、ショムローは1920年に亡くなっていましたし、無視するだけでよかったのですが。それでも、本を送った妹もラウラなんかは違和感を持っていた可能性があります。亡命ハンガリー人でショムローのことをよく知るヤーシなんかも、そう思っていたかも。
このあたりの事情は拙著『ハンガリー法思想史』にも書いておきました。12月に出ると版元は約束していますが、進捗状況について何も言ってこないので、まだまだ先の話になるかも。3年以上前に校了して「あとがき」も書いたんですけどね。でも、出たら読んでやってください。
(ちくま学芸文庫2003年1400円+税)
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