マルクス『経済学・哲学草稿』城塚登・田中吉六訳
学生時代に一度は読んでいた本ですが、年とって読み返すと、いろんなことがわかって、余計に楽しめました。今はヘーゲルの論理学や精神現象学も一度や二度は読んでいますし、近代経済学の知識も当時よりありますので、マルクス主義者になる資格は十分ありそうです。
しかし、背景知識が増えるとかえって当時のマルクスの苦労が偲ばれて、がんばっていたんだなあ、とか考えてしまいます。対象化の作業が自身とは正反対のものになり、自分に敵対するものに転化し、その対象から逆にないがしろにされるというするという有名な疎外論は、ヘーゲル弁証法の展開そのものですが、弁証法が反定立に何を置いても成り立つという好例になっています。要するにめっちゃ観念的なのです。
それだけマルクスに対するヘーゲルの呪縛が強かったことがわかります。この分かったような分かんないような論理がマルクスの怪しげな魅力にもなっているので、話は複雑です。さらに、もっとわかりやすい魅力としてはそのヒューマニズムがあります。これが出てくると、水戸黄門の印籠のようにひれ伏す人が、おそらく今でもたくさんいるはずです。こっちの方は私はダメです。むしろ笑っちゃいます、ごめんなさい。
「無神論は宗教の止揚によって、共産主義は私有財産の止揚によって、自己を媒介した人間主義である。この媒介の止揚ーとはいってもこの媒介は一つの必然的な前提なのであるがーによってはじめて、積極的に自己自身からはじめる人間主義、積極的人間主義が生成するのである」(216頁)
というところを読んでも、この「人間主義」って信仰の対象みたいだなあと思ってしまいます。それから、この引用からもわかるように、マルクスにはほとんど宗教音痴のようなところがあるので、この点で日本人にはフィットするところがあるのかもしれないと感じました。
ただ、近代経済学の批判を単に机上の理屈だけからではなくて、植民地支配とか当時のでたらめな侵略、殺戮行為の背景を知った上でやっているところは、やはり只者ではないと思います。資本論にはもっとはっきり出てきますね。これは本当に重要です。すなわち、土地も労働も商品になるという暴力性に気がついているところは、今日でも有効な視点ですので、しっかりチェックしておきます。
(岩波文庫1964年520円)
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