ベルグソン『道徳と宗教の二源泉』中村雄二郎訳
本書を読むのは4度目です。読むたびに新たな発見があります。本書は聖書的世界観が下敷きにされた哲学書ですので、日本人でベルグソンのことを理解できる人というのはクリスチャンの割合からすれば、人口の1パーセント以下になる可能性があります。哲学者でも聖書をきっちり読んでいる人は少ないので、一般的日本人の割合とそう変わりません。
それはともかくとして、ベルグソンの思考の独特の粘り強さには驚かされます。提起された論理的図式は複雑ではありませんが、それが全体として了解できるのは、さまざまなことに目を配りつつしっかり細部を把握した後のことになります。しかし、この哲学者は直感的にはすでにさらに遠くを見据えているので、ときどき道に迷わされます。読者としては、ちょっと迷ったあとで出口を見つけてそちらに進むとほのかな明かりが差してくるといったところがあります。そうやって考えながら読むのが一種の快感になってきます。
それにしても本書は渾身の力を込めて書かれたキリスト教哲学でもあります。C.S.ルイスの『ナルニア国ものがたり』と同じ構造をしています。と言っても、わかる人にしかわからないのですが。閉じた宗教と開いた宗教の対比は後のさまざまな思想家たちにストレートに影響しています。
自然の驚異やあるいは他の集団から自分たちを守るために「社会」というものが形成されますが、その中である神秘的な開放系の宗教が生まれて、社会は開かれた空間へと飛躍するというストーリーは、西洋史の事実にも裏打ちされているように見えます。
しかし、開かれた社会への変貌はまだ道半ばなため、現在の混乱があるとも言えます。ある過渡期に自分が位置しているという時間感覚もまた、この開いた宗教=社会観が人びとに与えてくれたものです。ポパーやハイエク、それからマイケル・ポラニーも、このベルグソンの系譜に位置づけられます。また、弟とはイデオロギー的には正反対の思想家にも見えるカール・ポランニーの「二重革命論」もベルグソンの影響を受けています。
私が今書いている社会学の教科書も、結局この閉じた社会と開いた社会の話に触れざるをえません。その意味であらためて多くの示唆を受けることができました。翻訳の文体が中村先生なので、これもまた懐かしく読むことができました。
(白水社1965年)
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