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2011年12月13日 (火)

カール・R・ポパー『開かれた社会とその敵 第一部 プラトンの呪文』内田詔夫・小河原誠訳

全体主義と歴史主義を毛嫌いするポパーらしい本です。ユダヤ人として親戚や仲間が殺された経験がこういう本を書かせたのでしょう。というか、ポパーの本のどれにもその核となる経験は生きていると思います。

ただ、恨みが強すぎて議論が平板になるあまり、論敵の中にある貴重な要素を見落としてしまう場合があります。本書ではプラトンを敵として定めたのはいいのですが、プラトンはさすがにそんなに簡単に矮小化できません。

本書はプラトンをほとんど神とあがめ奉る人たちにとっては挑戦的な議論だったと思います。しかし、一般の読書人にとってはプラトンの国家といえども、そんなに神格化したりもしていないので(権威大好きの秀才は別ですが)、それぞれの議論に是々非々の感想を持っているものです。

いくらプラトンでも、裸で体操をするのを笑ってはいけないとか書かれていると、普通の感覚では「ばっかじゃなかろか」と思うでしょう。プラトンの『国家』が全体主義的だなんてことは、ポパーに言われなくても、一読すればわかります。これを無理矢理民主主義的に解釈しようとするプラトン学者が異常なだけの話です。

ポパーにとって、プラトンがヘーゲルやマルクスと並ぶ諸悪の根源の一人であることはよくわかりますが、では、その彼らがどうしてそこまで人気を集め、社会に影響を与えてることができたのか、という原因の分析をもうちょっと突っ込んでもらえたらと感じてしまいます。

ポパーの哲学的立場は英米の分析哲学に親和性が高いものなので、いわゆる「中身」を期待することはできない相談かもしれません。そもそもポパーにとっては「中身」を求めること自体がナンセンスなのだろうと思います。それは一つの哲学的立場としてはよくわかります。

ただ、その「中身」を求める人びとの目には、プラトンやヘーゲルあるいはマルクスは神というより、ほとんど悪魔的な魅力をたたえる存在として映っています。そこのところの秘密を解き明かしてくれるためには、ポパーは善人すぎるのかもしれません。

第二部の感想はまた別に書きます。

(未來社1980年)

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