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2011年12月26日 (月)

森博嗣『自分探しと楽しさについて』

以前から「自分探し」なんてセンスのない若者がやることだと思っていましたが、著者は大学の先生として学生の相談を受けたりしてきたせいか、若者に優しいです。実際、きまじめな若者がちょっと見方を変えるだけで、脱皮したりするのも見てきたからでしょうね。

理系の頭の著者らしく、理屈できっちり考えていくところが素敵です。他人の本など一切引用せず、きっちり筋道立てて考えることで、ストレートに鋭い表現が生み出されるところに独特のいい味わいがあります。文章のリズムもユニークです。

「なにをしても、自分は見つかるし、なにをしても、自分は高まる。まずは考えないで、行動することだと思う。考えるのは、そのあとで良い」(51頁)

「『他者』を認めること、それが『自分』を確立する。認めるというのは、存在を認め、立場を認め、意見を聞き、人格を尊重し、必要であれば、守り、敬う、ということである」(101頁)

「『他者』の集合、そしてその集合が時間的にも蓄積したもの(歴史)が、「社会」である」(124頁)

「難しいのは、考えることであり、さらに難しいのは、考えすぎないことだ。考えていけば、必ず矛盾が生じる。矛盾があったからといって絶望することはない。世の中すべて、自分も他者も社会も矛盾だらけなのだから」(151頁)

という感じです。社会学者が書くものよりも刺激的です。たぶん著者が「考える人」だからでしょう。学者は考えないでコピペする人が多いですから退屈なのだと思います。学者の場合、横のものを縦にするにも日本語としてこなれていないため、余計難解になってしまいます。

でも、わが国の社会科学者たちは一から自分の頭で考えることだけは恐ろしくてできないのです。能力の問題もありますが、自分で考えるような生意気な真似をしたら、学会の重鎮などからきついお叱りを受けて、下手をすると追放の憂き目にあうからです。

なんだかなーって、いつも思ってはいるのですが、ま、私などは学会とはほとんど無縁なので気楽ですが、斯界で出世しようとすると、サラリーマンの悲哀のような感じになってしまうのです。なーんだ、典型的なムラ社会ではないか、と思うでしょう。そのとおりなのです。

著者はもう国立N工業大学をお辞めになっていますし、以前よりもより自由な生き方をされているようです。その心持ちには学ぶべきところがたくさんあります。

(集英社新書2011年700円+税)


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