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2011年12月12日 (月)

内田樹『期間限定の思想』

著者の『おじさん的思考』の続編にあたる本です。文庫化されていたのをたまたま本屋で見かけたので、早速買ってきて読みました。読んでみると、確かに「日本の正しいおじさん」の多くは、このようにややこしく考えることはなくても、結果としてそのように振る舞っている気がしてきます。

著者によれば、「日本の『正しいおじさん』というのは、実際にはもっと知的だし、もっと内省的だし、もっと深くものを考えている。そうでなければ、日本はここまでこられなかっただろうと思うわけです」(248頁)ということになります。

そうなんです。つまらないおじさんばかりではないんです。ちゃんとした人はたくさんいるんですよね。ただ、黙って仕事して、黙って普通の堅実な生活を送っているので、メディアのイメージに合わないだけのことです。

ただ、ダメなおじさん連中は目立ちますし、ときには法に触れたりしてメディアを賑わしてくれますが、たとえ役人や大学の先生であっても、まともな人が多少なりともいるので、全体がどうにか回っていっていると思われます。ただ、最近はああいうところには、まともな人はいるにはいるけれど、その割合はかなり少ないような気がしてきていますが。

本書は著者には珍しく、対話形式のエッセーも含まれていて、これがなかなか楽しめます。随所にギャグがちりばめてあり、結構芸が細かいですね。最近の著書ではお目にかからないスタイルなので、是非また女子大生との対話という形でなくてもいいですから、書いてほしいと思います。

それにしても、ラカンとかバルトのような現代思想家の難解と言われる論理が、ここまで読みやすい文体の中で展開されているというのには、あらためて驚かされます。東大仏文の人は難しいことを難しいままかあるいはそれ以上に難しく語る傾向があるとおもっていましたが、著者のようにここまで理解が徹底していて、思想が血肉化されているいると、こんな芸当ができるのかもしれません。

自宅の本棚を調べてみたら『おじさん的思考』も持っていなかったことに気がつきました。買って読まなきゃです。

(角川文庫2011年552円税別)

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