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2012年1月30日 (月)

デュルケム『宗教生活の原初形態(上)』古野清人訳

デュルケームの宗教観がよくわかります。宗教を社会に還元しようとしています。というより、もうほとんど社会を神と見ています。社会の神格化かもしれません。

「われわれは、現在においても過去においても、社会があらゆる断片から聖なる事物を創造するのをみる。もし、社会がある者に熱中し、彼に社会を動かす主要な熱意を見出すとともにこれを満足させる手段を見出すと信じるならば、彼は比類なき者とされて神化される。世論は神々を守っているのとまったく似た尊厳を彼に与える」(383−384頁)

でも、わからないものをわからない言葉で置き換えても、やっぱりわからないんじゃないの、と言いたくなりますが、幸いこの点でベルグソンが頑張ってくれたので、デュルケームには安らかにお休みいただくことにします。

それにしても、やはりデュルケームは宗教理解についてはセンスが悪すぎます。ユダヤ教も含めてあらゆる宗教についてアレルギー体質だったのでしょう。かえって冷静に見られないみたいです。だからこういう本を書くことになったのでしょうけどね。

下巻を読んでからまた続きを書きます。

(岩波文庫1975年改訳550円)

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2012年1月29日 (日)

デュルケーム『自殺論』宮島喬訳

デュルケームが社会を「物のように」客観的に扱おうとして、具体的に研究したのがこの『自殺論』です。自殺率の統計は社会によってずいぶん異なっていて、毎年一定程度同じような割合で、自殺率が高い国は高いし、低い国は低いままだったりします。

デュルケームはここに「社会」の個性が現れていると見るわけです。そして、自殺の原因を3種類に分けます。すなわち「集団本位的自殺」と「自己本位的自殺」それに「アノミー的自殺」です。人間は社会の束縛が強いと集団にプレッシャーを受けて自らの命を絶ってしまいますし、社会の束縛が弱くて個人主義的になっても死んでしまいますし、規範や価値観が混乱するとやけくそになって死んでしまったりするという分類です。

この分類自体は膨大な統計資料とは実はあまり関係なく、思弁的に導かれたものです。社会の束縛が鍵なのですが、困ったらアノミー的自殺といっておくようなところもあります。一番わかりづらいのがこのアノミー的自殺です。離婚に伴う自殺はアノミー的自殺だそうですから、ときどき実に粗雑な論理展開が見られたりして、ツッコミどころ満載です。

ただ、先に分類してから分析すると星占いのように何だか現象がそれらしく説明できてしまうのが不思議なところで、この「統計と分類による説明」自体を社会学の一つのテーマとして論じたいくらいです(実際、今執筆中の教科書で論じているところです)。

デュルケームは宗教の重要性を認めながら、その説明を彼のいう「社会的事実」に還元しようとするところがあります。この傾向は『宗教生活の原初形態』にも現れていて、それに待ったをかけたのが哲学者のベルグソンですね。デュルケームの宗教理解は底が浅すぎて話にならないと考えたからこそベルグソンは『道徳と宗教の二源泉』を書いたことが、デュルケームを読むとあらためてよくわかります。

デュルケームを有り難がってばかりいるといろんな大切なものを見落としてしまうと思います。まあ、信者なら仕方ないですが、そんな信者には霊界のデュルケーム自身が「やめとけ。私は宗教は嫌いだ」と言うに違いありません。

(中公文庫1985年933円+税)

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2012年1月27日 (金)

テンニエス『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(上)(下)杉乃原寿一訳

現在執筆中の社会学教科書関連で、本書も30年ぶりくらいに読み返してみました。社会を二つの類型に分けて論じるというアプローチでは代表的な本です。

アイデアとしては、H.S.メインの『古代法』の「身分から契約へ」に触発されたものと思われます。デュルケームと違ってそのあたり正直に言及していて好感が持てます。マルクスの影響も強いですね。旧社会主義圏でも重要文献の一つとして読まれ続けていた理由がわかります。

ゲマインシャフトはムラ社会、ゲゼルシャフトは会社とでも考えるとわかりやすくなりますが、補足や注にゲノッセンシャフトという協同組合的組織が登場して、ちょっと興味を引かれます。あるべき社会形態の第3の可能性を考えていた節がうかがえます。

著者は真面目に様々な話題を一つ一つ採り上げ、それぞれに自分の概念を適用して説明してくれていますが、論じ方は平板で、それだけでお腹いっぱいになるところがあります。本書の美点はやはりキャッチフレーズのうまさでしょう。タイトルにもなっている二分法だけでも想像力を刺激された社会学者が後にわんさと登場して、社会学の公務員試験受験参考書などでは、似たようなパターンの暗記項目が表になって整理されていたりします。

それにしても、わが国のように会社がムラ社会のようになっていたりするのは(ムラ社会が会社になったのでしょうけれど)世界的にも例がないのではないでしょうか。テンニースが見たらびっくりでしょうけれど、これもそろそろいい加減にしてほしいものです。しかし、多くの日本人にとってムラ社会はやはり安住の地なのでしょうね。なかなか変わるのは難しそうです。

(岩波文庫1950年各400円)

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2012年1月26日 (木)

E.デュルケム『社会分業論』(上)(下)井伊玄太郎訳

デュルケームのデビュー作。学位論文です。1893年に出版されています。コントとスペンサーの影響を受けつつ、集合意識についての着眼点についてはすでにこの頃から見てとることができ、それは今でも光っています。

コントとスペンサーについてはかなり批判もしていますが、とりわけスペンサーにはしつこく絡んでいます。理論的にはかなり影響を受けているだけに気になっていたのでしょう。環節社会なんて妙な生物学的比喩を思いつくのが実はスペンサーの影響を脱し切れていない証拠なんですが。

枠組みとしてはゲマインシャフトからゲゼルシャフトへという言い方はしていませんが、先行研究としてテンニースに全く触れていないのが感心できません。1885〜86年とドイツのヴントのもとで勉強していただけに、1887年のテンニースの本を知らないのは不自然です。論旨も協同組合に期待するなんてところが、むしろ隠したくなるくらい深刻な影響を受けていたのではないかと思えてきます。

また、アダム・スミスには言及しながら分業を経済学的に見ることは考えてもいないみたいです。スミスの国富論を本当は読んでいなかったのかも知れません。富に狂奔する人びとも立派な社会学的対象になると思いますが、デュルケームの問題意識には存在しません。

民族資料やイギリスのH.S.メインについては正確にフォローしていますし、法律や制度にはマニアックなまでの関心を示しているだけに、デュルケーム本人が触れなかったテンニースと、読まなかったらしいアダム・スミスのことが気になる本です。

そういえば、フランスのポストモダンの思想家たちが、読んでいるはずのアドルノとホルクハイマーの近代理性批判を無視したりとかしていたことを思い出してしまいました。こういうのフェアじゃないので嫌いです。

(講談社学術文庫1989年上900円下800円税込)

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2012年1月25日 (水)

橋本治『橋本治という行き方』

橋本治の本は、何を読んでも慧眼が光っています。本書も、三島由紀夫について「ただ生きるためだけに必死になって原稿を書く作家」であり、「書くとは“人を生かす道”の模索なのだな」ということがわかってしまった(56頁)とか、「小林秀雄って、いい人でえらい人なんだ」とか、さらりと言ってのける大変な本です。

これを直ちに同意できる人が、インテリや学者よりも普通の人に多いだろうな、とか思いながら、「そうだよね、ほんとに」と思える人は、コアな橋本ファンになれます。

また、次のような説得力のある、やや長めの理屈を楽しめる人もそうです。

「別にスポーツに限らなくて、なんでもそうだけど、『自分のやっていること』は、あんまりたいしたことじゃない。『たいしたこと』というのは、『自分のやるべきこと』だ。『自分のやっていること』の向こうに『自分のやるべきこと』という一段高いハードルがあって、それを直視して、それを越えようとしないとだめだ。そこら辺を、昔の日本人は『神を見る』というように考えたんだと思う」(170頁)

こういうことって、こういうふうにしか言えない気がしてくるから不思議です。とにかく、私も私なりに「越えよう」と思います。

(朝日新聞社2005年1400円+税)

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2012年1月23日 (月)

アダム・スミス『国富論Ⅲ』大河内一男監訳

第Ⅲ巻もいろいろな話題に触れられていて面白かったです。国家の収入と予算、とりわけ最後の方は税制と公債についていろいろな例をあげながら論じられています。

商業の発達が中世ローマ教会の絶対権力を滅ぼしたことや、歴史上公債の累積した国がそれを完全に償還した例はない、という指摘は色々と考えさせられます。なお、今のわが国の国債も結局は税金でどうにかするしかないというのなら、スミスの立場と変わらないかもしれません。

ただ、スミスの本は実際どれくらい読まれているのでしょうね。本書をしっかり理解しようと思ったら、背景知識として18世紀のイギリスおよびヨーロッパ経済史の知識がある程度必要でしょうし、それを本気で勉強しようとすると、経済史の専門家になってしまいかねません。

一方、前半の経済理論のところは理論として精密化を図る方向が当然考えられますし、実際そういう方向で理論の展開も見られるのですが、大学で経済原論なんかを学んで、比較生産費説なんかを理解した人は、あえてスミスを丹念に読んでみる気にはならないような気がします。憶測に過ぎませんが。

ところで、本書でスミスが触れていることですが、18世紀の若者の間で海外旅行熱が高まって、富裕層の若者たちは短くて半年から2~3年にわたってヨーロッパを旅して回っていたそうです(131頁)。今でもヨーロッパの学生たちは結構そうしてぶらぶらしている連中がいますが、そのとき以来の流れでしょうか。中世ドイツには放浪学生なんてのもありましたしね。

東大が入試制度をそのままにして秋入学になるのでしたら、入学前に学生たちは半年くらい海外を放浪するのも
いいのではないでしょうか。まあ、やっかむ人もたくさんいるでしょうけれど、その後の学習にいい影響をもたらしてくれると思います。

(中公文庫1978年816年+税)

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2012年1月22日 (日)

ひろさちや『「狂い」のすすめ』

いい本です。世間のしがらみにとらえられているときに読むと、心が軽くなります。閑吟集に「一期は夢よ たゞ狂へ」とあるあの狂いの勧めです。世間の生真面目な価値観が押しつけてくる重圧に負けないようにするには自分から「狂ってみせる」ことが必要だと著者は言います。

一休禅師のようにスマートあるいは酔狂な真似はできなくても、心に遊びの部分やちょっとしたゆとりを持つことで、テキトーに生きていくのが世の中の価値観ではなくて、仏教やキリスト教に共通する弱者の知恵だというわけです。

いいですね、こういうの。仏教は要するに「こだわるな」という教えだと、ほかならぬ著者の本に書かれていたと思いますが、その実践編です。勤め先でもついつい肩に力が入ってしまう毎日ですが、ときどき本書をパラパラとめくるようにするといいかもしれません。

「ともかく、世間の物差し一本で生きてはいけません」(182頁)と著者は言います。そうですよね。ただ、そうはいっても私自身ちょこちょことしがらみを抱えてもいるので、これからすこしずつ自分なりの「狂い」の戦略を考えたいと思います。もっとも、すでに十分狂っているのかも知れませんが。

(集英社新書2007年680円+税)

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2012年1月19日 (木)

デュルケム『社会学的方法の基準』宮島喬訳

1980年に買ったときに読んで以来二度目です。ということは32年くらい経っています。そのときよりも当時の事情がわかっているので、面白く読めました。先輩のコントとスペンサーをことあるたびに批判し、自分の立場を固めようとするかなり挑戦的な本です。

議論の展開がきっちりしていて、論争好きだったことがうかがえます。彼を敵に回すと大変だったでしょうね。私は読んでいませんが、友人の歴史家によると、デュルケームはドレフュス事件でも弁護する論陣を張ってかなりがんばっていたそうです。

ハンガリー人の社会学者ヤーシ・オスカールが1905年か6年頃にフランスのデュルケームのもとを訪ねたとき、議論でこてんこてんにやられてしょげかえっている手紙が残っていますが、ヤーシがそのとき聞いた質問がことごとくデュルケームの立場と正反対だったことがあらためてわかりました。これではわざわざ地雷を踏みに行ったようなものでした。ちなみに、その後ヤーシはデュルケームの信奉者になってハンガリーに帰ります。すっかり洗脳されてしまいました。

それはそうと、デュルケームはコントやスペンサーよりももっと科学の内在的論理に即した社会学を構想しています。当時としては「社会を物のように扱う」というのはかなり新鮮な方法だったこともわかります。実際にやっていることは現象学的社会学の先取りのような視点が含まれていて、結構面白いのですが、デュルケーム本人が「物」にこだわることで誤解を受ける可能性もあります。

というのは、自然科学の概念が20世紀に入って量子力学の時代になったあたりから全く変わってしまったからです。それ以来観察主体の主観を排除した純粋に客観的な物質というのは、想定できなくなってしまいました。

で、レヴィ=ストロースなんかはそのあたりの事情をしっかりふまえつつ、フランス社会学は師匠のマルセル・モースによる「全体的社会事実」の概念により、この困難を乗り切ってきたのだという論文を書いています。

(このあたりのことはもうかれこれ4年ほど前にゲラができていて未だに出版されていない拙著『ハンガリー法思想史』に書いています。版元はもうすぐ出版できると言っていますが、この4年間編集者を次々と不幸が襲い、息をつくいとまもないほどです。この12月も入院されていて先週退院されたばかりだそうです。なかなか難しい状態ですが、本が出たら読んでやってください。)

なお、デュルケームの個別の仕事はまあ、そんなに込み入ったことはなくて、素朴に映りますがそれでも「社会的事実」についての議論は甥で後継者のモースにつながる側面を持っています。

とまあ、いろいろ考えさせられますが、またこれ今私が書いている社会学の教科書に反映させるつもりです。話が込み入らないように工夫したいと思います。

(岩波文庫1980年450円)

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2012年1月16日 (月)

『中高バックス 世界の名著46 コント スペンサー』清水幾太郎責任編集

社会学の本を書くためにあらためて読み直しました。コントは自分で科学の体系を作り、その先端部門に新たな学問としての「社会学」を構想しました。人間の精神は神学的時代から形而上学的時代へ、そして、科学的実証の時代へと発展するといういわゆる「3段階の理論」で、科学的なアプローチによって社会を再編する柱となるのが社会学というわけです。

マルクスがコントの著作を毛嫌いしていたというのはよく知られていますが、ヒューマニストで科学主義的なところは同じ時代精神の申し子で、むしろ近親憎悪みたいなところがあったのでしょう。マルクスはアダム・スミスをはじめ、たくさん仮想敵がいて、何が何でも自分が一番優秀でなくてはいけない人だったようなので、気の休まる暇がなかったことでしょう。

コントの場合は「人類」を実証科学の最高概念として位置づけています。人類は「神」からスコラ哲学の「自然」そして実証精神の段階に至って「人類」を価値の中心に置くようになると見ています(166頁)。コントが後に「人類教」という宗教を開くようになるのも、すでに早くから着想は得ていたことがわかります。

スペンサーのほうはコントよりも世代が後になり、イギリスの産業革命期に活躍しただけあって、かなり楽観的です。科学についてもコントよりも冷静な見方をしています。宇宙の始まりから生物進化まで、自然界の森羅万象すべてを貫く「進化」の概念はほとんどファンタジーに近いのですが、当時の時代の空気を反映した用語として、ダーウィンの進化論の露払いをしました。この独自の進化の概念を社会に適応して「社会進化論」の提唱者となります。

しかし、ダーウィンの『種の起源』のインパクトが強すぎたため、ダーウィンの進化論を社会に適用したと誤解されて、本人はさぞかし不満だったことでしょう。その点、気の毒なところはありますが、著作はハッタリをきかせた派手な読み物として読者サービスをかなり意識していたところがあります。

スペンサーは不可知論の立場なので形而上学的問題は科学では解けないと明言しています。でも、科学の限界を知るからこそ人間知性の矮小をよく知ることができるという、コモンセンスを活かした正当な考え方をしています。コントみたいに「人類」を宗教的に崇拝するわけではないので、今回読み直してみてあらためて好感を持ちました。

コントもスペンサーも市井の知識人なので、アカデミズムに対してはいろんな複雑な思いがあったことでしょう。でも、当時の科学・学問を総合的に欲張って論じることで、思想家としてはいろんなところに影響を残しています。テーマを限定した学術論文のスタイルではおそらく後の社会学の発展に寄与することすらできなかったでしょう。

(中央公論社昭和55年1300円)

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2012年1月14日 (土)

西加奈子『円卓』

主人公は小学3年生です。『漁港の肉子ちゃん』では小学5年生が主人公でしたが、これはもっと年少です。例によってませていますがやっぱり子どものところはしっかり残っていて、そこのところが本当にうまくとらえられています。で、やはり作品の中でしっかり成長するんですね。

著者が作品の登場物をいとおしんで、細部まで愛情を込めて書いていることがよくわかります。登場人物は多彩で個性的。いろいろと子どもの目から見て不思議なことがうまく書かれていて、自分もその年頃そんなことがあったなあと思い出されてきます。

今回の主人公とその家族は美形揃いですが、実際、絵に描いたように美形の一家っているんですよね。この家みたいに幸せとは限らなくて、美形がゆえのトラブルというか誘惑というか、男女関係がややこしくなることはしばしばあるようです。お金持ちの不幸と似ているかもしれません。

だからといって、美形でもなくお金持ちでもなければ幸福かといえば、もちろんそうではありませんし、人生いろいろです。結局は自分を知ることが一番難しいようで。

私の知る範囲では、美形家族は見ている限り仲がいい感じがしていましたが、この小説の家族も仲がいいので、やっぱりそうかも、と勝手に仮説を検証した気分になりました。

それにしても、本当に力のある作家ですね。読後感もとってもいいです。

(文芸春秋社2011年1238円+税)

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2012年1月13日 (金)

マダーチ・イムレ『人間の悲劇』今岡十一郎訳

ハンガリー文学の古典に数えられる独特の劇詩。日本のハンガリー研究の草分けの今岡十一郎大先生の訳です。1888年生まれの人ですから、語彙がいろいろと古典的で、内容とは別に楽しませてもらいました。なにせキリスト教徒を「切支丹」とくるのですから。文体も日本の時代劇みたいなところがあって、不思議な感じです。

しかし、語学の達人である翻訳者は原書の英仏独訳も参照しつつわからないところをほったらかしにせず、登場人物の注釈も丁寧につけて、大変な仕事をやり遂げられました。この戯曲の全体の意味はわかるだけでもすごい翻訳だと思います。

神と悪魔が出てきて、楽園追放されたアダムとイヴが様々な時代の様々な地域の登場人物に転生するというお話ですが、ドイツでは『ファウスト』に似ているため評判が高くなかったとも言われています。物語の構造からすると近いかもしれませんが、思想としてはファウストももとにしている旧約聖書のヨブ記により近いのではないかと思います。

この作品では、ファウストのように一人で闘うのではなくて、アダムとイブが常に二人で苦悩するところが特徴的です。夫婦愛や男女の愛についても考えないではいられません。悪魔も常にアダムの助言者として側についていますが、超人的な力を発揮することがあまりなくて、下界では結構地味な役回りです。現代思想のような気のきいたことも述べていて、親しみがわかなくもないキャラクターです。

ヴォルテールの『カンディド』のように笑いの要素があったらもっと楽しめたと思いますが、それはないものねだりでしょうね。著者はかなり真面目なキリスト教思想家で、劇中でそれを悪魔と対決することで確認する意図があるのでしょう、ちょっと真面目すぎかもしれません。結論はカンディドと近いような気がするので、あと足りないのは笑いだけかなと思ったりする次第です。

ハンガリーで舞台化されたものを見たこともありますが、劇場に笑いは一切ありませんでした。みんな真剣にこの思想ドラマを見ていたのはすごいことだとは思いますが。

ここ何年かヴォルテールの偉さが身にしみてきているためか、笑いがないと、どんな結論になったとしても救いがないのでは、と私自身はまじめに考えています。笑いながら考えたいところですが。

(審美社1965年980円+税)


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2012年1月11日 (水)

アダム・スミス『国富論Ⅱ』大河内一男監訳

ようやく二巻目を読みました。やっぱり面白いです。筋金入りの自由主義者です。植民地支配のえげつなさもしっかり批判しています。

「愚劣と不正、これこそが、植民地支配の最初の計画を支配し指導した根本の動機であったようだ。すなわち、金銀の鉱山を漁り求めた愚劣がそれであり、また、ヨーロッパ人に危害を加えるどころか、最初の冒険者たちを親切に手厚く迎えた無辜の原住民の国土を貪婪にも領有しようとした不正義がそれである」(341頁)

という具合です。金銀の鉱山を漁るというのはまだかなり穏やかな表現で、ラス・カサスが記録した実態はほとんど狂気に近いものだったのですが、ともかくこのあたりが意外にもきっちりと書かれているのはちょっと驚きでした。

で、この地域が金銀がざくざく採れるような風評を流したのが、かのコロンブスだったことにも触れられていて(295-296頁)、あらためて彼のその場を取り繕う能力の高さと、そのことが与えたとんでもない影響に驚かされました。稀代の山師だったんですね。

本書では植民地支配が割に合わないことも経済学的に論証されていて、さすが、経済学の父といわれるだけのことはあります。マルクスなんかはこのアダム・スミスを標的にして呪い殺す勢いで著述に励んでいたのでしょう。これだけの仕事をされたら別のやり方で乗り越えなければ、と思ったかもしれません。もちろんマルクスが「参りました」なんて言うはずはなくて、ありったけの怨念を込めつつあの資本論を書き上げてしまったのですから、それはそれですごいですね。

(中公文庫1978年819円+税)

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2012年1月 8日 (日)

朱川湊『本日、サービスデー』

どれも意外性に満ちた面白い短編集です。表題作だけは多少長いので、中編小説という感じでしょうか。どれも印象に残ります。

著者は「ノスタルジックホラーの名手」とか言われているので、あんまり怖すぎるとちょっと敬遠してしまいますが(いつかは読むと思いますけど)、本書は帯に「心がほっこりと温まる粒選り作品集」とあったので、安心して読みました。

そして実際、この文句に偽りなしでした。一つだけあまり「ほっこり」とはしない作品がありましたが、ま、そういうのもありでしょう、って感じです。

個人的には最後の短編で主人公が三途の川を渡り始めたところの描写がしみじみとしていて結末と共に強く印象に残りました。表題作にはあ、なるほど、こう来たか、という意外性があって、感心させられました。

あんまり具体的に話すとネタバレになるので、これくらいにしておきます。文庫新刊です。旅のおともにいいかもしれません。


(光文社文庫2011年571円+税)

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2012年1月 7日 (土)

桂文珍『落語的ニッポンのすすめ』

読むと元気になれます。短い連載エッセーを集めたものなので、今までの講義調の本とはリズムや文体が多少異なりますが、人生をいつもじっくりと見つめ、笑って楽しもうとする文珍師匠のものの見方は変わりません。

著者が全国を旅して回ってみたこと感じたことや朝の連続テレビ小説に出演したこともすべてがネタになっていて、それぞれ楽しませてくれます。

「着物は人をやさしくする」の項では、著者が着物で街を移動していると、外国人観光客が「オーサムライ! キモノ ドウゾ!」と先にエレベータに乗せてくれたので、侍のようなしゃべり方で「左様か、お先に! 御免!」と返して大ウケしたりしています(230頁)。

いいですよね、こんな感じ。

(新潮文庫平成22年438円税別)

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2012年1月 6日 (金)

橘玲『亜玖夢博士の経済入門』

行動経済学や社会心理学、あるいはネットワーク理論といった先端科学の理論がそれぞれ5つの短編小説になっています。学問フリークの博士と秘書の中国人女性にその弟の助手が、どれも濃いキャラクターで怪しい世界を作り出しています。

それぞれの理論がしっかり理解されていないと、こんなにうまく小説世界とリンクできないと思います。また、小説ならではのスピーディーで極端な展開が、これまた理論モデルを際立たせています。並の才能と努力では書けない本だと思います。

私が現在執筆中の社会学の教科書もこんなふうに書けたらいいでしょうけれど、なかなかそうはいきません。それでも今後少しは参考にしてみたいと思います。少なくとも、何をどう書いても自由だということを示して見せてくれるのはありがたいです。

そうそう、経済学の教科書としても十分使える本ですよ。教える方の力量が問われるのはつらいですが。

なにはともあれ、本書には勝手に勇気づけられる思いがしています。

(文春文庫2010年524円+税)

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