マダーチ・イムレ『人間の悲劇』今岡十一郎訳
ハンガリー文学の古典に数えられる独特の劇詩。日本のハンガリー研究の草分けの今岡十一郎大先生の訳です。1888年生まれの人ですから、語彙がいろいろと古典的で、内容とは別に楽しませてもらいました。なにせキリスト教徒を「切支丹」とくるのですから。文体も日本の時代劇みたいなところがあって、不思議な感じです。
しかし、語学の達人である翻訳者は原書の英仏独訳も参照しつつわからないところをほったらかしにせず、登場人物の注釈も丁寧につけて、大変な仕事をやり遂げられました。この戯曲の全体の意味はわかるだけでもすごい翻訳だと思います。
神と悪魔が出てきて、楽園追放されたアダムとイヴが様々な時代の様々な地域の登場人物に転生するというお話ですが、ドイツでは『ファウスト』に似ているため評判が高くなかったとも言われています。物語の構造からすると近いかもしれませんが、思想としてはファウストももとにしている旧約聖書のヨブ記により近いのではないかと思います。
この作品では、ファウストのように一人で闘うのではなくて、アダムとイブが常に二人で苦悩するところが特徴的です。夫婦愛や男女の愛についても考えないではいられません。悪魔も常にアダムの助言者として側についていますが、超人的な力を発揮することがあまりなくて、下界では結構地味な役回りです。現代思想のような気のきいたことも述べていて、親しみがわかなくもないキャラクターです。
ヴォルテールの『カンディド』のように笑いの要素があったらもっと楽しめたと思いますが、それはないものねだりでしょうね。著者はかなり真面目なキリスト教思想家で、劇中でそれを悪魔と対決することで確認する意図があるのでしょう、ちょっと真面目すぎかもしれません。結論はカンディドと近いような気がするので、あと足りないのは笑いだけかなと思ったりする次第です。
ハンガリーで舞台化されたものを見たこともありますが、劇場に笑いは一切ありませんでした。みんな真剣にこの思想ドラマを見ていたのはすごいことだとは思いますが。
ここ何年かヴォルテールの偉さが身にしみてきているためか、笑いがないと、どんな結論になったとしても救いがないのでは、と私自身はまじめに考えています。笑いながら考えたいところですが。
(審美社1965年980円+税)
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