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2012年1月29日 (日)

デュルケーム『自殺論』宮島喬訳

デュルケームが社会を「物のように」客観的に扱おうとして、具体的に研究したのがこの『自殺論』です。自殺率の統計は社会によってずいぶん異なっていて、毎年一定程度同じような割合で、自殺率が高い国は高いし、低い国は低いままだったりします。

デュルケームはここに「社会」の個性が現れていると見るわけです。そして、自殺の原因を3種類に分けます。すなわち「集団本位的自殺」と「自己本位的自殺」それに「アノミー的自殺」です。人間は社会の束縛が強いと集団にプレッシャーを受けて自らの命を絶ってしまいますし、社会の束縛が弱くて個人主義的になっても死んでしまいますし、規範や価値観が混乱するとやけくそになって死んでしまったりするという分類です。

この分類自体は膨大な統計資料とは実はあまり関係なく、思弁的に導かれたものです。社会の束縛が鍵なのですが、困ったらアノミー的自殺といっておくようなところもあります。一番わかりづらいのがこのアノミー的自殺です。離婚に伴う自殺はアノミー的自殺だそうですから、ときどき実に粗雑な論理展開が見られたりして、ツッコミどころ満載です。

ただ、先に分類してから分析すると星占いのように何だか現象がそれらしく説明できてしまうのが不思議なところで、この「統計と分類による説明」自体を社会学の一つのテーマとして論じたいくらいです(実際、今執筆中の教科書で論じているところです)。

デュルケームは宗教の重要性を認めながら、その説明を彼のいう「社会的事実」に還元しようとするところがあります。この傾向は『宗教生活の原初形態』にも現れていて、それに待ったをかけたのが哲学者のベルグソンですね。デュルケームの宗教理解は底が浅すぎて話にならないと考えたからこそベルグソンは『道徳と宗教の二源泉』を書いたことが、デュルケームを読むとあらためてよくわかります。

デュルケームを有り難がってばかりいるといろんな大切なものを見落としてしまうと思います。まあ、信者なら仕方ないですが、そんな信者には霊界のデュルケーム自身が「やめとけ。私は宗教は嫌いだ」と言うに違いありません。

(中公文庫1985年933円+税)

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