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2012年2月 2日 (木)

マックス・ヴェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳

デュルケームを読んだ後にウェーバーを読むと、論理の使いかたと概念の厳密性について、根本的な方向の違いを感じないではいられません。デュルケームは社会学に無理してやや古い哲学を盛り込もうとしますが、ウェーバーは哲学者以上に精密な論理を用いながら、あくまで社会学をやろうとしています。

ウェーバーは理念型という理想的かつ典型的な概念を用いて、幾何学の補助線のように、社会学的問題を解くための思考の補助線にしようとします。

「理念型はむしろ、純然たる理想上の極限概念であることに意義のあるものであり、われわれは、この極限概念を規準として、実在を測定し、比較し、よってもって、実在の経験的内容のうち、特定の意義ある構成部分を、明確に浮き彫りにするのである」(119頁)

このあたりの議論の精密さは、どちらかというと19世紀的な遺物を引きずりがちなデュルケームとは異次元のものです。

ただ、日本のウェーバー研究者というのは私は苦手で、肌が合いません。補訳の折原浩なんかは大家で立派な人なんでしょうけれど、読めません。どうしてでしょうね。数行読むだけでそれ以上先へ進みたくなくなります。いつかは苦行と思ってでも読み通さなければいけないでしょうけれど、まだしばらくは敬して遠ざけておきたいと思います。

(岩波文庫1998年660円+税)

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