上野玲『視線が怖い』
ゆえあって著者から生原稿をいただきました。集英社新書(だったかな)として3月頃に刊行予定の原稿です。面白かったです。本が出たら買います。
視線恐怖というのは、他人と目を合わせるのが苦手を通り越して、恐怖になるという状態のことですが、うつや摂食障害を抱えながら、この視線恐怖にも苛まれた経験のある著者自身のルポルタージュでもあり、取材を通じて、あるいは研究書をあたって得られた知見が動員されて、この症状(といっていいのでしょうか)についての「今」が分かる本です。
また、視線をめぐる日本文化特有の扱い方について文化論的にも触れられていて、興味を惹かれました。民話や伝説などに頻繁に登場する「見るなの禁」や、仲間と一緒に同じ物を見る「共視」が責任逃れの手段にもなっているという指摘は新鮮でした。このあたり論理的なつながりがうまくつかめない所がありましたが、共視については専門の研究もあるとのことで、そうした研究への道案内としても有益です。
昔から「ガンつけた」とかいって暴力沙汰になったりするのも、考えてみれば不思議な現象ですね。本書でもこの点についてもうちょっと文化的に考察されていたらありがたかったですが、著者は若い女性から露骨に「ガンつけられる」つまり敵意のこもった目で睨まれる経験があるそうなので、読んでいてそちらのほうに驚かされました。それも一度や二度ではないとのこと、何とも気の毒な経験です。
日本的集団の中では昔からガンつけたといってボコられ、目立つといってボコられ、黙っておとなしくしていると軽く見られ、あるいは無視されるわけですから、ある意味で視線恐怖にならないほうがおかしいくらいのなのかもしれません。これでは街中ではおちおち目も開けていられません。私も視線恐怖気味なんでしょうか。
しかし、出張で上京するたびに街の人びとの視線が名古屋あたりと比べてやたらときついなあと感じます。めちゃめちゃ他人のことを気にして、欠点を暴こうとしている悪意が潜んでいる気がしていましたが、これはどうやら気のせいばかりでもないようです。
かつて漱石は『草枕』の冒頭で「とかくこの世は住みにくい」と書きましたが、特に東京はストレスフルです。もう少しどうにかならないでしょうかねえ。
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