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2012年2月 7日 (火)

内田樹『「おじさん」的思考』

柄のないところに枝を接げる内田流の論理展開がスパークしています。結構気合いが入っているのは、あとがきによれば、本書が著者の事実上初めての単行本だったからのようです。そのため、本書には後の著書でも展開されるエッセンスが凝縮されているところがあります。

以下本書に出て来る金言を列挙してみます。

1.「極論すれば、大学教師であるためには『バカであること』は障害にならないのである。『バカであることを恥じている』だけで十分なのである」(49頁)→「知への愛」が鍵ということですが、意外とこれは難しいことです。勉強することで「恥知らずの秀才」という種類のバカになる可能性があります。

2.「自分を他人より不幸だと思っている人間は倫理的にふるまうことがむずかしいだろう」(72頁)→教員を大切にしない学校はひどいところになるでしょう。

3.「かけがえのないものが欠如してもなお、人はその欠如に耐えていくほかない」(86頁)→小津安二郎の映画の言いたいことってこれだったんですね。言われて納得。

4.「破局的なときに、平常心の人にはついていくな」(112頁)→ついていくと命を落とします。とんでもない非常事態と思ったら新たな行動を起こす必要があるはずです。「揺れは確かに大きかったけれど、裏山まで逃げる必要はありません。校庭で待機しましょう」と落ち着いて断定する教師を信じてはいけません。

5.「若い人に必要なのは、この終わりなき自己解体と自己再生であると私は思う。愛したものを憎むようになり、いちどは憎んだものを再び受け容れる、という仕方で、私たちは少しずつ成長してゆく。そのためには幼いときから『異界』と『他者』に、書物を介して出会うことが絶対に必要なのだ」(165−166頁)→私にとってはフランス現代思想がそんな感じだったかもしれません。今はベルグソン、アラン、ヴェイユ、それから、古いところではヴォルテールあたりで落ち着いています。

6.「大人であるということは、経験の豊かさとも識見の高さとも肝の出来具合とも関係がない。『大人にならなければならない』という当為をわが身に引き受けることによってのみ人は大人になるのである」(189頁)→これがないから世の中全体が子どもっぽっくなっているんでしょうね。ついでにいうと、「男」「女」「父親」「母親」なんかも覚悟一つです。経営者も労働者もね。

7.「青年にとっていちばん大事なことは、『何を知っているか』『何ができるか』ではなく、未来に対して、他者に対して、どれほど開放的に、愉快に応接する用意が出来ているかである」(221頁)→青年以降はすべてこうありたいですね。それが「日本の正しいおじさん」のありかたでもあります。

世の中に行われている言動に微妙な違和感を抱きながら意識の奥底に放置しておいたようなことがらが、著者の言葉を通して形になって出てくると、深く体感的に納得できます。漱石の小説なんかもこういう読み方ができるのかとあらためて教えられました。『虞美人草』なんか未読なので、これをきっかけに読んでみようと思います。

(角川文庫2011年552円税別)

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