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2012年2月 8日 (水)

マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』林道義訳

1982年に買って読んで以来、二度目です。当時引いた下線を見ると、法理論に使えそうなところばかり探しながら読んでいたようです。訳文は著者何を言いたいかがしっかり解釈されて翻訳されていることがわかり、好感が持てます。それでも難しいとすれば、それは著者の言いたいことが微妙なところにあるからです。

こうして30年ぶりに読み返してみると、ウェーバーは曰く言い難いところを微妙な論理と表現で本当に巧みに語っているなあと感心させられます。しかし、安易に日本語でやろうとすると、書いている本人はわかったとしても、読者にとっては極めて難解な文章になってしまいそうです。

言いたいことがすっきりと書かれているという点では『社会科学と社会政策における客観性』のほうがいいと思いますが、本書ではテンニースのゲマインシャフトとゲゼルシャフトの概念が検討されていて興味を引きます。ウェーバーからこんなにきっちりと理解されるて、テンニースも嬉しかったでしょうね。

それにつけても思い出されるのが、ウェーバーと交流のあった若きルカーチの話です。ルカーチはウェーバーから哲学者としての才能に乏しいという内容の手紙を受けとり、衝撃を受けます。哲学風味のエッセーならいいんじゃないとも書かれていましたが、そんなこと書かれてと余計傷ついたのではないでしょうか。

それだったらウェーバーもかつて強い影響を受けていたマルクスに回帰して、マルクス主義哲学者になってやれと思ったのでは、と以前ハンガリーの研究者が言っていました。それが邪推だとしても、ウェーバーからその手紙を受けとってまもなくして、突然ハンガリー共産党に入党して周囲を驚かせましたのも事実です。

ウェーバーもわざわざそんな手紙を出さなくても、と言いたくなりますが、どうやら一癖も二癖もある人だったようですね。

(岩波文庫1968年200円)

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