K.ポランニー『人間の経済Ⅰ』
久しぶりに読み返しました。近代市場経済がどのようにして誕生したかということについて、ポランニーの問題意識とマルクスやアダム・スミスのそれとがどう違うかを確認したくて読み返しました。
気がついたことは、ポランニーには本源的蓄財や先行的蓄財という視点がほとんどないということです。そのため、ヨーロッパ人の新大陸での残虐非道な振舞いについても、無視するというよりは、最初から意識に上っていないという感じなのです。
市場経済の発生当初に、とんでもないボッタクリがあったということは事実ですし、そのことが世界経済にもたらした意味をどう評価するかはともかく、少なくとも問題にしたほうが、今日のマネー経済の巨大な力の淵源を探る上でも有効な視点が得られると考えますが、どうでしょう。
一方で、社会統合の形態や、社会制度に組み込まれた原初的経済のあり方については興味深い視点を提供してくれています。本書の編集方針からもたらされる印象では、ポランニーが次第に『大転換』で示されたアクチュアルな視点が、古代社会や民族誌の領域へと移行していった感じがします。
しかし、若森みどり『カール・ポランニー』(NTT出版2011年)によると、どうやらそういう一般的な見方は間違っているようですね。(若森さんの本も近いうちに読んで、ここに感想を上げておきます。)
あらためて読むと、訳文が読みにくい場所が結構目につきました。2~3度読み直してかろうじて分かるといった感じです。語学の問題と言うより、日本語の文章としてもう少し整理してくれるといいのですが。たとえば、
「妥当性はこの場合、第一に正当な人間が正当な機会に正当な種類の物を返さねばならぬことを意味する。正当な人間とは、もちろん対称的に配置された人間である。たしかにそうした対称性なしには、互酬システムが含む複雑な授受関係は起こりえなかった。妥当な行為はしばしば公平と価値考慮の行為であり、少なくとも外観ではそうである」(94頁)
適当に開いた頁から抜書きしてみましたが、ギリギリの線でしょう。原書を横目で見ながらならいいんですけど、これだけで読むと読みやすいとは言えないでしょう。
あと、今や故人となられた玉野井芳郎氏の序文で「ハンガリー語の表記、表音を正しく写し取るなら・・・」(8頁)と
あって、その後にでたらめなことが書かれていますが、1998年に出た特装版でもここは直っていません。誰か訂正してやってください。なお、他にもハンガリー人の人名表記はヘンテコです。「オシュカル・ヤーシィ」ってどうやったらこう読めるのかって感じです。ポーランド語風かな。
ま、偉い先生だから、わかっていても言えないということはあったんでしょう。でもそろそろ直してほしいですね。
([特装版]岩波現代選書1998年2600円+税)
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- ドイツ語で読む珠玉の短編(2026.06.23)
- 山本七平『小林秀雄の流儀』(2019.07.28)
- 田中圭一『うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち』(2017.02.20)
- 天外伺朗『宇宙の根っこにつながる生き方 そのしくみを知れば人生が変わる』(2017.02.19)
- 柴田昌治『「できる人」が会社を滅ぼす』(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。


コメント