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2012年3月29日 (木)

山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』

すごい本です。まだの人は是非読んでみてください。聖書の言葉がここまできっちりと解釈された上で、著者の地元の気仙沼地域の方言に翻訳されています。単に新共同訳聖書を方言に置き換えたようなものではなくて、見事な聖書解釈、ギリシア語解釈を経由しているので、驚くほどしっくり来る日本語になっています。

例えば「愛する」は「大事にする」、「ことば」(ヨハネ1・1)は「神様の思い」、「裁く」は「善し悪しをいう」という具合です。ギリシア語の「現在命令」を動作の継続を表す用法と確かめた上で、「もとめよ。さらば与えられん」という有名な言葉は「願って、願って、願ァ続けろ。そうしろば、貰うに可い」という訳になります。

従来の訳よりも意味がすっと入ってきます。「聖霊」なんて難しい漢語を使わずに神様のプネウマは「素朴に風であり、息である。それで十分だと思います」(145頁)と斬新でわかりやすいのです。

というわけで、有名な「汝の敵を愛せよ」なんかは「敵(かたき)だってもどごまでもだいじに(でァじ)にし続げろ」(112頁)になるわけです。

ヨハネによる福音書の最初のところ「初めに言葉ありき」はこんなふうになります。

初めに在ったのァ
神さまの思いだった。
思いが神さまの胸に在った。
その思いごそァ神さまそのもの。
初めの初めに神さまの
胸の内にあったもの。

神さまの
思いが凝って
あらゆる物ァ生まれ、
それ無しに
生まれだ物ァ一づもねァ

神さまの思いにァ
あらゆるものォ生がる力ァ有って、
それァ又、
生ぎる喜びィ人の世に
輝かす光だった。          (14-15頁)

すごいでしょ。私は目頭が熱くなりました。

著者は被災地のお医者さんで、著者の病院も津波に襲われて大変だったそうです。幸い死者は出なかったそうですが、

「冷たい雪と真っ黒な泥濘におおわれた見わたす限りの瓦礫の野を前にして、呆然と立ちつくす私の肩をかっちりとつかんで、イエスはいいます。」
「おい、元気を出せ、この生き死人め。この俺は死んでもまた立ち上がったのだぞ。その俺がついているんだ! さあ、涙をふけ。勇気を出して、いっしょにまた立ち上がろう。お前のやるべきことが、それ、見えるだろう!」(247頁)

ご一読を!

(文春新書2011年780円+税)

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