竹内洋『革新幻想の戦後史』
「左翼にあらざれば人にあらず」という雰囲気の名残は私が大学に入学した頃まではかすかにありましたが、卒業する頃にはまったくなくなっていたような気がします。本書は1942年生まれの著者の体験を含む戦後社会史になっています。実証資料もふんだんに使われていて説得的です。
私の頃は1970年代後半だったので、学生が加速度的にノンポリ化していくところでした。公務員の師弟が全国から集まってそれぞれの大学に通うという学生寮にいたので、東京のほとんどすべての大学の学生と接することができましたが、政治的な興味や関心がある学生は数えるほどでした。ましてや寮生で学生運動セクトに属している人はゼロでしたね。
ただ、自分も含めた1958年以降の生まれあたりから、比較的多数派だった愚直な先輩たちと違って、小賢しくてセコい奴が増えたなあという印象を持っています。残念ですけどね。これがどうしてかはよくわかりませんが、それからしばらくすると「新人類」とか言われるようになって、もっとわけわかんなくなっちゃいました。
私は学生時代は音楽と読書に夢中でしたので、そういう連中とは付き合えないなあと思っていましたが、かといって上の世代の政治的に熱い人たちはすでに学生ではなかったので、本書に出てくる人達はもっぱら大学生協の書店の背表紙でお馴染みの、当時の「一昔前の知識人」という感じでした。
もちろん当時現役で、私もよく読んでいた知識人たちも含まれますが、だんだん『世界』が読まれなくなり、『朝日ジャーナル』も『現代の眼』もなくなっていく中で、丸山真男も「後衛」になっていったことを覚えています。ニューアカとか流行ったりしたころにはもう完璧に革新陣営は過去の人になっていました。
著者は福田恆存や小田実、石坂洋次郎の人と作品を、雑誌では『世界』、事件としては「旭丘中学校事件」、あるいは東大教育学部などをとりあげて、説得的に論じています。そもそも、この取り上げ方だけでも著者のセンスの良さが、わかる人にはわかると思います。一見意外ですが、読んでみるとなるほどという象徴的なテーマです。
で、とにかく戦後の知識人の多くがいかに大衆に迎合するかを考えて千鳥足で右往左往していたかが活写されています。行き着く果てが今日の「劣化した大衆社会圧力」(512頁)の支配する社会、あるいは「想像された多数者による監視社会」(同ページ)だというわけです。
悲観的な現状認識で結ばれていますが、全体に読みやすい本で、かつ面白く読ませてくれます。それにしても、もはや「戦後」も歴史になってきたんですねえ。
(中央公論社2011年2800円税別)
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