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2012年4月17日 (火)

『コーラン』(上)(中)(下)井筒俊彦訳

最後まで読み通すのは骨が折れました。以前中巻までは読んで挫折した記憶がありますが、今回はどうにか完読。どうやらコーランだけ読んでもイスラム教のことはわからないように感じました。

砂漠の自然と向かい合った状態の中で、全知全能の神がいるといわれると、おのずとそんな気持ちになりやすいかもしれません。しかし、日々湿度の高い八百万の神々に囲まれていると、この語り口から世界観までが、何だかめっちゃ遠い感じがします。

旧約聖書とイエスの四福音書の登場人物もまた、アラーに仕える存在としてとらえ返され、独自の解釈が与えられているため、アブラハムやモーゼ、ノア、マリア、イエスなどがそれぞれイブラーヒーム、ムーサー、ヌーフ、マルヤム、イーサーというイスラム風の名前で活躍すると、なんとも不思議な感じがします。

天地創造から最後の審判までの基本構造は聖書を踏襲していて、マホメッドが聖書を読み込んでいたこともよくわかります。ただ、旧約聖書の非情で非合理な側面が消えて、善行と引き換えに天国を約束してくれる慈悲深い神さまになっています。無信仰者は地獄に堕ちると全編これ脅されっぱなしですが。日本人なんか彼らの目から見ると、地獄の炎に焼かれる運命にあり、ほとんど哀れまれているのではないでしょうか。

また、キリスト教の神とマリアとイエスの存在を三位一体としてとらえて批判しているところが誤解であることはともかく、三位一体の聖霊の存在が無視されているために、キリスト教の神秘性と奥行きのある世界観が受け継がれずにいるように思いました。

もっとも、その分イスラム圏ではプラトンやアリストテレスなどの古代ギリシア哲学が盛んに研究されたりしたわけですから、トータルにイスラム文化をとらえる必要はあるのでしょう。やっぱ、スーフィズムあたりに深い世界があるのでしょうね。

なお、コーラン成立時のころから、戦利品として女奴隷をおいてみたり、奴隷でなくても一般に女性を家畜のように扱ったりすることも当然とされてきたのがわかりますが、ここには書かれていないえげつない慣習とともに、実は今も民族的伝統として脈々と息づいています。このあたりどうにかならないでしょうか。

(岩波文庫1964年改版)

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