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2012年6月 6日 (水)

群ようこ『またたび読書録』

著者の一連の読書エッセイで、本書は未読だったことに気がついて、慌てて読みました。慌てる必要はないのですが、いつも読者をしませてくれるうえに、新たに本を紹介してくれますので、お得感があります。

本書で紹介された本の中では特に、おちことよ/平野恵理子『生活図鑑』を手元においておきたいと思いました。家事全般についての必要にして十分な知識が一覧できるとのこと、便利そうです。

それぞれの章の構成は、いつものように身の回りの出来事などについてのエッセーに始まって、後半でそのエッセーの内容に付かず離れずの絶妙な距離感を保ちながら、テーマとする本の紹介に入っていきます。エッセーの中に気に入った文章があったので、そのうちのいくつかをここで紹介しておきます。

西原理恵子『ぼくんち』の章ではこうです。

「ずっとワルを続ける人間は愚かだが、ある一時期でも多少、悪いことをしたほうが、人間的ではないだろうか。私は清く正しく生きてきた人には魅力を感じない。多くの人は他人とぶつかり合うことを恐れ、すまし顔で暮らしていこうとする。これはとても悲しいことだ。私は『ぼくんち』を読んで、これから先、この本を心において、行きていこうと思ったのである」(20-21頁)

ホッファーの『波止場日記』の章では次の通り。

「頭だけ使ってきた人々の、いちばん困るところは、変なプライドを持っていることである。
『何といわれたって、偏差値はものすごくよかったんだから』
というのが根強く残っている。ただそれだけによりどころを見つけているといってもいい。そして素直じゃない。もちろんお勉強ばかりしてきた人が、みんなそういうタイプではないが、
「あの学校を出ていて、あんた、その程度の人間なわけ」
といいたくなる人が、あまりにも多すぎるのだ。
間違ったことをしたら、素直にあやまる。これが人間の基本である。ところが小賢しい人々はあやまるのが嫌いなようで、ああだこうだといいわけがましいことばかりいって、
『ごめんなさい』
とあやまれない。なんとか自分の身を取り繕おうと必死になる」(82-83頁)

いやー、私もこういう人をたくさん見てきましたし、今も毎日のように見ているだけに、「ホントにそうだよね」と思わされます。学校歴自慢の人は話して3分もすると、自分の出た学校の話題に持って行こうとしますし、読んでない本も読んだようなことを言うし、自己の能力を超えた責任ある立場に就きたがるのに、責任だけはとろうとしません。

それでいて、騙しの点ではもっと上手のヘンな業者によく引っかかるんです。その道のプロからすると、彼ら彼女らはプライドをちょっとくすぐるだけで、すぐ契約してくれるから、カモがネギ背負ってやってきてくれると思っていることでしょう。

それでもって、下々には「私は間違っていない」って言い張るんです。こういうときの利害関係者はあっという間につるんで、口拭ってますからねえ。官僚顔負けの小賢しさです。下々にはとっくにバレてんのにねえ。

(新潮文庫平成13年438円税別)

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