岡田斗司夫『ぼくたちの洗脳社会』
1995年に出た本ですから17年前の本ですが、エッセンスは古くなっていません。当時のトフラーや堺屋太一の本よりも大胆に来たるべき時代を考察しています。パソコン通信がインターネットに取って代わられたといった細部を除けば、予言の本質は合っていたことがわかります。
著者によれば、科学の影響が廃れて、経済も力を持たず、政治は当然役割が小さくなり、「自分の気持」と気ままな生き方を何よりも大切にする「洗脳社会」が訪れるとのことです。
洗脳といっても、政治権力やマスメディアが明確な意志を持って国民の価値観を制御するというものではありません。現代は、そうした他人の志向に影響を及ぼす洗脳行為が、双方向的マルチメディアを通じて人びとに共有される時代と言います。
今日のネット社会の発展と益々胡散臭さがバレてきたマスメディアの凋落ぶりを見ていると、たしかにその通りだと思わされます。ただ、さすがの著者も、「2ちゃんねる」言論のえげつなさまではさすがに予見できなかったようです。
著者は今の若者たちの行動と価値観を観察することで、30年後の時代の変化を予見しようとします。当時からすでに若者たちはあまり就職したがらず、何を差し置いても「今の自分の気持を大切にする」ことだけは守り通そうとします。
極端なのは、当時から「自分探し」をしていたフリーターや「自分が見つからない」ニートのパターンです。その彼らがもはや30代を過ぎ、40代になりつつあります。著者によれば「彼らや私たちの価値変化の中心には、われわれを幸せにできない『科学』と『経済』への信頼の喪失がある」(48頁)とのことです。同感です。
著者は言います。
「私たちはこのように、かつて人々が親しんできた多くのものを失おうとしており、そして一方で、否応なく道の多くkのものを得ようとしています。同時代の誰も経験したことのないスケールの不安と不安定、とてつもない自由のまっただ中に放り出されている、と言い換えてもいいかもしれません」(223頁)
著者はこの変化をあくまでも新たな時代への夜明けとして、前向きに「私たちの世代に贈られた、大変困難だけどもやりがいのある贈り物」(231頁)と捉えています。価値観の変化は旧来の価値観との間に様々な不協和音や不都合を呼ぶことは間違いありません。しかし、マクロな視点に立ってみれば、相当の変化にもうろたえずに対処できると著者は考えているようです。
とはいえやはり心配ですよね。しかし、著者のこの積極的な姿勢は見習いたいと思います。
(朝日新聞社1995年2000円+税)
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