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2012年8月31日 (金)

五日市剛『なぜ、感謝するとうまくいくのか 検証「ツキを呼ぶ魔法の言葉」』

『ツキを呼ぶ魔法の言葉』の五日市さんです。本書は講演筆録ではなくて、著書。とにかく「ありがとう」と「感謝します」をことあるごとに口にすると、すべてがうまくいくそうです。

しかし、自分に危害を加えてくる人には、いくら魔除けのつもりでも「ありがとう」とは言いにくいのではないかと考えてしまいます。それに対して著者は、

「犯人に対していうのではありません。”ありがとう”は自分に対していうのです。落ち込んだ自分を励ます”ありがとう”であり、不幸の連鎖を断ち切る言葉なんです。この言葉を自分に対して心をこめて発すると、それ以上嫌な気分になりませんし、続けてマイナスの言葉が出てきにくくなります。そして、物事の流れをよりよい方向に切り替えてくれ、後の自分の成長のきっかけとなると思っています。どうか、魔法の言葉の真意をご理解ください」(49頁)

なるほどです。自分に向かって言うのですね。ブツブツ言わずに実践してみます。しかし、とんでもないことを平気で仕掛けてくる人に対しては、私もまだまだ修行が足りないので、なかなか「ありがとう」という言葉が即座には出てきません。

そういえば、「痛くない注射針」を開発した岡野雅行さんは、「お礼を3回」言えとおっしゃっていましたね。根本の心は同じかもしれません。

魔法が効くかどうかはともかく、私もこれまで以上に意識的に「ありがとう」を言うようにしてみます。自分がリラックス出来るだけでも儲けものですもんね。何か効果が出たら報告します。

(マキノ出版平成24年1143円+税)

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2012年8月30日 (木)

内山節『文明の災禍』

著者の本は初めて読みました。このところ、まちづくりや里山復興の会合に出ることが多く、同じ関心のある同僚の先生に勧められたこともあり、昨年の震災後に書かれた本書から読んでみました。

著者は20世紀の哲学が提起した知性中心主義批判という問題を受け継ぎ、身体の果たす役割の検証を、自ら田舎暮らしをしながら行なっているという、ユニークな思想家です。

身体のもつ役割を哲学的にとらえかえすという仕事は、フランスのベルグソンやアランの仕事にも近いところがあり、体質的にしっくり来るところのある思想家です。

ただ、著者は今回の東日本大震災で、知性の限界、すなわち、知性だけでは適切な判断ができなくなるということが暴露されたとみています(91頁)。また、同時に生じた原発事故は、今後の創造につながらない「創造なき破壊」だとも言っています(102頁)。

原発事故に関しては、残念ながらあまり科学的なデータが参照されていないため、感覚的で曖昧な言い方になっていて、まあ、現状では普通の考察です。気持ちはわかりますが、原子力の制御は廃炉に向けた作業をするにしても、知性を無視してはうまくいかないと思います。

情報が多すぎて判断できない(66頁)というよりは、何を選択するかについて、むしろ知性をフル動員すべき問題でしょう。自分の身体的反応と思ったものが、マスコミの偏った情報により煽られた恐怖感にすぎない場合もありえるからです。

復興のグランド・デザインが求められていることについては異論はありません。

「復興のグランド・デザインが何らかの設計計画だと考えている人たちは、おそらく、いま歴史が超えさせようとしているものに気づいていないのであろう」(128頁)

復興は地域が主体になって「関係の創造」として、コミュニティの再建、再創造となるようにしなければいけないという著者の主張には諸手を上げて賛成します。具体的には大変ですが。

著者は最後にこう言います。

「確かな関係をとおして生きている領域では知性だけではなく身体や生命をもとおして物事を認識している。身体がつかみ、生命がつかむ関係がここにはある。そのことがイメージだけの世界から人間たちを自由にする」(181頁)

田舎暮らしが好きな人は勇気づけられますね。しかし、これは単なるお伽話ではなく、本当に実現させようとしてモデルケースを創造しつつあるのが、多分全国的な流れになりつつあると思います。

ただ、イベント単発型では単なる打ち上げ花火大会になってしまいますので、採算の取れる産業を創造するのが鍵ですが、その見込みは実は私が関係する会合ではある程度立っているのです。うまくいくといいですね。

この流れを本にまとめてみましょうか。

(新潮新書2011年680円税別)

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2012年8月24日 (金)

加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』

それなりに面白い本でした。近代日本の戦争をめぐる歴史がうまくたどれます。高校生相手の講義をもとにした本のため、説明がわかりやすくていいです。

しかし本書は通り一遍の概説ではなく、普通の人があまり触れることがないような政治家の書簡や専門研究の成果にも触れられていて、未知の事実に対する驚きとともに、かなり突っ込んだものになっています。歴史学者の講義として納得のいく作りになっています。

ただ、著者の軽蔑する「刺激的な言葉を書名にした近現代史の読み物」が「過去の戦争を理解しえたという本当の充足感やカタルシスが結局のところ得られない」(407頁)という言い分はわかるにしても、では、そこでの議論がどの点で不適切なのかということについて、少しでも議論しておいてくれたらありがたかったなのにと思います。

専門の研究者はこの分野に限らず、マスコミ受けのする評論家や作家の意見を普通冷ややかに見ていることが多いのですが、それがどうしてなのか、どこがヘンなのかということを指摘してくれるほどお暇でもなければ、親切でもないようですので、一般読者はしばしば扇情的な議論に傾きます。

その辺をお高くとまらずに、かつ淡々と事実を指摘してくれるようなスタンスで論じてくれると門外漢にとってこれほどありがたいことはありません。もっとも、著者はそういうこともされているかもしれませんので、ほかの著書も読んでみたいと思います。

なお、太平洋戦争の開戦に至る記述では、先日読んだ森山優『日本はなぜ開戦に踏み切ったか』(新潮選書)のほうがスリリングで面白かったです。学校秀才に対する不信感の有無が決め手のような気がします。

(朝日出版社2009年1700円+税)

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2012年8月20日 (月)

米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』

ペレストロイカから体制転換までのソ連・ロシアの様子がよくわかります。エピソードや小咄がたくさん紹介されていて、抱腹絶倒の本です。

この頃私はハンガリーに留学していたので、ソ連の話はいろいろと伝わってはきていましたが、たとえば炭鉱労働者に石鹸が月1個しか支給されない、なんてのは冗談ではなくて本当の話だったんですね。

当時のハンガリーもそうだったあの社会主義体制の親玉がソ連でしたので、国境の向こう側も同じようなものか、あるいはもっと不合理があるという感じがしていました。本書を読むと「やっぱりそうだったのか」と確認できるところが多々あります。

でもまあ、体制の不合理はともかくとして、ハンガリー人よりもロシア人の方がアルコールの消費量にかけてはもう理不尽に凄い感じですね。飲み過ぎで平均寿命を下げているのもうなずけます。

本書に出てくるウォトカについての小咄もいろいろと面白いです。

「父ちゃん、酔っぱらうってどんなことなの?」
「ここにグラスが二つあるだろう。これが四つに見えだしたら、酔っぱらったってことだ」
「父ちゃん、そこにはグラスは一つしかないよ」(54-55頁)

酔っ払いの亭主を見かねた妻が詰め寄った。
「あんた、ウォトカをとるの、わたしをとるの? ハッキリしてちょうだい」
「その場合のウォトカは何本かね?」(59頁)

こんな国で節酒令を出していたのですから、どだい無理な話でした。

この当時の政治の主役、ゴルバチョフとエリツィンの人物評やエピソードも興味深かったです。何せ二人の通訳としてとことんつきあわれた著者だけのことはあります。楽しいのはもちろんですが、いろいろなことを教えられる本です。現代史の資料としても貴重だと思います。

(講談社文庫2001年495円税別)


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2012年8月15日 (水)

大栗博司『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』』

私のこの分野の知識は1980年代半ばの岩波現代選書あたりで止まっていて、あとは現在に至るまで新聞記事などからの断片的な知識の寄せ集めでした。

しかし、この分野の発展は実は非常に目覚しいものがあり、実際、わが国からも少なからぬノーベル賞受賞者が出ています。ノーベル賞の話題のたびに断片的知識を仕入れていてもなかなか統一的なイメージが得られませんでした。

本書はそんな私のような門外漢にも実によく分かるように解説してくれていて、本当に助かるとともに、勉強になります。6次元とか7次元とかの常識では想像できない話も巧みな比喩で説明されると、へぇー、そうなんだ、と納得できるところがあります。相対性理論と量子力学をつなぐ可能性のある超弦理論の位置づけも、本書で初めてわかりました、というか、わかったような気になりました。

少なくとも物理学の歴史的脈絡の中で、何が問題なのかということは、わかります。もちろん、問題が解けるわけではありません。解けたら物理学者になっていますもんね。

それにしても、アインシュタインからホーキング博士まで、こんなことを考えていたんだということを知るだけでも楽しくなります。これって、めっちゃロマンですやん。若い人が読めば、読者の中から物理学を志す人も出てくるかもしれません。数式もまったく出てこないので、中学生でも大丈夫でしょう。試しに娘に読ませてみます。読まんかな。

帯に10万部突破と書いてありましたが、本書がベストセラーになるのですから、わが国もまだまだ捨てたものではありませんね。

(幻冬舎新書2012年880円+税)


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2012年8月10日 (金)

ジョン・ロンソン『サイコパスを探せ! 「狂気」をめぐる冒険』(古川奈々子訳)

読み応えのあるドキュメンタリーでした。サイコパスというのは独善的で他人への同情や共感を持たず、良心の呵責を感じないタイプの精神病質で、刑務所人口の25%、一般社会の人口の1%に見られるとされています。

本書にはその道の権威であるボブ・ヘアの作った20項目のチェックリストが載っています。それによると、

口達者/うわべの魅力、自己価値に対する誇大な感覚、刺激を必要とする/退屈しやすい、病的な嘘つき、狡猾/人を操る、良心の呵責あるいは罪悪感の欠如、浅薄な感情、冷淡/共感性の欠如、寄生的な生き方、行動を十分に抑制できない、相手を選ばない乱れた性行動、幼少期からの行動上の問題、現実的な長期目標を持てない、衝動的、無責任、自分の行動に対して責任を取ろうとしない、何度も結婚するが長続きしない、少年犯罪、仮釈放の取り消し、多様な犯罪歴

といったものです(122-123頁)。

ヘアによれば、連続殺人犯だけでなく、企業や政治や宗教の世界にもサイコパスはいて、経済や社会をめちゃくちゃにするそうです(141頁)。そうでしょうね。そうやって見てみるといたるところにこんなタイプがいるような気がしてきます。それもかなりの割合で。

実際、サイコパスがいる割合は、通常の人びとの集団よりも高い地位についている人びとの集団のほうが高い(141頁)とする専門家も少なくないようで、その割合は3~4%に上るとも言われています。やっぱあの人なんかそれ系ですねとか思い当たる向きも少なくないでしょう。

著者もそういう観点から、他に類を見ないほど残虐なハイチの「死の部隊」の創設者や、リストラ大好きなCEO、元英国諜報部の英雄や天才犯罪プロファイラーなどにインタビューを重ねていきます。みんながサイコパスというわけでもなさそうなのですが、思いっきり変な人ばかりです。

もちろん、このリストはそれなりに有効ですが万能ではなく、境界事例も存在しえます。著者はこのリストによってどちらかと言うと安易に判定された可能性を否定出来ない事例も取材し、精神病院に12年も閉じ込められたままになっている青年にも会いに行きます。

著者自身が次第にこのリストの持つパワーに疑問を持ち始めることも正直に書かれていて、精神分析を巡る欧米の状況も丁寧に取材されています。分析医が病気を作り出す側面もまた否定出来ないからです。

こういう問題へのアプローチと語り口に関しては、とりわけ欧米のノンフィクションライターは上手ですね。参考にしたいと思っていますが、こんな感じでハンガリー思想史なんか書いてみるとどうなるのかは、よくわかりません。とりあえず書いてみてから考えたほうがいいのでしょうね。

(朝日出版社2012年1600円+税)

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2012年8月 7日 (火)

森山優『日本はなぜ開戦に踏み切ったか 「両論併記」と「非決定」』

著者は「日本が開戦に向かう政治過程をつぶさに検証して行くと、これでよく開戦の意思決定ができたものだと、逆の意味で関心せざるを得ない」(212頁)と言います。

当時の軍部は選り抜きの秀才たちからなっていましたが、そこが弱点になっていたのかもしれません。私の目には無責任な学校秀才たちがこぞってパニックになっていたと映ります。

軍人とはいえ官僚ですから、未曾有の危機に対応できないという官僚制の弱点はそのまま持っています。戦後、軍人はいなくなりましたが、官僚はそのまま生きながらえて、今もなお権勢を誇っています。

それどころか役人が、民間に天下りするうちに、日本中の組織がみんな官僚の行動パターンを身につけるようになってしまい、進取の気性とか、革新性とかどんどん姿を消していってしまいました。官僚型人間が出世して、組織の覇気を損なって久しいでしょう。既視感があります。ああ、どうしましょう。

当時の東郷外相の支離滅裂に見える頑張りが、開戦を避けるためのかなり周到な行動だったことなどもわかり、本当によく調べてあると思います。また、「我々の認識をいささかミスリードしかねない天皇の戦後の発言」、つまり、主戦論を抑えたらクーデター起こったに違いない、という発言についても、デリケートな問題ですが、納得のいく解釈がなされています。

それにしても、われわれはこの情けなくなる日本的行動パターンを、今もあらゆる組織で繰り返していますが、これを打破するにはどうしたらいいんでしょうね。おそらくは、われわれ自身が新たな価値を生み出すような、イノベーティブな組織の行動原理を探し当てなければならないのでしょう。

私も自分の研究のテーマとして追求したいと思っています。

(新潮選書2012年1200円税別)

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2012年8月 4日 (土)

榊博文『トップ営業が使う説得学』

先日読んだ社会心理学の入門書のテーマを営業の場面に応用した本です。ふつうサラリーマンは説得や交渉ごとを現場で体感的に覚えていきますが、本書はこれを社会心理学的に裏付けた本です。

営業のノウハウも、学問的な裏付けがあり、体系的に整理されていれば、いざというとき頭の引き出しから出しやすくなるかもしれません。

それにしても、社会心理学の学問的蓄積にも相当なものがあることがわかります。わが国以上に心理学に市民権のあるアメリカでも、やはりこういう感じで応用の効く営業ノウハウへの応用がなされているのでしょうか。

いずれ著者にお目にかかる機会があると思うので、そのときに伺ってみます。

それにしてもこの種の知識はキャッチセールスのノウハウとしても役立ちますので、諸刃の剣みたいなところがあります。悪魔のささやきにどうやって打ち克つのかというのは、また別に大きな問題になりえます。

本書では、相手の会社のためにという姿勢の大切さが強調されていて、なるほど、と思わされます。

「いわば、共通の問題点を見つけて、お互いがその解決に向かって協力するという姿勢が大事です。それは単に、商品を提供すればいいということでは終わりません」(198頁)

「営業マンは単なる営業マンではなく、時に経営者的視点を求められることもある、そういう時代になりつつあるのです」(同頁)

また、「説得されにくい6つのタイプ」というのも深く納得しました。それは、

①プライドが高い
②心配性である
③攻撃的である
④権威主義的である
⑤知的水準が高い
⑥人の目を気にしない

というタイプですが、なんのことはありません。ダメ大学教授やダメ経営者によくあるタイプでした。こういう人をどう説得したらいいかは、かなり難しい問題です。そもそも意見を聞く姿勢がありませんからねえ。ホント、どうしましょう。

(ダイヤモンド社2004年1500円+税)

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2012年8月 2日 (木)

『対話録「さすらい人」ブレンデル リストからモーツァルトへの道程』

読み応えのある本でした。ブレンデルは好きなピアニストの一人ですが、この対談もまた、音楽の印象通りの知的で、ユーモアのある話しぶりでした。

ブレンデルはとりわけ楽譜を丁寧に解釈し、作曲家の心をしっかりと汲み取り、見事な演奏世界を形成していくことのできるピアニストですが、本書では想像していた以上に勤勉で努力家で、しかし、テクニック先行型ではなく、情熱とユーモアのある音楽家としての姿が浮き彫りになっています。

編著者のマルティン・マイヤーも、ブレンデルの話を実にうまく引き出しています。ブレンデルと話が通じるくらいにヨーロッパの名演奏を聴き込んでいることからしても、只者ではありません。この名インタヴュアーがあって初めて、ブレンデルの並外れた耳の良さと聡明さの一端がうかがわれることになったのだと思います。

翻訳は訳文が読みやすく、こなれていていいと思いましたが、政治思想家のアイザヤ・バーリンがイザイヤ・ベルリンになっていたり、イヨネスコがイオネスコになっていたりして一瞬戸惑います。ちょっと調べるなり、専門家に聞くなりしてみればいいのに、もったいない気がします。ドイツ語はできる人なんでしょうけどね。

ブレンデルが敬愛するピアニスト、フィッシャー、ケンプ、コルトーの3人のうち、コルトーを除いてあまり聴いたことがないので、これからの楽しみとして、すこしずつ聴いていくつもりです。

最後に索引がついているので、ブレンデルが作曲家や同時代のピアニストたちをどう論じ、どう評価しているかがたどりやすくなっています。グールドなんかボロクソに言われていますね。そうだろうなあ。

音楽をこれくらい深く聴き、解釈できる人はそうはいないと思います。ピアニスト必読の書ですね。

(音楽之友社2001年2600円+税)

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