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2012年8月30日 (木)

内山節『文明の災禍』

著者の本は初めて読みました。このところ、まちづくりや里山復興の会合に出ることが多く、同じ関心のある同僚の先生に勧められたこともあり、昨年の震災後に書かれた本書から読んでみました。

著者は20世紀の哲学が提起した知性中心主義批判という問題を受け継ぎ、身体の果たす役割の検証を、自ら田舎暮らしをしながら行なっているという、ユニークな思想家です。

身体のもつ役割を哲学的にとらえかえすという仕事は、フランスのベルグソンやアランの仕事にも近いところがあり、体質的にしっくり来るところのある思想家です。

ただ、著者は今回の東日本大震災で、知性の限界、すなわち、知性だけでは適切な判断ができなくなるということが暴露されたとみています(91頁)。また、同時に生じた原発事故は、今後の創造につながらない「創造なき破壊」だとも言っています(102頁)。

原発事故に関しては、残念ながらあまり科学的なデータが参照されていないため、感覚的で曖昧な言い方になっていて、まあ、現状では普通の考察です。気持ちはわかりますが、原子力の制御は廃炉に向けた作業をするにしても、知性を無視してはうまくいかないと思います。

情報が多すぎて判断できない(66頁)というよりは、何を選択するかについて、むしろ知性をフル動員すべき問題でしょう。自分の身体的反応と思ったものが、マスコミの偏った情報により煽られた恐怖感にすぎない場合もありえるからです。

復興のグランド・デザインが求められていることについては異論はありません。

「復興のグランド・デザインが何らかの設計計画だと考えている人たちは、おそらく、いま歴史が超えさせようとしているものに気づいていないのであろう」(128頁)

復興は地域が主体になって「関係の創造」として、コミュニティの再建、再創造となるようにしなければいけないという著者の主張には諸手を上げて賛成します。具体的には大変ですが。

著者は最後にこう言います。

「確かな関係をとおして生きている領域では知性だけではなく身体や生命をもとおして物事を認識している。身体がつかみ、生命がつかむ関係がここにはある。そのことがイメージだけの世界から人間たちを自由にする」(181頁)

田舎暮らしが好きな人は勇気づけられますね。しかし、これは単なるお伽話ではなく、本当に実現させようとしてモデルケースを創造しつつあるのが、多分全国的な流れになりつつあると思います。

ただ、イベント単発型では単なる打ち上げ花火大会になってしまいますので、採算の取れる産業を創造するのが鍵ですが、その見込みは実は私が関係する会合ではある程度立っているのです。うまくいくといいですね。

この流れを本にまとめてみましょうか。

(新潮新書2011年680円税別)

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