内山節『哲学の冒険』
15歳の少年の頃の自身の哲学ノートにコメントするというかたちの哲学書。基本的なことがきっちりと書かれていて、いい本です。最後の書はお父さんとの対話というのもあります。
著者の父上が実際こんな人だったかどうかはわかりませんが、そんなこともありそうな気がしてきます。思えば15歳の自身の哲学ノートもそういう形をとっただけなのでしょうけれど、うまく作られています。
哲学は知識ではないという基本が押さえられているので、若い読者にも、哲学を敬遠気味の大人にも、抵抗なく読んで貰えそうです。私も中2の娘に読ませてみようかと思っているところです。
著者はエピクロスの「思慮深く美しく正しく生きる」という言葉を柱にして、こう言います。
「未来を恐れず、思慮深く、美しく、正しく生きていくとき、僕たちはほんとうの自由を手にするのかもしれない。自由に生きていくとは、本当はこういう美しさをもったものなのではないかと僕は思う」(21-22頁)
15歳にしてはませすぎている気もしますが、いい言葉です。西洋哲学の核になっている「思慮深く」というのが、よくいわれる「清く正しく美しく」にはないところで、ひるがえって、わが国には思考を美意識で代用する傾向があるのかもしれないなという気もしました。
他に途中で紹介されている小林秀雄の「雲が雨を作り雨が雲を作るように、環境は人を作り人は環境を作る」という言葉が、三木清の『構想力の論理』の中の言葉よりも輝いて見えるのが、印象深かったです。この問題はハイデガーやユクスキュルにもつながりますが、文学者の言葉は印象に残ります。
著者は哲学者として秀才の三木清よりも印象に残ろ言葉を紡ぎ出しているように感じます。文学的でもあると同時に、三木清よりもより人びとの生活に近いところから発想しているためかもしれません。
哲学の真理は著者によれば、
「客観的な真理ではなくて人間のみつけだしたものとか、もっと美しく生きられる未来をつくろうと思うとき発見される真理、というような」(192頁)
「僕は思うんだ。哲学を学問にしてはいけないと。なぜなら哲学は一方の手でつくられつづけ発展させられつづけながら、もう一方の手で壊されつづけなければならないという宿命を背負っているからだ。その理由は哲学はすべての人間たちの、すべての民衆のものだからだと思う」(210頁)
鋭い指摘も含んでいますが、文章が哲学の研究者なんかと違って、平易で美しいです。哲学者はまずはこうでなくてはいけませんね。
日曜日に著者の講演を聴きに行きます。楽しみです。
(平凡社ライブラリー1999年1,000円税別)
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