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2013年2月23日 (土)

神坂次郎『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』

著者が南方熊楠の人となりに惚れぬいて書いた評伝。全編から愛情が伝わってきます。

それにしても聞きしに勝る怪人ぶりで、驚かされました。自分の好きなことだけに没頭して、大学も退学してアメリカやイギリスに渡って学術雑誌「ネイチャー」に何本も論文を載せるというのは、とんでもない努力と学問への情熱がなければできないことですね。

ある意味熊楠が英米で勉強したのは正解だったと思います。西洋人は日本と違ってどこの学校を出ているからということではなくて、内容のみで評価してくれるところがありますから。

私も昔留学中に書いた論文を幸運にも斯界の権威二人から別々に高く評価してもらったことがあり、それが長らく密かな心の支えになっていたことがあります。わが国の場合、学生(大学院生を含む)の間は大学にもよりますが、ほとんどゴミのような扱いを受けるので、そういう心の支えは本当にありがたかったです。

南方熊楠のスタンスは次の引用に明らかです。

「わが国には学位ということを看板にするのあまり学問の進行を妨ぐること多きは百もご承知のこと。(そのうえ)御殿女中のごとく朋党結託して甲が乙を廃し、丙がまた乙を陥るる、蕞爾たる東大などに百五十円や二百円の月給で巣を失わじと守るばかりがその能で、仕事といえば外国雑誌の抜き読み受け売りの外になき博士、教授などこそ真に万人の憫笑の的なれ・・・小生は何とぞ福沢先生の外に今二、三十人は無学位の学者がありたきことと思う」(205頁)

そうですよね。福沢諭吉のような人が二、三十人といわずとも、もう数人いるだけで、わが国の知識人像は随分今とは異なったものとなっていたことでしょう。

思想家としての熊楠は次の引用によく現れています。

「今の学者はただ箇々のこの心この物について論察するばかりなり。小生は何とぞ心と物がまじわりて生ずる事(人界の現象とみて可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相異に、いかにして相同じところを知りたきなり」(317頁)

熊楠のこうした思想家としての一面までよくとらえられた本ですが、生涯の様々な逸話や伝説も丁寧に紹介され、その型破りの巨大なスケールの人物像が描き出されています。

大酒飲みとしての武勇伝というか、失敗談や奇行も含めて、シャイな一方でかなりのイタズラ好きでもあったようで、紹介される数々の逸話には本当に驚かされますし、笑わされます。

読むとこちらまで愉快で元気になってくる本です。

(新潮文庫平成3年667円税別)

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