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2013年2月25日 (月)

島田裕巳『神道はなぜ教えがないのか』

神道には教えがないだけではなくて、開祖もいなければ、祈請対象もはっきりせず、いわゆる救済も用意されていません。これを筆者は「ない宗教」と呼び、わが国ではこれと対照的な「ある宗教」としての仏教とがその役回りを分担して、補い合ってきた(神仏習合)と見ています。

なるほど。同著者の『神も仏も大好きな日本人』の延長線上にある、説得力のある説明です。歴史的な流れもよくわかり、文献資料だけでなく、各地の神社もまめに調査されていて感心します。

著者の本にはいつも多くの気づきがあり、本書でもこの「ない宗教」という定義だけでなく、神道とイスラム教の類似点に言及されているところが面白かったです。言われてみて初めて気が付きました。著者は言います。

「こうした両者の比較は、イスラム教と神道に対して新しい見方を示すことになるのではないか。重要なのは、イスラム教が決して、日本人にとって理解不能な異質な宗教ではないということである」(104頁)

比較文化論の授業でも学生に勧めたいと思います。

なお、南方熊楠の評伝を読んだあとなので、熊楠が反対した神社合祀令(明治39年)についてもなにか記述があるかと期待しましたが、本書ではそれはありませんでした。ま、自分でも調べてみることにします。

(KKベストセラーズ2013年762円+税)

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