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2013年3月28日 (木)

『手島堵庵心学集』白石正邦編

石田梅巌によって興された「石門心学」の展開がわかります。手島堵庵は私塾を引き継いだ一番弟子です。

心学は舶来の思想の影響を受けず、独自に発想され、展開された、きわめて日本的な思想です。人間の性質は本来善なるもので、これを「本心」と呼びます。そして、これを知り、これにつくことが何より重要だといいます。

「本心は五體のごとし。首も手足も、身うちが少しの間も動かずにいましょうか。思いは身の動くと同じことで、心の動く働きでござるところで、本心の通りに従いて善なもので、みじんも本心の害はしませぬ。思案というは、この思いを歪めるをいいます」(44頁、引用文は現代仮名遣いにしてあります)

変に理屈をこねる(思案する)のではなく、本心に従うことを強調します。これが聖人の道で、禅仏教にも通じると言います。

日本的でしょう。儒教も仏教もそんなことは言っていませんが、読んで行くうちにそんなことが言われているような気になります。

石田梅巌の頃から儒者や坊主からいろいろと批判されたようですが、それに対する反撃もことさらに波風を立てずに、その心は同じでしょ、とくるのだから、批判者にとってもやりにくかったでしょうね。

「本心」信仰は日本的宗教心の起請の対象とも言えそうです。日本人の多くは性善説ですし、腹黒い人は嫌いですもんね。腹を割って話し合うとわかり合える気もしますし。

この考えは、さかのぼると聖徳太子の十七条憲法まで行きそうですね。

(岩波文庫リクエスト復刊1995年360円)



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2013年3月25日 (月)

Nassim Nicholas Taleb, Learning to Love Volatility

ウォールストリート・ジャーナルに昨年末に載ったタレブの記事です。
Volatilityというのは気まぐれやいい加減さのことで、これに慣れ、寛容になることで、予想外の出来事で組織が瓦解したりすることを避け、新たな解決策を見いだしたりすることができるというものです。

また、イノヴェーションもいい加減さや気まぐれを排除せず、従って、失敗を恐れず、思いついたらどんどん試してみることから生まれてきます。そういえば発明王のエジソンがそんなことを言っていましたね。

詳しくは新刊のAntifragileで展開されているようです。とりあえず私自身の備忘録を兼ねて、この記事のリンクを張っておきます。

Antifragileは500頁以上あるので、翻訳が出たらやはりそちらを読みたいですが、待ちきれないので、やっぱり覚悟を決めて読み始めましょうか。

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2013年3月23日 (土)

筒井康隆『文学部唯野教授』

当時よく売れていた本ですが、今頃になってようやく読んでいます。1980年代後半の思想状況が懐かしく思い起こされます。また、当時の大手有名私立大学の先生たちのおバカな感じがよく出ています。

今や当時の現代思想の騎手たちも大学院長やら学長やらになっている人もいて、あるいはほとんど書かなくなってしまった人もいて、月日の流れを感じます。そういえば、草野心とかいう「女性野球評論家」もどこぞで総長にまでなられていましたっけ。

それにしても、大学内部のグロテスクな人間関係や人事を巡るデリケートな問題などは、今もおそらくあまり変わっていないと思います。大手の大学版俗物図鑑ですが、教授会が力を持たない弱小私大なんかは経営者の思うがままだったりして、もっと笑える状況があります。

私なんかの目から見ると、大手私大はやはり恵まれていますね。先生たちの甘やかされ具合も、別世界の話のように感じます。だからといって、当時も昇任を巡る殺人事件なんかもありましたから、あちらも決して天国ではないようです。小谷野敦や中島義道のいじめられ方なんか、彼らの本を通じて知る限りですが、本当にめちゃくちゃですもんね。

本書では唯野教授の現代思想・文学講義が長い台詞として織り込まれていて、これが小説の本筋とは別に面白いコンパクトな現代思想、文学論になっています。テキトーみたいで、結構的を射ています。著者が文学や思想が大好きで、各種評論や思想を読みこなしていることがよくわかります。このへん妙に感心させられました。

また、作家一流の妄想が暴走するアクション映画的な面白さもあって、サービス精神満点です。しかし、当時の大学関係者の中には気分を害した人も少なくなかったでしょうね。

本書刊行当時「唯野教授のモデルは私ではない」と宣言した先生が早稲田大学に二人いたと仄聞したことがあります。都市神話かもしれませんが、「早治大学」とか出てくるとそう言いたくなる人もいたかもしれません。明治大学の人はあまり反応していなかったようですが。

実際のかなり信憑性の高いモデルは同志社大学だったとも聞きましたが、どうでしょう。結局どこの大学の先生たちも多かれ少なかれ自分の所属先そのままのような気がしたのでしょう。

この点、アメリカの人気漫画のディルバートに対する反応を思い起こさせてくれます。「なんでわが社の秘密を知っているんだ」という問い合わせが殺到したというあの漫画です。今も続いているでしょうか。

(岩波同時代ライブラリー1992年777円+税)

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2013年3月22日 (金)

Martin B. Stanzeleit 『ドイツ語エッセイ Eine kleine Kaffeepause』

NHKラジオドイツ語講座テキストに連載されていたエッセーをまとめたものです。著者は広島在住のドイツ人で、広島交響楽団首席チェロ奏者です。

ドイツ語のブラッシュアップのためにと思って買いましたが、著者のユーモラスで軽妙な語り口が魅力的なので、和訳の方から先に読んでしまいました。日本という異文化体験や音楽の話、自伝その他いろいろ面白かったです。

ドイツ語に限らず、外国語の単語集を眺めるよりは、こういう文章の表現を覚えていったほうがはるかに役に立ちそうです。問題は継続するかどうかですね。ドイツ語は毎朝講座を聴きながら出勤していますが、このあたりでそろそろ次のステージに進みたいと考えています。本書をそのきっかけにしたいものです。

というわけで、最初の10ページに戻って原文を読んでいるところです。さあ、いつまで続くことでしょう。

(NHK出版2010年950円+税)

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2013年3月21日 (木)

三枝充悳『法華経現代語訳』(上)(中)(下)

大変わかりやすい日本語訳で、法華経全体の物語や挿話ないしは比喩が通読できました。涅槃とか波羅蜜、娑婆とか文殊菩薩あるいは観音菩薩のサンスクリット語もカタカナで併記あれていて、へぇーこれがそれかとあらためて気づかされることもあり、勉強になります。

ただ、全体に法華経というありがたい経典を読誦し、理解し、尊重することが重要なのだと繰り返して述べられていますが、その場合、ここで言われている「法華経」はこの本全体の法華経とは別にあるものなのかどうかが、素人にはわかりません。

このありがたい教えの確信にあるものは南アのだろうと思って読んで行くと、様々な比喩や挿話あるいは詩が述べられて(それも魅力的でめっぽう面白いのですが)、それから類推することが重要なのかな、とも思えてきます。

その中で、おお、と思ったのは次のところです。

「もしもボサツ・マカサツが忍耐の地にとどまっていて、ことばがやわらかで真理に逆らわず、誤らず、乱暴ではなく、心もまた驚くことなく、またまた法において、すべてのものは空であると観て、これに執着し分別して有であるとは思わず、しかもすべてのものは、真実そのままのあり方をしていると観じて、また行において空に執着することなく、分別においても有に執着することがないならば、これをボサツ・マカサツの行為(行動・態度)と名づけるのである」(324−325頁)

詩の形ではすぐそのあとでこのように述べられています。

 一切法(すべてのもの)はみな、実体の有は存在しないことが、
 あたかも虚空のごとくであり、堅固なことがあることなくして、
 生ぜず、出ず、動ぜず、退くこともない、
 常住であって一相である、と観ぜよ。
 これを行為の対象・範囲と名づけるのである。(330頁)

こうしたことが詩の形で語られるところも宗教性と関わっているのでしょう。思えば、コーランも全編詩の形ですし、これを朗誦することで、この世ならぬ境地に到達しやすくなるところがあると思います。

それにしても、やっぱり謎です。法華経の教えの核心は秘伝のような形で存在しているのかもしれませんね。

(第三文明社「レグルス文庫」1974年、各800円+税)

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2013年3月12日 (火)

小林信彦『唐獅子株式会社』

昔買って一度読みかけてそのままになっていた本ですが、ふと本棚から引っ張りだして読み始めました。1970年代後半の世相が懐かしく思い起こされます。しかし、今の人は何を風刺し、パロっているのかわからないことが多いと思います。

著者の世代の教科書にとりあげられていたランボーの小林秀雄訳とかも出てくるので、著者がたまたま私の母と同世代だということもあって、個人的にはよくわかりますが、これがまた余計今の若い人にはわからないんじゃないかと心配になります。

それで今頃本書を読んでいると、何だかとても懐古的でマニアックな笑いになるようで、なぜだか少し申し訳ないような気にもなってしまいます。同窓会の課題図書にしたいような本です。

とはいえ、たぶん今の若い人でもこの小説で著者の想像力が暴走する快感はきっと感じられると思います。それでも十分すぎるくらい可笑しいので、ま、いいんじゃないでしょうか。

本書は連作小説になっているのですが、最初は単発の短編で終わる予定だったようです。しかし、連作の形をとってから、筆がどんどん勢いづいて来るのが感じ取れますし、著者が楽しんで書いているのがよくわかります。

こういう小説世界を作れるなんて、うらやましいですね。論文のようなものを書かなくても、この中で十分言いたいことが言えてしまえそうです。いつか私もこの手法で人間の愚かさについて書いてみたいものです。

(新潮文庫昭和56年480円)

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2013年3月 7日 (木)

笠谷和比古『主君「押込」の構造 近世大名と家臣団』

主君が不行跡で不道徳だったりすると、見かねた家老が切腹覚悟で「諫言」するというのは結構知られていますが、主君を諌める最終手段が「押込」(おしこめ)です。

この伝統は古くは中世から見られるそうですが、近世の封建時代が確立していく時に、幕府が公認する形で制度化されていきます。

著者は原典資料によりながら、資料に語らせる形で、この「押込」の歴史を見事に描き出しています。本書の文庫版のまえがきによると、この原著が発表された昭和63年頃は、まだ本書は学会でも十分な理解が得られなかったそうです。

学会なんてところだから余計そうなのかもしれませんが、日本の近世なんて絶対主義的封建時代だという通念が支配的だったため、家臣が主君を座敷牢に閉じ込めたりするなんてありえないと思われていたわけです。

しかし、学問なんて通念をひっくり返すくらいでなくては面白くありません。えらいものです。著者の勇気と苦労が偲ばれます。

押込という現象は一般的には山本七平の本などで紹介されたことで多少知られるようになったと思いますが、旧来の武士道や忠義の観念を根本的に見直さなくてはいけなくなる爆弾みたいなところがあります。

ただ、歴史学はともかく、このようなメカニズムはわが国の組織に多かれ少なかれ見られると思います。こういうことは歴史学者じゃない普通の人びとのほうが、日々実感していて理解が速いように思います。

企業や大学などでもバカなトップをどうするかという時に、健全な組織ならみんなで引きずり降ろすでしょう。数年前うちの近所の精肉会社でもそんなことがありました。いまは労組中心の集団経営で頑張っているようです。

もっとも、健全どころじゃない独裁制あるいは警察国家のような組織で苦しんでいる人たちも少なからずあることでしょう。その場合はご愁傷さまです。でも、何とか頑張って諫言でも押込でもしてみたらどうでしょう。やってみたら案外うまく行くかもしれませんよ。

(講談社学術文庫2006年1000円税別)

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2013年3月 6日 (水)

ウィリアム・シェイクスピア『間違いの喜劇』小田島雄志訳

人間の「間違い」についていろいろと文献を探している中で、やっぱりこの有名な戯曲は読んでおかなければと思い、読みました。ただ、これはいわゆる「自分の間違いを認めようとしない人」とかいうときの「間違い」ではなくて、お芝居の設定上間違うことが予定されていて、観客はそれを知っているというタイプの間違いですから、ちょっと違いました。

とはいえ、シェイクスピア一流の粋なお芝居で楽しめました。初期の作品とか言われたりしているようですが、後の『テンペスト』にも近い味わいがありますね。ほんのちょっとしたセリフ回しに深い味わいが発見できるのがシェイクスピア作品の好きなところです。

翻訳は小田島雄志なので、例によってダジャレのオンパレードです。かなり無理なダジャレもあり興醒めします。原文と付き合わせるほど私は勤勉ではないし、どうでもいいのですが、原文には別の形の言葉遊びがおそらくたくさんあるんでしょうね。しかし、それを無理に訳さなくてもいいんじゃないかと思います。

「どこのモモンガーが門番してやがる?」(49頁)
「こんなあたまちいあつかいされればあたまにくらあ」(52頁)
という感じ。どうです、苦しいでしょ。モモンガーなんて門番に引っ掛けるためだけに登場したのか、原文にあるのか不明ですが。

あと、いつも気になるのが、小田島訳では原文の改行で翻訳文も改行するので、妙なところで日本語が切れてしまいます。これを想像力のない役者がそのまま行ごとに区切って演じたりするとギャグ以外の何物でもなくなります。最近の舞台ではどうなんでしょうね。

まあ、偉い先生だから誰も文句言えなかったんだと思いますけど、もう少し演劇のセリフにふさわしい新訳を誰か出してくれないものでしょうか。

(白水社1983年780円+税)

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2013年3月 5日 (火)

ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン―不確実性とリスクの本質』[上][下]望月衛訳

こんなことありえないと思っていたことがある日突然現れて、その影響で世界が一変するような現象を著者は「ブラック・スワン」と呼びます。オーストラリアで実際に黒い「白鳥」が見出されたからには、そんなものは白鳥の湖だけの話というわけにはいかなくなります。

人は「そんなものはあるはずがない」「世界はこの範囲内でしか動かない」といった講釈をつくり上げるのにかけては名人で、一瞬のうちにそんな物語をでっち上げて安心しようとします。

しかし、世界はそんなとんでもないブラック・スワンの影響で動いていると、トレーダーとして長らく不確実な現象に取り組んできた著者は言います。とにかくわれわれは未来に何が起こるかなんて予測をする能力なんか最初から持ち合わせていないのです。

世界はフラクタル的なランダム性だけが表現できるような純然たる不確実なのですが、それを認めたがらない人間の生態について本書では徹底的に批判されています。

しかし、ランダムだからといって悲観する必要はなく、災厄になるような悪い黒い白鳥は避け、良い黒い白鳥は歓迎するという風に考えて、頭も心も柔らかくしておきましょうというのが、この破格で口の悪い著者のスタイルの背景にあるメッセージなんだろうなと思います。

架空のベストセラー作家の話なんかを小説的に盛り込んだりしながら、読者を徹底的に楽しませてくれます。読んでいるうちにそこはかとなく元気になってくるのは、おそらく自分もどこか黒い白鳥的な部分があるからかなと思わせられたりするからなのですが、案の定、最後に「忘れないでくれ、あなた自身が黒い白鳥なのだ」と書いてくれていました。

今まで読んだ本の中ではファイヤアーベントの科学哲学に近い気がしました。それにしても面白すぎます。敵も多いでしょうね。頭の硬い人は読んではいけません。

(ダイヤモンド社2009年1800円+税)

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2013年3月 2日 (土)

森敦『月山・鳥海山』

正確で美しい言葉を紡いで、それが何に触れても文学になってしまうような、不思議な作家です。著者の『意味の変容』を読んでみたいと思っていて、ふと自分の本棚に本書があるのを見つけて、まずはこれからということで読みました。

山形の人たちの中で自然と人びとに溶け込んでしまうような境地が、一見何の変哲もない滞在記のような文体にもかかわらず、いや、それだからこそかもしれませんが、いつのまにか開けてきます。

人も自然もそれぞれがそれぞれにそのまましっかり存在していることがとらえられています。あたりまえといえばあたりまえですが、そのあたりまえのすごさがしみじみと伝わってくるところが不思議です。

わが国の私小説の系譜に属する作家なのでしょうけれど、私小説の逆説的な美点というか、実は自分のことを何も語っていなくて、そこにあるそのものを描いてしまえるという特徴が現れています。

山形には一度研究会で行ったことがありますが、改めてゆっくり旅してみたくなりました。

『意味の変容』も楽しみです。

(文春文庫1979年380円)

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