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2013年3月21日 (木)

三枝充悳『法華経現代語訳』(上)(中)(下)

大変わかりやすい日本語訳で、法華経全体の物語や挿話ないしは比喩が通読できました。涅槃とか波羅蜜、娑婆とか文殊菩薩あるいは観音菩薩のサンスクリット語もカタカナで併記あれていて、へぇーこれがそれかとあらためて気づかされることもあり、勉強になります。

ただ、全体に法華経というありがたい経典を読誦し、理解し、尊重することが重要なのだと繰り返して述べられていますが、その場合、ここで言われている「法華経」はこの本全体の法華経とは別にあるものなのかどうかが、素人にはわかりません。

このありがたい教えの確信にあるものは南アのだろうと思って読んで行くと、様々な比喩や挿話あるいは詩が述べられて(それも魅力的でめっぽう面白いのですが)、それから類推することが重要なのかな、とも思えてきます。

その中で、おお、と思ったのは次のところです。

「もしもボサツ・マカサツが忍耐の地にとどまっていて、ことばがやわらかで真理に逆らわず、誤らず、乱暴ではなく、心もまた驚くことなく、またまた法において、すべてのものは空であると観て、これに執着し分別して有であるとは思わず、しかもすべてのものは、真実そのままのあり方をしていると観じて、また行において空に執着することなく、分別においても有に執着することがないならば、これをボサツ・マカサツの行為(行動・態度)と名づけるのである」(324−325頁)

詩の形ではすぐそのあとでこのように述べられています。

 一切法(すべてのもの)はみな、実体の有は存在しないことが、
 あたかも虚空のごとくであり、堅固なことがあることなくして、
 生ぜず、出ず、動ぜず、退くこともない、
 常住であって一相である、と観ぜよ。
 これを行為の対象・範囲と名づけるのである。(330頁)

こうしたことが詩の形で語られるところも宗教性と関わっているのでしょう。思えば、コーランも全編詩の形ですし、これを朗誦することで、この世ならぬ境地に到達しやすくなるところがあると思います。

それにしても、やっぱり謎です。法華経の教えの核心は秘伝のような形で存在しているのかもしれませんね。

(第三文明社「レグルス文庫」1974年、各800円+税)

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